第10話「非日常の自乗」

 と、いう訳で。

 放課後、僕たちは大型量販店に向かった。

 婦人服、下着売り場だ。

 摩耶まやの話では、オーソドックスなタイプを買うなら品質とお買い得感でこういう店を選ぶらしい。ワゴンでのセールもあるかもしれないとのことだった。

 僕だけが男子な雰囲気で、全くもってアウェーな感じだった。


「でもさー、花未はなみさん。ちょっと子供っぽくない? キャラものの下着って」

「あら、アタシはいいと思うわよ? かわいいし!」

「……動物は、好き。私の世界では全部、絶滅してるから」


 その話題にのぼってるネコちゃんパンツやらカバさんパンツやらは、紙袋に入れて僕が持たされている。他にも、部屋着のスウェットやらブラジャーやら、山ほど買ったようだ。

 因みに、花未はセーラー服のポケットから札束を直接出して会計を終えた。

 なので、慌てて財布さいふも買いに行こうという話になったのだった。

 そぞろに商店街を歩けば、春の陽気に浮かれた空気が心地よい。


「で、摩耶。次はどこに行くんだ?」

「ああ、俺がよく行くアパレルショップさ。やっぱ、私服もかわいいの揃えたいしな! お財布もちょっと高級感出したいし」

「お、おう」


 キャラキャラと笑っているが、摩耶は男だ。

 いわゆる、男の娘オトコノコである。

 だが、それがいい。

 男の娘が好きという意味ではなく、摩耶が摩耶らしく生きられるのが素晴らしいと思う。ただ、あんまり女装が似合っているので、ラノベ脳的にはフラグがバリサンって感じだった。

 いかんいかん、摩耶は親友、摩耶はお友達!

 脳裏に念仏のように唱え続けていると、不意に周囲にざわめきが広がった。


「ん、なんだ? ……え、えっ!? なんだこれ!」


 商店街のメインストリートを路地に入った、その曲がり角だった。

 そこに、強面な黒スーツの男たちが並んでいる。なんだか、この先は行き止まりだ……ほかを当たれ、的な空気だ。

 いやいや、待って。待てって。

 なんで?

 ここは平和な、そして平凡な商店街よ?

 そう思っていると、黒服の一人がサングラスを外しながら前に出る。


「すみません、この先は工事中でして。申し訳ありませんが、他の道をお願いしますね」


 とても丁寧な物腰で、言葉も柔らかい。

 なのに、その声音には有無を言わさぬ印象があった。これはお願いではなく、まるで命令のような口調だった。しかも、笑顔なのに威圧感が凄い。

 触らぬ神にたたりなし、僕がそう思った瞬間だった。

 神の方から触りに来たようで、周囲の男たちが慌ただしくなる。


「なにっ? 目標が封鎖区画を突破? そ、それで、お嬢様はっ!」

「各員、移動するぞ! 作戦をプランCへ変更」

「そこのお嬢ちゃんたちも、避難するんだ! もうすぐここに――」


 不意に、風が舞い上がった。

 そして、視界が暗くなる。

 広げた翼の影だと気付いた時には、強烈な風圧が地面に叩きつけられる。

 黒服たちは流石さすがにプロなのか、すぐにスーツの奥から拳銃を取り出した。そう、殺しのプロだったのだ。しかし、上空のプレッシャーは弾丸をも弾き返す。


「うそっ、ワイバーンじゃん! なんでこんなとこにっ!」


 摩耶の声が絶叫に遮られた。

 そう、竜だ……一狩り行こうぜ! でお馴染なじみの飛竜である。

 この現代の日本の、都心に突然のモンスター。それも、現実には存在し得ない幻想の象徴たる竜だ。

 響き渡る咆哮に、周囲の建物はビリビリと窓ガラスを泣かせる。

 そして、ギョロリと光る巨大な瞳が僕たちを見据えた。

 あっ、タゲられた。

 そう思った時にはもう、竜の口からは炎が放たれようとしていた。


「くっ、また君たちか! ヨハン先生、みんなを連れて逃げるんだっ!」


 鮮やかな紅白の疾風しっぷうが、屋根伝いにせる。

 巫女装束みこしょうぞくの身を包んだ冥沙めいさ先輩は、手にした弓に矢を番えて跳んだ。

 またこのパターン! この街、いったいどうなってしまったんだ?

 だが、一人だけ冷静な人物が腕時計に目を落とす。


「特異点反応、増大……やはり神凪冥沙かんなぎめいさが特異点なのか?」


 この暴風の中で、花未だけはいつもの真顔だった。

 彼女は即座に、キャーと叫ぶ壱夜いよを抱き上げる。無言で頷きを交わして、僕たちは来た道を全速力で走り始めた。

 同時に、背後で激しい爆発が巻き起こる。

 竜の息吹いぶきは烈火の豪炎ごうえん、数秒前の僕たちは蒸発した。

 その熱風にあおられながら、必死で走れば異変に気付く。


「あ、あれ? 摩耶? 摩耶ーっ! ……嘘だろ、お前」


 摩耶の姿がない。

 ちらりと見やれば、花未も静かに首を横に振る。

 屋根から屋根へと八艘飛はっそうとびの冥沙先輩に至っては、竜との戦闘でこちらに気を使う余裕がなさそうだ。

 もしや、逃げ遅れてブレスの餌食えじきになったのか?

 そう思えば、自然と脚が止まって僕は振り返る。

 しかし、周囲の店や家屋をバリバリ破壊しながら、狭そうに着地するワイバーンがいるだけだった。当たり前のように、自らが発した炎を翼の羽撃はばたきで広げてゆく。

 商店街の方も既に、悲鳴が連鎖するパニック状態だった。


一ノ瀬隆良いちのせたから、今は逃げるんだ。纏摩耶まといまやを心配している余裕はない」

「ちょっと、隆良! アンタ、しゃきっとしなさいよ! あと、花未! アタシを降ろして! 一人で走れるから!」


 ジタバタと藻掻もがく壱夜を、無表情で花未は下ろす。

 呆然ぼうぜんとする僕に詰め寄ってきた壱夜は、ガシッ! と手を握ってきた。そのまま強く握り締めて走り出す。よたよたと僕は、引きずられるように脚を動かした。


「いいから今は逃げるの! まず、自分の安全!」

「あ、ああ……でも」

「アンタにまで死なれたらアタシ、嫌なの! ……あっ、ゴ、ゴメン」

「いや、いいんだ……僕こそ済まない。まずは逃げよう!」


 僕は漠然ばくぜんと思い出していた。

 僕の日常はもう、非日常が当たり前になってしまっている。

 花未のいう特異点の影響だと思うし、僕が平和だと思っていた世界は一皮剥けば、ファンタジーな危険が散りばめられていたのだった。

 矢が尽きたのか、頭上の冥沙先輩が弓を捨てて降りてくる。


「済まない、ヨハン先生! 私の落ち度だ。この怪異……過去に前例のないタイプだ」

「冥沙先輩っ! 昨晩みたいにサクッと倒しちゃってくださいよおおおお!」

「そうしたいのは山々だがな、ヨハン先生。神通力の効きが悪い。危険だが近接戦闘を試みるしかないだろう」

「気をつけてくださいね! 無事を祈ってます! あと、その名で呼ばないでくださいいいいいい!」


 僕は必死で走った。

 シュタッと姿を消した冥沙先輩は、抜刀と同時にワイバーンに向かってゆく。

 はやくたおして、やくめでしょ。

 などと思いつつも冥沙先輩自体が心配でたまらない。

 僕を引っ張り逃げてくれる壱夜も、汗に濡れた手が震えていた。

 そして、違和感にようやく僕は気付く。


「……そうか。いわゆる、属性的な? そういうことってあるのか?」

「ちょっと隆良! ブツブツ言ってないで走るの! ――ひあっ!?」


 ちょっとかわいい声を叫んで、壱夜が転んだ。

 慌てて僕が今度は踏ん張って止まり、どうにか彼女を立たせようとする。

 迫るワイバーンの牙を前に、立ちはだかるように冥沙先輩がつるぎを構えた。

 だが、先程彼女は言っていた。

 神通力の効きが悪い……つまり、的確にダメージが与えられないと。


牛鬼ぎゅうきと違って、こいつ……このワイバーン、!」


 ふっ、Q.E.D.! 証明完了!

 これはラノベ作家たる僕だからこそ思いつく仮説だ。え? 仮説なら証明完了してないって? うん、まあそうだね……自信なくなってきた。

 でも、妙な確信がある。

 古い剣を振るって戦う、巫女装束のヒロイン。

 その相手が、西洋のモンスターというのはおかしいだろう。

 現に、冥沙先輩も見たことがないタイプだと言っていた。

 ここで出てくるなら、アジア特有のりゅう、日本昔ばなしに出てくるような龍が望ましい。それが、世界観と設定として最もしっくりくるものだ。


「世界観が違うから、冥沙先輩の凶祓まがばらいの力が通らないじゃないか? なら、どうする」


 目の前に今、そびえる山のごとき巨体が迫っていた。

 僕は必死で壱夜を立たせようとして、同時に全身で彼女をかばう。

 花未は無数のウィンドウを空中に広げたまま、いつもの無感情でワイバーンを見上げていた。もう、僕たちはワイバーンの鼻息が感じられる距離に追い込まれていた。


「花未っ! 君は逃げろ! 壱夜を連れて逃げてくれ!」

「しかし、一ノ瀬隆良。特異点の反応が強くなって」

「いいから逃げろって! ここは僕に任せて!」


 僕になにができるとは言わない。

 阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずと化した商店街で、それでも僕は吼えてみせた。

 僕がやられる一瞬の間でも、花未なら壱夜を連れて離脱できる。このスーパー転校生が強靭な身体能力を持っていることは周知の事実だ。

 だが、そうはならなかった。


「そこまでだよっ、荒ぶる幻邪イビルシードっ! ここから先は、わたしが相手なんだからっ!」


 光の粒子がキラキラ舞って、突然の声がワイバーンを振り向かせる。

 そして、僕は見た。

 獰猛どうもうな視線の先、空に可憐な少女が浮かんでいる。

 箒にまたがりピンク色のドレスを翻した、その姿は……どこかで聴いたことのある声色で微笑んでいた。

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