6話「私のせいだ」
あれから数日後、まどかが倒れて病院に搬送されたと一報が入った。
それを聞いた美夜は慌てて病院に駆け込んだ。
「まどか。私、美夜」
ノックをしても返事はない。
「まどか、入るよ」
もう一度ノックをして、恐る恐る扉を開けた。
扉を開けた瞬間に、隙間からもわりと廊下に溢れ出してくる悪い気。
人の生き死にに関わる病院自体あまり良い気は漂っていないが、まどかの部屋から感じるのはそれとは比べものにならない程に重いもの。
病室に足を踏み入れた途端、ずしんと体が重くなるのを感じ美夜は眉間に皺を寄せた。ここにいるのがまどかでなければ、すぐに踵を返しているところだ。
「まどか……」
清潔感があるこじんまりとした個室。
窓際に置かれたベッドの上でまどかは眠っているようだった。
だが、美夜には友人の周囲を囲むように漂うどす黒い靄が見えていた。これが病室の空気を悪くしている元凶だろう。
自分のせいでこれ以上まどかに悪影響を及ぼしたらと、しばらく連絡すらとっていなかったがたった数日でここまで状況が悪化しているなんて予想だにしていなかった。
黒い靄を凝視すると、枕元に人影のようなものが佇み、まどかの耳元にずっと何かを囁きかけていた。
「…………っ、まどかから離れて!」
それを見た瞬間、美夜はまどかに駆け寄り両腕を目一杯振り回し靄を払う。
だが、霊を祓う力がない美夜のその行動は無意味。枕元に佇む黒いソレは勝ち誇ったようにほくそ笑んでいる。
「――っ!」
馬鹿にされた。お前にはどうすることもできないだろうと、見破られた。
見えている。友人を苦しめている正体が分かっているというのに、見えるだけではどうすることもできない。
己の無力さを痛感する。あまりの悔しさに、美夜は血を流すほど唇をきつく噛み締めた。
「…………み、や?」
美夜の手を冷たいなにかが触れた。
弱々しい声が聞こえ、驚いて下を見ると、薄っすらと目を開けたまどかが不安げに美夜を見上げていた。
やせ細った体。目の下の酷い隈に窶れた顔。変わり果てた友人の姿に、美夜は思わず言葉を失った。
「……心配、かけてごめんね? 過労、だって。はじめての作品展でちょっと張り切りすぎちゃったのかな」
「…………まどか」
辛そうに微笑みを浮かべるまどかに涙がこみ上げる美夜だが、ぐっと喉奥を引き締め堪える。
「最近ね、頭がとっても重いんだ。ずっと誰かに見られているような気がして、あんまり眠れなくて」
まどかは虚ろに呟く。
枕元に立つ黒い影は彼女の目には写っていない。
「……まどか、あのね」
声が震えて先の言葉が出てこない。
まどかに悪いものが憑いているなんていえるはずがない。
彼女の前で、神流水に啖呵をきって詐欺師だと罵った。それなのに、今更あのブレスレットを買い戻そうなんて口が裂けてもいえるはずがない。
もしかしたら神流水は本当にまどかを守っていてくれたのかもしれない。
その守りを自分がブレスレットを取り上げたことで弱めてしまった。
悪霊を人に寄せ付けるくせに、祓うこともできない、無力な己のせいで。
「……美夜、大丈夫?」
今にも泣きそうに顔を歪める美夜をまどかは心配そうに見つめている。
美夜が返す言葉を探していると、病室の扉がノックされた。
「――朝霧さん、大丈夫?」
そこには同年代の数人の男女が立っていた。
あの展覧会でちらりと見覚えのある顔もいる。恐らくまどかの大学の友人なのかもしれない。
「あ……皆きてくれたんだ。あのね、美夜。この人たちは大学の友達で――」
「まどか、また来るね」
美夜は立ち上がった。
自分はここにいていい人間ではない。
まどかだけではない。また無関係で見知らぬ人間を巻き込んでしまうかもしれない。
「……美夜、本当に大丈夫?」
「まどか。私が、必ず助けるから」
まどかの制止を振り切って、美夜は見舞いに訪れた友人たちの横をすり抜け病室を出た。
廊下を早足で歩き、病院を出ると走りだす。
「私のせいだ。私のせいだ……」
どうしよう。どうしたらまどかを助けられる。
あれは一刻も早く祓わなければならない。けれど、自分に霊を祓う力なんてない。
けれど、今は一人だけ頼れる人間がいる。
信じていいかわからないし、できれば頼りたくないのだけれど--。
息が切れて立ち止まった美夜は、ポケットの中から一枚の名刺を取り出す。
「――もしもし、望月です」
脳裏に蘇るあのいけ好かない笑顔。
だが、今の美夜はあの正体不明のあの詐欺師に頼らざるを得なかったのである。
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