第23話 至福の時間

文子さんと一緒に仕事をしていた時は本当に幸せだった。文子さんと一緒に、車で子供達を迎えに行く時は、まさに至福の時間だった。僕はこんな時間がずっと続いてくれるんだと、そんな気がしていたのに、今年の3月20日でそれは完全に消えてしまった。あんなに幸せな時間は、もう戻ってこないかもしれない。このままだったら絶対にそうなる。文子さんはもうこちらには帰ってこないつもりだろう。年に1度か2度は故郷に帰ってくることはあっても、ここに戻ってくることはない。もう二度と一緒に仕事をすることはできない。あんなに幸せな時間は、もう僕には持てないんだ。

文子さんと一緒に子供たちを迎えに行っていた至福の時間は、もう戻ってこない。どれほど自分が幸せだったのか、僕は気が付いてなかった。失って初めてその大きさも、奇跡的だったことも思い知るんだろう。きっと僕の人生において、あんな出会いも、あんな時間も二度と持つことはできないだろう。あの時間は、大げさな言い方をすれば神が与えてくれた時間だった。そうとしか言いようがない。人間が幸せになるにはそう沢山のものはいらない。僅かな時間と僅かなものと、そして隣に心から好きな人がいてさえくれれば、あとは何もいらない。それで至福の喜び、至福の喜びの時を得ることができるんだ。ただそれだけなんだ。

SMS で調べたところで、何か分かったとしてもどうにもならない。文子さんは身近にいる人でなければ、きっとあんな風に好きになってはくれないと思う。文子さんが心を許してくれるのは、一緒にずっといて、人柄がよく分かっている人間に対してだけだ。要するに次の職場でそういう人間には出会うだろうけど、彼女がここに戻ることはない。

全ては3月20日に終わってしまった。

あぁ恋がしたい、僕の内ではもう文子さんしか考えられないと思っていたけれども、今はそれはあまりにも遠すぎる気がする。僕が栃木県に行ったとしても、そして文子さんに会えたとしても。一緒の職場で働けるなら別だけどそうでない限り自然に出会って、自然に恋をするというようなことには2度とならないだろう。文子さんはいつも身近にいてくれる人とでなければ恋心を抱いたりするようなことにはならない人だから。

誰かのことを好きになるなんてごくごく普通に毎日のように起こっていると思っていたけれど、恋をするというようなことは、ほとんど奇跡に近いのかもしれない。相手と時間と二人が置かれた環境と、全てがうまく揃わないと出来ないのかもしれない。

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