地獄の門の鍵

kou

地獄の門の鍵

 スーパーの事務所。

 そこに青年と少年の姿があった。

 机の上にはクッキーやスナック菓子が置いてあった。

 青年は身体が細く、およそ力仕事に向いているとは思えない。

 だが、彼はこの店の店長だ。

 青年の名前は昌明まさあきと言った。

 昌明の前に、少年が座っていた。

 少年の顔立ちはとても整っていた。

 高校生くらいの年齢だが、その身に感じるものは、だらし無さがある。

 髪は長く、服装もあまり清潔感を感じない。

 何よりも不遜な態度には、何の反省点も無かった。

 少年は、万引き犯だ。

 彼は、まだ態度を改めることは無く、むしろ偉そうにしている。

「さて。君の名前は? 両親は居るのかい?」

 昌明は優しく問いかけるが、返事はない。

 代わりに返ってきたのは嘲笑だった。

 それは明らかに昌明を小馬鹿にしたものだった。

 昌明は、それを不快に思うことは無かった。

 何故なら、彼は知っていたからだ。

 この程度のことで、感情的になる方が愚かしいということを。

「警察を呼んでも良いけど。警察って目立つんだよね」

 昌明の言葉を聞いて、少年は眉をひそめる。

 警察が来て困るのは彼も同じなのだ。

「だったら、早く俺を解放しろよ」

 少年は自分の立場もわきまえずに要求する。

「そうはいかないよ。罪を犯して、それを無かったことにすることは出来ないからね」

 昌明は、あくまでも冷静に対処していく。

 それは彼が普段から心掛けていることであり、働く者にとっては当たり前の事だ。

 昌明は少年を諭すように話しかけていく。

 少年が、その言葉をどこまで聞き入れてくれたかは分からないが。

「両親の連絡先は?」

 昌明が訊くと、少年は鼻で笑った。

「……いねえよ。知りたきゃ、あの世に行って調べるこった」

 少年は昌明の目を見て吐き捨てるように言い放つ。

 昌明は一瞬にして察した。

 ウソをつく場合、人間は目を逸らす。

 しかし、彼の目は真っ直ぐこちらを見据えていた。

 これは嘘ではない。

 彼は本当のことを言っているのだ。

 両親とは死別しているのだと。

 ということは、少年は親戚や施設に身を置く可能性が高い。なるほど、名前や連絡先を口にしにないのも分かる気がした。

 だが、この件を見過ごすこともできなかった。

 なぜなら、少年に反省の態度がないからだ。

「……そうか。なら直接、君の両親に訊いてみようか?」

「は? 何いってんだテメエ」

 昌明の言葉に、少年はバカにする。

 昌明は一本の鍵を取り出した。

 古く無骨な鍵は、巨大な南京錠を開ける鍵のようだ。

 すると事務所の照明が突然、明滅し消える。

 停電だ。

 少年が、気がつくと、見たこともない巨大な山門が目の前に立っていた。

 それはまるで神社のような厳かさがあり、寺かとも思えるような大きさだ。

 昌明は、その門の前で両手を合わせる。

 まるで神仏に祈るような仕草であった。

「さあ。この向こうに君の両親が居るよ」

 昌明は、そう言うと少年の手を掴み、その大きな門の奥へと消えていった。

  少年は、ただ困惑していた。

 今の状況が全く理解できないでいた。

 つい先程まで、事務所に居たはずなのに、気がついたら見知らぬ世界にいたのだから。

 門の向こうには、恐ろしい形相の生き物が居た。

 頭には、氷柱つららのようにブクブクと伸びた角が生えている。

 鬼だ。

 鬼は、金棒で二人の男女を殴りつけている。

 それは少年の両親だ。

「あの二人は、君の罪で責められている」

 昌明は少年に告げる。

 鬼の容赦のない一撃が、振り下ろされる。

 肉が潰れ、骨がへしゃげる音と共に血飛沫ちしぶきが舞う。およそ人間が生きてはいられない程の痛みだろう。

 だが、それでも男女は死なない。

 死ぬことが出来ない。

 それを殺そうと鬼は責め続ける。

 男と女は許しを請うが、答えは金棒による殴打であり顎が砕ける。

 少年は涙を流しながら叫んだ。

「お父さん、お母さん!」

 その瞬間、少年は事務所に居た。

 だが、すぐに異変に気づく。

 先程、少年が目にしたのは、紛れもない現実だ。

 それが夢や幻などではなかったと確信できる。

「君の名前は?」

 昌明が訊くと、少年は涙を溢しながら正直に話した。


 【杜子春とししゅん

 中唐の文士・李復言の伝奇小説『杜子春』を、芥川龍之介が童話化したもの。

 親の金を使い切った杜子春は、仙人になりたいと願う。仙人は、何があっても声を出さないことを条件にする。杜子春は神将によって虎や蛇に襲われ、地獄では剣の山や炎、氷で苦しめられる。

 だが、杜子春は声を出さなかった。

 そこで、鬼は杜子春の母親を責める。

 見かねた彼は、「お母さん」と声を出す。

 すると、杜子春は地獄から帰っており目の前に仙人が居た。

 仙人は、彼が母親を見捨てていたら仙人どころか命を絶つつもりだったと告げる。

 杜子春は、仙人になることを諦め、人間らしく生きることを決意するのだった。


 心から反省をした少年を昌明は、警察に通報することなく解放した。

 数日後、昌明のスーパーでアルバイトとして働く少年の姿があった。

 額に汗を流し、お客様に対してのあいさつも元気が良い。

 そんな彼を見て、昌明は満足そうに微笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る