お嬢さま陰陽師シレン♡大正浪漫と男爵令嬢の筆になった少年

猫海士ゲル

序:令嬢の憂鬱

 賑やかながくラン姿の一団をかき分け、わたしは洋間へと向かった。

 桜色の着物に紺の女袴おんなばかま。至って普通の格好で歩いているつもりだったが、床を叩く革製のブーツが気に障ったか。

 あるいは後頭部で髪を一本に束ねて垂らす髪型ポニーテールに興味がお有りなのだろうか。

 嘗め回すように声をかけてくる客人がいた。


 見知らぬ顔だった。


 あえて素知らぬふりをする。


 居合わせた訳知りの帝大生がくせいが困り顔で、その一見いちげんさんに何やら耳打ちした。

 一見さんは頭を掻きながら頬を赤らめ、しつこく話しかけることを諦めて大人しくなった。再びシベリアをミルクで流し込んでいる。

 帝大生が視線を向けてきたので軽く会釈してその場を立ち去った。



 洋間に置かれた長椅子が視界に入ると一気に疲れを思い出した。わたしは愛おしいものへ飛び込むように雪崩なだれれ込む。

 帝都女子ていとじょし校の制服が「しわくちゃになる」と周囲から小さく声が上がるが気にしない。お父様自らが仏蘭西ふらんすで商談し買い付けた羽毛入りの布張り椅子は、とても優しい柔らかさだったから。

 そんなことよりも、椅子がわたし専用になってしまっていることに罪悪感を感じていた。

 申し訳なく思うのだけど……ホステスさんたちの顔をチラ見した。


「お嬢さま、気にすることはありませんよ」


 その言葉は「どうせ満室になるほど客なんて来ないから」と聞こえた。

 このミルクホールは華宮はなみやの直営店だ。それでは会社が困ることになる。

 父の渋い顔が脳裏を過った。

 新・華族かぞくとして陛下より賜る『男爵だんしゃく』としての地位も威厳も失墜するだろう──そうなったら昔みたいに、また一緒に遊んでくれるかしら?


「あきれた。本当に、ここへ来ていたのね」


 ホステスさん達の「あ、奥様ッ」と戸惑いに混じって、聞き覚えのある声がわたしを揺り起こした。寝そべったままの姿勢で腰を浮かし、上半身だけを捩って顔をあげる。

「なんですか、はしたない。ちゃんと座りなさい」

 鮮やかな空色に紫の蝶が飛んでいた。

 まばゆいばかりの華麗さと、しかし華美になりすぎない品の良い淑やかさを併せ持つ中年女性の着物が視界に飛び込んできた。

 小煩いながらも、どこか温かみのある声色。私の中の戯けた悪戯心が口をついて出た。


「あ、お母様……です」


 母は眼をまん丸にして驚いたように、

「同じ屋根の下に暮らしていながら、その挨拶なの。嫌味かしら」

 わたしは長椅子から立ち上がると母に正対した。


「だって、お母様いつも書斎に籠もりっきりでお会い出来ないもの。お父様も商売が忙しくて留守ばかり。華宮家にはわたしと田江たえさんしかいないも同然。わたし一人のために田江さんが働くのは申し訳がないわ」


「このお店の人たちも働いているのよ。枝恋のために気をつかわせているわ」

「わたし、お客さんだもん」

「十四の娘を、客として迎えるミルクホールはありません」

 ぶーっ、わたしはむくれてみせた。頬を丸め視線を逸らす。


 ふふっ、と母は突然和やかな笑顔を魅せる。この切り返しの早さは女として見習うべきかもしれない。


「枝恋、買い物に付き合ってちょうだい」




 皇紀こうき二五八七年。

 大帝たいてい崩御ほうぎょを期に元号げんごうが大正となって一六年目。


 「あの日が嘘みたいね」


 母の軽いつぶやき。

 わたしは指先から差し込む陽射しを見上げる。

 桜舞う平和な帝都を母娘で歩ける幸せなひととき。銀座の活気は、あの忌まわしい「帝都大厄災ていとだいやくさい」から街が立ち直った証だった。



   ※   ※   ※   ※   ※



 ──四年前、初秋。正午直前に帝都の大地が激しく揺れた。

 三千大千さんぜんだいせん世界から魑魅魍魎ちみもうりょうたちが乗り込んで来たのだ。この世ならざる者どもが怒り狂っているようにも思えた。


 家屋は次々に崩壊し、人々は混乱した。歩道には瓦礫やガラスの破片が散乱した。大勢の人々が逃げだそうとして、壊れた建物の下敷きになっていた。黒々した煙や埃が夜のように視界を遮る。怒声と悲鳴があちこちから聞こえてきた。多くの命が今生こんじょうより失われた。


 我が家からも火が上がった。田江さんが悲痛な叫びでわたしの名を呼び続けた。わたしは裸足で庭へと駆けだしていたが、そこで転んで動けなくなっていた。母屋の壁が崩落するさまを瞳に焼き付けながら泣き出す余裕すら無くなっていた。


「お姉ちゃん、助けてあげようか」


 どこかで声が聞こえた。庭の一角、雑草が覆い茂ったそこに紅い色をした万年筆はあった。


「助けてッ!」


「いいよ、その代わり……」



   ※   ※   ※   ※   ※



「どこへ行く気なの?」

 母に止められ、視線を身の回りに戻した。

 大型文具店の入り口で母は笑っていた。

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