慮る

まる

第1話

「この時の筆者の気持ちを答えなさい」

この問題が嫌いな人が一定数いる。

彼らの言い分は概ねこれだ。

「それは筆者にしかわかりません。」


興味深い回答だと思う一方で、何故そのような問答になるのか不思議で堪らなかった。


最近になり、ようやくその違和感の正体が、「問題の趣旨の理解不足」だと気づいた。


出題者は、決して「この作品を認めている時の作者の心の内」を回答として求めていない。

何故ならそれが分かるのは、エスパーか長年連れ添った夫婦位のものだからだ。

理解されたうえで、問題は作られている。


求められているのは、「読解力」だ。

という答えでは、足りない。

「人の心情を慮る能力」。これも必要だ。


ヒントは問題文の至る所に散りばめられている。

時代、国、地域、天候、そして登場人物の年齢、性格、言動の癖。場合によっては、家族構成や交友関係も記されているだろう。


これらの情報を読み取り、それを元に思索する。即ち「推測」である。


この一連の流れを「読解」と一括りにして説明すると、齟齬が生まれるのだ。

本来「読解」の意味としては正しい。

しかし誤解する人達の大半はそもそも、単語が持つ意味への関心が薄い。

その為、解説を加える必要があるのだ。


誤解する人を分類すると、理系を選択した理由が「文系科目が苦手であること」という人が比較的多く居る。


彼等は例えば

「天気が悪い描写から、登場人物は憂鬱であると考えられる。」という解説に納得がいかない。

その条件では、等式が成立しないからだ。

「登場人物の中には、雨が好きな人だっているかもしれない。」

「憂鬱な理由は、天気のせいだけとは言いきれない。」

このように、例外があると分かっている。

そしてその理論は正しい。


一方で、

「気圧の変化により頭痛、吐き気、耳鳴り等、不調が生じること。」

「不十分な太陽光量下では、脳内物質の分泌不十分により意欲が低下しやすいこと。」

これらの現象はあまり考慮されていない。


つまり、「最も近しい回答」や「ニアイコール」に辿り着く為の予備知識が不足している可能性があるといえる。


問題を解く為には、情報が必要だ。

しかしその全てが問題文に記載されることはない。限られた文章から、推測する必要がある。難しい。難しいことだ。


しかし人間には「慮る」という能力がある。推測とは少し異なるが、これが国語問題には役に立つ。

何故なら、設問を作ったのは人であり、内容のほとんどに人が登場するからだ。


どうか、不確定で曖昧な「気持ち」という問題に対して「知識と能力」を以て最適解に辿り着いてほしい。


そう願っている。

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慮る まる @maru0maru

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