レイニーデート

桜舞春音

1 丘の熱

 初夏の日差しはこんなにもきつかっただろうか。

 岐阜県多治見市。毎年最高気温を塗り替えるような暑さでも有名なこの町で、一人の少年が自転車を漕いでいた。


 飯田唯斗いいだゆいと 十二歳。紺色のヘルメットに紫のチェック柄半袖カッターシャツ、女子の様なデニムの短パンというコーデ。乗っているのは紺色のフレーム、ブラウンのパーツと後部箱、追加された前照灯にミラー、尾灯。安全かつ便利な仕様にされたヤマハ PASwith。全装備がつけられた状態で母親に押し付けられるように貰ったもの。それでも少しの力で遠くまで行けるこのPASを唯斗は気に入っていた。

 ミラーに過剰なまでの電装強化。唯斗の母親がここまでするのには勿論理由があった。


 唯斗は小学二年生のあたりから耳の聞こえが日に日に悪くなっていき次第に一番前の席でも教師の声が聞こえなくなり、これはまずいと連れて行った耳鼻科で両耳の突発性難聴と診断された。

 突発性難聴は四〇代あたりに多いが、耳の感覚細胞が傷つくという意味ではどの年代にも起こりえる病。

 両耳は稀なケースらしいが、十代の発症も決して少なくはないという。

 今まで通りの生活を送るのであれば補聴器が必要と言われた。

 補聴器をつけることは難聴を他者に公言することでもある。親も少なからず抵抗はあったがそれよりも唯斗の体のほうが大事だと思うのも当然のことだろう。


 医師から勧められたのは、完全矯正でないもの。その方が、後々の改善が早くなることが多いという。唯斗はおとなしく何でも受け入れるタイプだったのですぐに補聴器のある生活にも慣れていった。


 そんな耳の不調による事故を防ごうと異常な安全装備がつけられたPASで弁天町の坂を上る。青々とした木々が道に顔を出す郊外の坂道は、空に近いのと疲れるのとで上に行くほど暑くなる。唯斗は汗を拭き、地藏像でターンして坂を登り切ったところにある三階建ての住宅に着いた。自転車を降り、電源を切ってカーキのヘルメットを脱ぐ。うっそうと生い茂る木々の隙間から多治見の町並みが見渡せる丘の上。

 「ただいま」

 唯斗が玄関に入って言うと、階段から涼しい風と共に祖母の聡子さとこが下りてくる。

 「やめや~唯斗、こんないきる日に、自転車で買い物なんて」

 いきるは岐阜弁で蒸し暑いという意味。確かに今日は暑い。天気予報では三十度にもなるとか言っていた。

 「ええの。きょう買わんとわやだで」

 愛知の一宮で育ち岐阜に嫁いで来た聡子の影響で唯斗もだいぶ訛っている。唯斗は汗を拭き、手と顔を洗って着替える。耳以外は健康体そのものだったが割と痩せている。


 その時スマホが鳴った。聡子が小学校六年生でもう携帯を持つのかね、と言い、キッチンを片付け始める。唯斗がメールを開くと、差出人はクラスメイト。

 「今からそっち行くからな」

 今日は両親が居ない。聡子も出かける予定だった。だからクラスメイトを呼んでいたのだ。唯斗は

 「暑いから気を付けて。あとおばあちゃんおるから」

 とメールを返し、スマホを充電器に挿す。自転車と同じ紺色のスマホは少し汚れていた。


 一〇分もしないうちにインターホンが鳴り、一人の少年が来た。

 山口大葵やまぐちだいき。唯斗のクラスメイトで、昔から仲がいい奴。白い半袖ポロシャツに短パン、ヘルメットにカーキのリュック。いかにも小学生といった感じ。乗ってきたコンフォートスポーツタイプの自転車は無造作に庭に停められていた。


 唯斗と大葵は二階へ上がり、廊下を歩いて唯斗の部屋に向かった。南向きの一室は、七畳半の広さ。元々物が少ない唯斗には広すぎるくらい。大窓とバルコニーからは多治見の景色が一望できる。この丘をちょうど下りきったところに住んでいる大葵はたまにこの景色を見に唯斗の家にやってくる。


 そんな二人には、ある秘密があった。


 お互い気付いてこそいないが、両想いだということ。


 唯斗が大葵を好きになったのは一年前、小五の時。初めてクラスが同じになり、体育祭でリレーの練習を重ねるうちに何でもこなす大葵に惹かれていった。


 大葵はクラスが同じになる前から密かに唯斗に好意を寄せていた。身長は低くないが何だかかわいく、心が和む。次第に唯斗のことしか考えられなくなっていった。


 そんな二人が、密室の中。クーラーの効いたこの部屋で、ただ宿題を教え合いゲームをするだけ。それでも二人は心臓の鼓動を感じていた。 やたらと大きく脈を打つ唯斗の心臓。体温が上がり、胸がきゅんとする感覚が襲う。手が、肩が触れるたび、顔が近づくたび、一瞬一瞬の恋。

 時は流れ午後四時。そろそろ帰るわと、大葵が腰を上げる。口ではそっか、と言いつつ帰ってほしくない、ずっと一緒にいたいと思う唯斗。それでもやはり帰してしまった。それが当たり前で最善のことだが、やはりずっと一緒に居たかった。隣で笑ってほしかった。坂を下る大葵の自転車を、バルコニーから見下ろす。夕暮れ時の丘の上で、唯斗は呟いた。

 「僕、ほんとに大葵のこと好きになっちゃたんや...」

 唯斗は山に帰っていく鴉を見ながら、明日も学校で会える大葵への思いを馳せながら窓を閉めた。  










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