奈落のスターゲイザー

久湊 敦

硝子の棺を運ぶ小人達

第一章『それは過去の再演』


 人が空を飛ぶには、どうすればいいか。

 ガラス張りの窓の向こうで、離陸する飛行機。それを横目に眺める、逆光の人影が一人。青空を割いて飛ぶ旅客機から目を離さないまま、スーツケースを引きずる足取りは軽やかだ。その耳にはエンジンの豪快なモーター音しか聞こえていない。

 一九〇〇年代に旅客機を実用化させた人類は、一世紀半近く経った今日も、百五十トンを超える鉄の塊を空に飛ばしている。発券作業や荷物の預かりをするスタッフの他にも、犯罪を防ぐ税関、整備士は燃料を補給し、滑走路で飛行機の誘導をするマージャラーも居る。旅行会社と連携するセールス、天候の観測予測、搭乗人数で変わる重量から都度的確なフライトプランを練るディスパッチャー等々。利用客の目に触れない者達まで含めれば、たった一便を飛ばすのに数千人がたずさ

「わっ⁉︎」

 人にぶつかり、冷たいタイルに尻餅をつく。その途端、ここまで置き去りにしてきた空港の喧騒に飲み込まれる。

『ロサンゼルス航空から出発便のご案内をいたします。パリ行き八時四十分発一一七便は、』

 小気味良く鳴る電子チャイム、順番待ちの椅子に座る親子の会話、ガイドブックを一緒に眺める女性たちの話し声、後ろからはサラリーマンの忙しない靴音が聞こえる。

 人混みの中、ぶつかった相手を見上げる。収まり切らなかったダウンジャケットを、キャリーバックの上に拘束バンドで取り付けた男性が、ポカンと目を丸くしてこちらを見ている。

 どうやら旅行客のようだった。

「すみません!余所見をしていて」

「いえ、こちらこそ……?」

 気を悪くした素振りもなく手を差し伸ばしてくれた男性が、首を傾げた。手を取り立ち上がった相手の姿が自然と目に入る。

 無造作に束ねられた柔らかい金髪、中性的な顔立ちに真夜中を閉じ込めた瞳、ピンクのパーカーにカーキ色のサルエルパンツ、紺色の靴下にローファーを履いているは平凡だ。

 ただ、その上からサイズが合わないぶかぶかの白衣をまとっている。

『保安検査場をお通りになり、二番搭乗口より……』

「うわ、もう行かないと」

 スーツケースを掴み直し駆け出した所で、呼び止められる。

「失礼。旅行、ですか?」

 おおよそ空港に居るには、特異な姿に映ったのだろう。

「あぁ、いえ。インターン先が決まって、帰郷するんです——」

 ぶつかっても直ぐ許してくれたことから、警戒心が緩んでるのか、簡単に教えて貰えた。

 理工生、ミシェル・ローランは笑顔で振り返る。

「——魔女狩りの国へ」


  ◇◆◇◆


 むかつくほど晴れやかな青空に、海の波音が被さった。

 二月中旬だというのに、気温は三十度近い。太陽の光を一身に受けて、屋上には陽炎が出来ている。

 アレクサンドリアの海岸沿いに建つ、観光客向けリゾートホテルの天辺だ。

 大理石の床は所々が芝生に切り取られ、南国の観葉植物が生い茂り、無駄に豪華な彫刻が施された噴水が水を循環させていた。

 潮の匂いが混ざった茹だる風が吹き上げてきて、肌を撫でていく。

 風に揺らぐ椰子の葉の裏を、海色の瞳で睨みつける青年が一人。

「クソったれが。トレジャーハンターって格好良く言ったってやってることは遺跡泥棒だろ」

 椰子の木が作る細やかな木陰にて、手すりに力なくもたれ掛かっている。小豆色をした短髪の青年は、スカイグレーの迷彩服の胸元を開ける。

「なんだよオリヴィエ。いつになく機嫌悪いじゃん」

 コーンロウの髪型をした褐色肌の同僚が、双眼鏡でビーチを覗き込みながら「発掘産業が盛んな国だから、あやかる輩も多いんだよ」とぼやく。

「それってアレだろ?大昔は今より文明が発展してましたってよく聞く仮説アレ。ミイラの保存方法やら見りゃ眉唾物だって分かるだろうに……」

 オリヴィエと呼ばれた青年は、わなわなと拳を握り締める。

「俺たちが仕事をしている今この瞬間だって、その賊共がエアコンの効いた室内で冷えたシャンパンを乾杯させてんのが気に食わねぇ!」

「オリヴィエの悪人像はビルの最上階でバスローブ着てお酒飲んでるの?」

 ボサボサに前髪が伸びた眼鏡のハッカーが、胡座の上に置いたノートパソコンをいじりながら呟く。

 迷彩柄の隊服を着込んだ二人と違い、戦わない彼は上着を脱ぎ、白いシャツの襟で仰いでいた。

 隣に立つ同僚が、拡大された視界で向かいの立体駐車場を眺めながら嘯く。

「どっちかっていうと悪逆後の打ち上げのイメージだろ。あいつら、寄贈先に移送中の車両を襲撃して、発掘品を強奪してるって話じゃん」

「マジかよ。最近の遺跡泥棒、遺跡に潜らねぇの?」

 オリヴィエはローテンションのまま軽く驚く素振りを見せる。

「もう普通に盗賊団とか窃盗団でよくない?班長も言ってたよ」

 ブルーライトで疲れた目をしたハッカーに二人の視線が集中した所へ、カモメの鳴き声が降って来た。

 三者三様。オリヴィエたちの共通点は殆ど無い。

 現在十九歳のオリヴィエが一年前に入った〈トラップセラー〉の中でも、空挺舞台と呼ばれるここの入隊条件は至ってシンプルだ。

 半年の軍事訓練と筆記試験、その後の面接に合格すれば晴れて機関の仲間入り。

 だからオリヴィエは隣の二人の経歴は知らない。逆に二人からすればオリヴィエはちょっとした有名人なのだが、その話は割愛しよう。

 何もかもがバラバラの彼らが集った理由はただ一つ——

 

『こちらポイントデルタ、民間人の避難を完了した』

『ポイントチャーリー、同じく完了』

『解析班より報告。敵は四十階一〇一室に固まってる。電子ロックの解除完了』

『監視カメラ確認。見張りの位置を端末に送信する』

『こちら司令部、聞こえたな突入班。出入り口を抑え合流次第、標的を制圧せよ』

 

「四十って最上階じゃねぇか。一番乗りだぜ」

 耳元のインカムから同時通話で流れてくる報告を受け取り、オリヴィエは肩から下げた軍用ライフルを構え直す。

「ロックの解除が遠隔で出来たなら、僕は必要なさそうだけど、同行しなきゃ駄目?」

「怖いなら待ってて良いぜー、誰も上がって来なけりゃいいな⭐︎」

 愉快な同僚が軽口でハッカーを立ち上がらせる。

「じゃ、盗賊退治といくか」

 屋上の不正取引を行う客が乗り付けたらしいヘリコプター(既にガソリンを抜いてある)があるヘリポートを後にし、オリヴィエは屋内に続く扉に手を掛けた。

 

 ——盗品が出される闇オークションの阻止……窃盗犯と参加客を捕縛する作戦が始まる。

 

 

 貸し切られた一〇一室は、最上階を丸々一つ使った一面ガラス張りの大広間だ。

 窓は全て防弾仕様で、先鋭されたデザインの家具が全てそちら側に寄せられている。

 御影石のタイルは綺麗に磨かれ、オークションの客たちが反射して映っていた。

 廊下側の壁際には、護衛、という形で窃盗団の黒づくめが等間隔で立っている。

 最奥、三段ほど高くなった壇上にて、マイクを持った髭の男が盗賊のリーダーだった。スレンダーラインのパーティドレスを纏った女性を横に侍らしている。

『それでは、二千年の時を超え現代に姿を現した発掘品の数々、是非とも皆様のコレクションが潤いますよう。オークションを開始致します』

 例え鉱物的な価値が低くても、遺跡に眠っていた古代の遺物という付加価値が付けば、金に糸目を付けないコレクター達が釣れる。ここに集まった参加者たちは皆そんな富豪たちだ。

 お得意様である故、ホテル側もある程度は目を瞑る。ロマン様様だ。金ヅルたちの拍手を受けて、リーダーは内心ほくそ笑む。

『まず最初の品は、』

 拡声される進行を聞いていた護衛の耳が、廊下に続く扉のロックが解除された音を拾う。

 外の見張りが開けたのか、確認する為にドアを狭く開いた。直後。

 

 蹴り飛ばされた黒づくめが、広間に吊り下げられたシャンデリアにぶつかった。

 

 何が起きたか分からず戸惑う参加者の中心に、どさりと落下する。

 その場に居た全員が、黒づくめの飛んできた扉の方を一斉に振り返った。

「はぁいどうも皆さんご機嫌麗しゅう。俺たちは正規の発掘チームが汗水垂らして掘り上げた成果を横から掻っ攫う野郎共ハンターでー……ダメだなこの名前クソダセェ」

 オリヴィエが合流した仲間に「真面目にやれ」と後頭部をライフルの角で小突かれる。一番乗りは咳払いをしてから声を張り上げた。

 

「我々はトラップセラー海外派遣統括局所属第七空挺舞台!マレフィキウム国際条約に則り、窃盗、傷害、不正取引禁止法違反の現行犯でお前たちを拘束する!抵抗するのであれば——」

 

 黒づくめの窃盗団の団員たちが、殺意でもって拳銃をオリヴィエたちに向け……その全てがライフル弾の掃射で弾かれ、後方へ吹き飛ぶ。

「——命を賭けろよ。クソ野郎」

 窃盗団は密売で手に入れた不揃いの小銃を構えて襲い掛かり、参加者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。

 オリヴィエたち第七空挺舞台、前線実働部の突入班は、軍から支給された武器でそれを捌きにかかる。

 第一陣が戦闘に走ったことで、廊下で待機していた仲間たちも助太刀に入る。赤いシックな高級絨毯でも吸い取りきれない、アーミーブーツの足音が雪崩れ込んでいく。

 扉の脇で、不測の際に電子ロックを直接解除する手筈だったハッカーは、スンとその様を見送っていく。中の様子は覗かない。戦況が有利に傾くことを、ハッカーは同行者の顔触れから判断していた。

 正面からナイフを持って駆けてきた男の左胸を、オリヴィエは銃口で突き、怯んだ顔面を鷲掴み、横から拳銃で襲ってきた別の男にぶつけて倒す。

「オリヴィエ凄いぞ見ろよ、マジでシャンパンあった!」

 野郎共が野太い声をあげて乱戦する最中でも、同僚はラベリングされた瓶の首丈を握って笑顔で振り返る。

「酔って味方を誤射すんなよ!」

 オリヴィエは大男が叩きつけてきた戦斧を躱し、太腿に容赦なく撃ち込み、崩れ落ちてきた顔面に回し蹴りを入れる。

「大丈夫、今の気分はテキーラだから!」

 同僚は小銃を連射して来た敵の懐に潜り込みシャンパンの瓶で顎を殴り上げた。ガラス片と金色の酒が舞う。

 女性隊員たちが喚く参加者たちを捕縛しているのを確認し、オリヴィエは壇上の上で狙いを定めているリーダーの狙撃銃へ発砲した。

「投降しろ。上司なら勝ち目のねぇ状況はきちんと見抜くもんだぜ?てめぇに付いてく部下も可哀想だな」

「黙れ!我々『降霊の傍受』がこんな所で終わる訳にはいかないのだ!」

「横から掠め取る気満々の名前だな。いやどうでもいいけど」

 興味無さげなオリヴィエへ、同僚が口を手で隠し耳元へ聞こえやすい声で訂正する。

「駄目だぜ。名前が似ているそっくりさんだったら、誤認逮捕で賠償問題が起きちまう」

「えっ、ただでさえセコい真似するみみっちい組織なのに名前パクった下位互換までいんの?治安悪過ぎじゃね」

「ぶっ殺しちまえ‼︎‼︎」

 ぶち切れたリーダーの、もう狙いもへったくれもない拳銃の乱射を、同僚とオリヴィエは左右に跳んで避ける。

 オリヴィエは宙に身を投げ出したまま、ライフルの照準をリーダーの心臓部に定めて引き金を引く。

 リーダーは控えさせていた女性の前髪を乱暴に掴み、自身の前に肉壁として引き寄せた。

 悲鳴をあげる女性の前で、明後日の方角で鉛玉が火花を散らせる。

「さっさとお前も来い!」

 リーダーは女性の髪を掴んだまま引っ張って窓へと逃げる。

 それを追いかけながら、オリヴィエはインカムのスイッチを入れた。

 

「〈魔女〉を発見!五.五六mmが弾かれた、恐らく——」

 

 言い終わる前に、一面の窓硝子に巨大な亀裂が走る。

「——

 窓全体が砕ける音と共に、盛大にガラス片を外へ飛び散らせた。

 割れた窓際に駆け寄ったオリヴィエが目にしたのは、で向かいの立体駐車場に降りて行くリーダーと魔女。

「向かいの駐車場に足を残してやがった!誰か行けるか⁉︎」

 答えを待つより先に、駐車場と外を隔てる縁より一台のトラックが飛び出す。

 道路へ乱暴に着地し、タイヤの擦れる音を撒き散らしながら逃走を図った。

『こちらポイントアルファ追撃班、今追跡に入った……機関銃も効いてる様子が無い。これより次善の作戦に移行する』

 人気の無い大通りにて、無骨なトラックを屋根の開いた軍用車両が追走していく。

「飛んで逃げない辺り、長時間の展開は向いてねぇのか」

 それを見送りながら、オリヴィエは背後から忍び寄り襲いかかってきたコソ泥に鉛玉をぶち込む。

「あーあ。あいつら、此処で捕まっておけば良かったのにねー」

 大体いつもニコニコしている同僚が、鋭利に割れた返り血付きの酒瓶を放り捨てる。

 オリヴィエは概ね同意しながらも、肩をすくめて呟いた。

「まぁ、主役様に出番が無いのも味気ねぇだろ」

 

 

 大通りのカーチェイスは距離を保ったまま続いていた。

 軍用車両には携行型ミサイルも積まれていたが、効かずに刺激させるだけの結果は好ましくない。現在は民間人の避難が奏功しているが、窃盗団のトラックが一般の車を轢き潰してでも逃亡するロードローラーと化す危険があるためだ。

『こちらポイントデルタ、横道の封鎖を完了』

『ポイントチャーリー、同じく』

『ポイントエコーより、大型トラックの通過を確認。窃盗団の車両です』

 インカムからの報告を聞いた追撃班の班長は、アクセルを踏む足に力を込めた。

 

 

「馬鹿が、直接乗り込んでくるなら潰してやる。分かってるなお前、飛べない分役に立て!」

 助手席のリーダーが、真ん中の補助席で丸まっている魔女の肩を掴む。魔女が震えながら何度も頷く最中、オークション中トラックに控えていた運転席の部下が、視界に人影を捉える。

 周囲が冷気を帯び、気温が下がっていく空間に、少女が立っていた。

 十二歳程の小柄な体躯を、雪の結晶を思わせる意匠の凝らされた、ネイビーブルーを基調とするゴシックなパイロットスーツで包んでいる。黒のチョーカーがきらりと光った。

 風に晒されても乱れない濡羽色の髪に、花色をした水晶面のようなメッシュが入っている。

 陶器と見紛う肌は、例年と比べ猛暑だというのに、汗一つ浮かんでいない。

カシラぁ、目の前に子供が!」

「はぁ⁉︎邪魔するなら構わん轢き殺せ‼︎」

 

 月白色の瞳が、唸りをあげて加速するトラックを捉える。

『追撃班からスノーラビットへ、標的をポイントブラボーへ誘導した。迎撃の準備を』

 白いインカムからの通達を耳に、少女は凛とした声音で喉を震わした。

「スノーラビット了解。いつでもいいよ」

 右腕を挙げ、窃盗団の残党を冷ややかに見据える。

『こちら突入班、盗品は確保した。遠慮なくやっちまえ』

 オリヴィエからの連絡に、少女はたった一言「そう……」と小さく息を吐く。

 そして、

 目の前に迫り来る、銃撃さえ容易に跳ね返す暴走車へ、

 無造作に右手を振り下ろした。

 

 直後トラックの荷台へ、縦十八メートル重量六十トンの雪色をした棺が、上から直撃する。

 

 重厚な棺が車両の装甲を容易く食い千切り、真下の道路にぶつかり轟音を響かせた。

 海老反りになったトラックは成す術無く爆破する。

「あれに撃ち込むのって、弾代の無駄じゃん」

 辺り一帯に満たされる爆風すら、少女は慣れたそよ風のように受け流す。

 ふと、運転席のドアから転がり落ちたものを視界に捉えた。

 その正体を察した少女は、ヒールを鳴らしながら、舞い散る火の粉も気にせずに近付いていく。

 くの字に折れ曲がり燃える車体の横で、頭から血を流し疼くまるパーティドレスの女性が、少女の足音に気付いて瞼を開いた。

 己を見下ろす逆光の少女に、女性は弾かれたように縋り出す。

「ごめんなさい。ごめんなさい!ごめんなさい!お金が、お金が、必要だったのでもどこも、普通の仕事は魔女だからって雇ってもらえなくて、もう生活費も殆ど残ってなくて、ごめんなさい。ごめん、なさ……」

 女性は、相手が十は歳下に見える少女であることなど構わないと、血と一緒にぼろぼろと涙を零す。

 少女は無表情のまま、小さな口を開く。

「それは、考え方を、少し変えてみればいいんだよ」

「?」

 棺に反射して映る少女の像が、その場にしゃがみ込む。

 女性への視線を逸らさないまま、腰のポーチから白いハンカチを取り出した。

「私たち魔女には、人間に出来ないことが出来る。だから、人間に出来る仕事より、そっちへ就くように、優先される」

 その布を女性の額の傷に当てる。決して擦らないように、壊れ物を扱うように、血を拭っていく。

「人間も魔女も、趣味じゃなくて適性で仕事を選ぶのは、同じ」

 ハンカチを離すとまた流血してしまい、少女は何度も、赤く染まるハンカチを押し当てて、結局女性にハンカチごと渡してしまう。

「まぁ、トラップセラーは、窃盗団に魔女が関与してるって情報で、この国に派遣されただけだから」

 少女は立ち上がり、破けた荷台の上で鎮座する棺に手を添える。

「さっきのお話は、地元の警察にしてね」

 まるで子供をあやすように首を傾けてから、少女は、棺と共に浮き上がる。

 その浮上に流されるよう、視線を上へ向けた女性は、息を詰まらせた。

 

 青空に、異物があった。

 防弾仕様のトラックをいとも簡単に押し潰した雪色の棺、それと同じ形が更に六つ。

 それらを統括する、逆三角錐型の本機が一つ。

 まるで箒のように、

 まるでドレスの裾を広げた空の女王のように、

 編隊を組んで飛行している。

「あ……あ、あ」

 そこへ合流していく少女見送り、腰の抜けた女性は声を振り絞る。

「魔女、狩り……」

 

 

 他国からの救援要請の際には、その国、または地域の行政より基地を展開する領域が提供される。

 作戦によって滞在が認められる土地は千差万別。約五百名余りの空挺舞台隊員と車体や機材を収容させた、白色の巡航型飛空艇が停泊する。

 今回の盗賊退治において、新都政府から与えられたのは地中海沖である。

『これは発掘チームから預かった盗品の被害リスト。こっちは実際の押収物リスト。なんと数が合わん』

 甲板に立つ黒い礼装男が抱えるタブレットの中で、態とらしく肩をすくめる指揮官が二枚のパネルを持っている。

 半袖シャツと首元にタオルを掛けたオリヴィエたちが、太陽光を反射する滑走路を掃除していた最中のことだ。

『捕らえた盗賊共を尋問したところ、ホテルに運び入れるのが難しい物は荷台に積んだままだったようだ』

 滑走路といっても「あいつら予備動作無しで浮くじゃん」と愚痴り合っていた面々は静まり返っている。なので液晶に映る指揮官が、パネルをデスクに放る音がよく響く。

『……さて、誰だったかな?盗品は確保したから遠慮なくやれとか宣ってた奴は』

 デッキブラシを持った隊員共の視線が、一斉にオリヴィエの方へ集中する。

「待っ、待ってくれよ!ほら、盗品の中には宝石の類もあっただろ⁉︎もしかしたらぁ、潰されずにぃ、残ってたりとか〜」

 後半はしどろもどろにながら希望的観測を口にするオリヴィエの隣で、同僚が手を挙げた。

「それで何が紛失したんですかー?」

『クジラの骨とミイラだそうな』

 頬杖をつく指揮官の答えに「駄目じゃん」「木っ端微塵だな」「何で砂漠でクジラ?」と、他の隊員たちの反応は呆れと哀れみと軽蔑が入り混じっている。

 それらを一手に引き受ける当のオリヴィエは四肢をついていた。

『考古学研究会からの損害賠償請求、及び現地当局からの説明責任の追求、あぁ勿論我々は魔女狩りの国とも言われる祖国より派遣されて来たんだ予算だけなら潤沢にあるとも』

 早口でまくし立てる指揮官は、人差し指で机上を叩く。彼女は彼女で問題解決に勤しんでいるのだろう。

『だが、これが想定外の出費であることに変わりはない。空いた穴は埋めなければならない。分かるだろう?』

 気分は看守の足音を聞く死刑囚のものだ。

『具体的には今すぐ新たな任務でブリヤート共和国の救援要請に応えて貰う。散々暑いだ溶けるだ文句を吐いてたが、次の戦場は永久凍土のお隣だ。良かったな、真冬だぞ』

 看守が扉を開けて入ってきた。

 三十度近い炎天下にて、顔を青くする隊員たちの阿鼻叫喚が振り撒かれる。呼応するように母艦の汽笛がそれをかき消していく。

 ようやく立ち上がったオリヴィエの顔も疲れ切っていた。感情が一周回って自棄が起きているのかもしれない。

『詳細は移動中に……あぁ、先に言っておくことがあった』

 映像内の指揮官が書類を持って補足する。

『ちょうど空路移動に適した荷造り済みの奴がいてな。まぁうちに職場見学しに来る奴なんだが。タイミングが良かったので行き先を本部パリから共和国の首都であるウラン・ウデに変更、共和国への事情聴取を指示した。必要に応じて前線側と連絡を取り合うように』

 嘆いていても高報酬高難易度の任務に送られることは確定した。顔色を伺う必要が無くなったオリヴィエは、「ここまでで質問は?」と促してくる指揮官へ静かに挙手をする。

 発言が許可されたので、指揮官が話し始めてからずっと気になっていた感想を溢す。

「そのタブレットの持ち方で顔が映ってると遺影みたいっすね」

『貴様らの出棺は二時間後だ。清掃を終わらせた上で準備に入れ』


  ◇◆◇◆


 潮風が揺らす濡羽色の髪が、陶器のような肌にかかる。

 浜辺の上空に浮かぶ雪色の棺の上に、その少女は立っていた。

「考え方を、変えてみる、か」

 快晴にそぐわない憂いを帯びた表情を俯かせると、地上からこちらを見上げている子供と視線が合う。現地の子だろうか、元気よく手を振っている。

 窃盗団を逮捕した為、避難指示は解除されている。

 彼らの安全が守られたことに、そっと頬を緩め、ぎこちなくも手を振り返そうとすると……母親が息子の手を引き、注意しながら去っていく。

 少女が浮かべている棺を、気紛れに落とすとでも思ったのか。

「……まぁ、仕方ない、よね」

 行き場を失った掌を握りながら、少女は自分に言い聞かせる。

 少女が保有する魔法は、同胞たちの中でも上位にあたるものだった。

 

 女性の世界人口の二割を占める、魔女の異能——それは重力を増幅、減衰させ、操る力。

 

 歴史上にこの〈魔女〉が発生したのは、今から二千年前のエジプトとされている。

 王家の墓より発掘された石板に、当時の王へ忠誠を誓った魔女が居た旨が記載されていた。

 更に見つかった不朽体がその魔女のものであると鑑定され、判明している最古の記録であることから、定説となった。

 魔法の強弱には個人差があり、ちり紙一つ浮かせるのがやっとの者も居れば、蒸気機関車をレールごと鞭のように振り回す奴も居た。

 けれどもそれは、力を持たない人間からすれば脅威と一括りにされる現象だ。

 差別と呼ぶには形を成さず、しかし共存と呼ぶには露骨な線引きが在る。

 人々の安全を守る少女であっても、それは例外ではない。

 それを当たり前だと少女は思っていた。今更疑問に思う気力も少ないと言った方が近いか。

 畏怖も、その現状を上辺だけなぞって楽しむ同情も、今まで同じだけ聞いてきて、食傷していた。そんな倦厭も、長く続けば無感動に変わってくる。

 以前の職場は、人間と魔女を明確に別種の生物と定義していた。だから少女も、人間として扱われていなかった。

 そんな環境で対人能力が育まれる筈もない。現在の所属である第七空挺舞台へ歩み寄りたい感情の名前も、振るい方も分からず、未だに手探りしている有様だ。

 果たして魔女側が考え方を、在り方を変えて、それで世界は変わってくれるのか?

 そもそも少女は、自分の意見を持つのが苦手だ。それが本当に自分のものか、誰かの評価に流されたものか、判別がつかないからだ。

 窃盗団に利用されていた魔女へ、偉そうにご高説を垂れておいて、今の在り方が不透明な自分がいる。今の自分は、適性でこの仕事に就いたのだったか?

「ばかみたい」

 誰にも聞こえないよう、唸る風に呟きを被せた。足元の棺に諌められている気分になってしまったので、かぶりを振って邪念を晴らす。

(私の戦う理由はこの子スノーラビットだけ。この機体に恥じない戦いを続けること……それだけだよ)

 そもそもあの魔女と自分では、互いの仕事に行き着いた経緯が異なる。だからこれで良い、これで良いんだと言い聞かせるように、考え方を切り替えた。その時、

『スノーラビット、休憩中すまない。緊急の依頼が入った。貴女たちにはこれから西ルーシとポルスカの国境へ向かってもらう』

 指揮官の通達がインカムから伝わる。

『次の敵は〈極夜の帝国〉だ。気を引き締めなさい』

「分かった。すぐ戻るね」

 少女は触れば溶けてしまう雪兎から、近付くものを凍てつかせる氷の女王へ顔つきを変え、棺を沖へと進めた。

 人間に規則を破る者が居るように、魔女にも秩序を乱す者が居る。魔女による、魔女を利用した人間による犯罪件数は年々上昇傾向にあった。故に、それを解決する為に少女達がいる。

 対異教徒戦闘──法を犯した魔女を、政府の要請に従い討伐する、抑止力の仕事だ。

 

 

 地中海に浮かぶ飛空艇の、滑走路が開く。格納庫に納められていた、少女の乗る箒が、エレベーターで表へ上げられる。

 それを目視した少女が、棺の砲台からふわりと浮き上がった。

 物語の魔女は南瓜を馬車に変身させ、行けない筈の王城へ誘うという。ならば現実の魔女は触れた物質の方向性や速度を変化させ、行えない筈の挙動を可能にする。

 〈軌道変生ナビゲート〉と呼ばれるその術で、少女は周囲に置かれた残り六基の棺へ触れていく。

 棺の中央に座すのは、〈箒星グラビティア〉……逆三角錐のシルエットをした、流線形を描く真っ白な十六メートル程の本機だ。ハッチは既に開かれていた。相変わらず仕事の早いことで、これを戦えるようメンテナンスした整備士達はもう後方へはけている。

 滑るように少女が乗り込んだことを察知して、コックピット側が起動する。外を三六〇度見渡せる内壁、少女を囲むようにタッチパネルにメーターや複数のキーボードが浮かび上がる。慣れた手つきで操作パネルを操っていく。

『発進シークエンス、スタンバイ。動力炉、正常稼働を確認。管制システムとの接続、成功。重力結界ドレスコード、四十%を維持。〈箒星グラビティア〉スノーラビット、システムオールグリーン。上昇まで残り五カウント』

 その姿は皮肉にも、二千年前に起きた人と魔女一度目の世界大戦を、人類側の勝利に導いた存在に酷似していた。

『四』

 かつて魔女との共存を願った人間と、それを信じて手を取った魔女の同盟。

『三』

 目には目を、歯に歯を、魔女の暴虐には魔女の撃鉄を。それを補助する軍直轄組織。

『二』

 対異教徒及び最終神秘補助機関Lex Talionis Fautores……——通称、〈LTF〉。

『一。テイクオフ』

 少女、否、フランス国軍の保有する機関トラップセラーの専属魔女ユスティーニが、飛翔する。

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