第12話 竜は自身の力を開放します
天幕の中は、まあ地獄だった。
何せ麻薬でおかしくなってしまった者がずらりと並べられているだけだからな。
汚物は垂れ流しだし、呻き声も酷い。
まあ被害者たちがここに集中させているという点では楽でいいが、裏を返せば集めただけでそれ以外の対処が出来ないと言う事でもある。
魔法による治癒が出来る者は稀な上に、魔法薬での治癒もこの人数――五千にも迫ろうという数では金銭的に難しいので仕方の無い事ではあるが。
因みにエスメは案の定覚悟した以上の光景に卒倒して今はソフィアが付いて看てくれている。
我も付いていたいところだが、ジェリドとソフィアからは被害者の治癒を頼まれていてそちらが優先だ。
我とて苦しむ者を前に色恋に勤しむ趣味はない。
「我々では力及ばず、アートルム様に頼ることになってしまい申し訳ないです……」
「ジェリド達が気に病むことは無い。これも領主の仕事と言うものだろう」
「そう言って頂けて幸いです。――では、頼みます」
「治癒対象はこの集落にいるので全てか?」
「恐らく。我々が来てからアルビオン領への侵入者は確認されてはありませんでね」
「そうか。では……【
我を基点として高密度の黒い魔力が吹き荒れる。
……毎度思うがこの悪役のような魔力の色、変更できないのだろうか?
『――【
頭の中で固有魔法発動の音声が聞こえる。
我の持つ固有魔法はその能力の膨大さ故にそれ自体がある程度の思考能力を持つ。
ただ我の指示に従い最適解を出す、その程度の思考能力だ。会話は出来ないし、恐らく自我も無いだろう。
しかしこの固有魔法は常時発動型の魔法。危険なので使わないときは封印し、必要分だけ使えるようにしている。
――実は我も治癒魔法の類は扱えない。
だが、固有魔法がそれをすることが出来た。
魔法とは違う、固有魔法自身が持つスキルのようなものだ。
エスメを治療したのも厳密に言えば我ではなく【虚空】だ。
ただし、効果的に発動するにはそれがどのような症状で何が原因かなどを我自身が知っている必要があり、そのせいでエリザを助けられなかった。
【虚空】によって『治癒結界』とも言えるような領域が集落全体を覆うように展開された。
深刻な状態の者も、数日の内には立って歩けるようになるだろう。
後は虚空を封印して我の魔力だけで維持できる。
「――【
我がそう唱えると、【虚空】は封印されその機能を停止した。
「久しぶりに見ましたが、こりゃあすごいですね。神様の所業だ」
「この世に神は居ない。我、正確に言えば我と同じような竜種がこの星の頂点だな」
「だったら、アートルム様が神様ってことで良いのでは?」
「ふっ、冗談でもよせ。それでは我が日和見主義のでくの坊の様では無いか」
「はっはっは! 何百年経ってもアートルム様のジョークはするどいっすねえ!」
「任せろ、生まれた時から最盛期だぞ我は」
ジェリドがフルプレートの鎧を叩いで大笑いする。
お前も昔から何も変わらずおもしろい男よ。
「――で、さっき倒れた女の子は誰ですか?」
「嫁だ。エスメと言う女でドラゴニアの第一王女だった」
「うお!? すっげートコ貰ってきましたね! じゃあソフィアは二番目ですか? 手つないでたし」
「いや、あれはそういう訳では無い。――待て、婚姻は一夫一妻ではないのか?」
「一夫多妻、一妻多夫のどちらでもいい筈ですよ? 少なくともこことアクセラシア、ステルビア辺りではですけどね。俺なんて五十年前までは五人嫁囲ってたんですから!」
「しかし、エスメの両親は――」
「それは王族だからですよ。『貞淑たれ』ってね。あとは一般市民は金銭的な理由で一夫一妻が多いですよね」
「そうだったのか……」
人間社会は夫一人に妻一人。そう思い込んでいた我にジェリドの言葉は些か衝撃的だった。
見ているだけでは分からないモノもあるものだな。ここに来て本当に良かった。
これでまた一つ学べたのだからな。
学ばなければできなかったことも出来るようになるし、助けられなかったはずの者も助けられるようになる。――今のようにな。
――だからと言ってソフィアと結婚と言う事にはならない訳だが。
我はそこまで見境の無い竜ではないのでな。
「――で、どうなんですか?」
「取り敢えず今はエスメのこと以外考えられん。そしてその決定権は俺だけにある訳では無い。仮にソフィアも娶るとしてその前にエスメに許可を取るのは絶対だ」
「アートルム様ならそう言うと思ってましたよ」
「後、勘違いしているようなので訂正するが……嫁に順番は無い。娶る以上全員が我の一番だ」
「……さっすが、アートルム様に嫁ぐ女は幸せ者ですね」
「当り前だ。この女と決めたなら、その女はこれでもかと言う程愛してやらねばならぬからな」
――約束、したからな。
「――さて、これをやった犯人にはどんな仕返しをしてやろうか。領主として、国の守護者として、民を傷つけたこの蛮行は看過できない」
「領民の人心掌握の為にも犯人引きずり出して、アルビオン領再興の狼煙としたいところですよね」
「ああ、だが貴族が絡むとなるとあまり公にも動けんか。取り敢えずアステリアの帰りを待ってからだな」
「そうですねえ。こうして治療も叶った今特別急ぐこともありませんし、その奥さんを鍛えてみたらどうです? 登ったんでしょう? あの山を」
「そうだな。ソフィアも恐らくそのつもりだろうが……。エスメの固有魔法が特殊でな、無詠唱短距離転移魔法のようなのだ」
「あー、そういう事ですか。我々の中には近い固有魔法持ちが居ませんからねえ。――アートルム様は似たようなこと出来ないんですか?」
うーむ、やってやれんことは無いのだろうがな……。
「人の身になってから魔法の使い勝手が多少変わっていてな。日常的なものならともかく戦闘魔法となると少し調整が必要なのだ。だから力になれそうにない」
「となると、奥さんのセンスに頼るしかなさそうですね……」
――と、ここでエスメの冒険者ならば彼女の能力が分かることを思い出した。
これがエスメを鍛える指針になればよいのだがな。
「ジェリド。冒険者には自身の能力が数値となって現れる魔導具があると聞いたことがあるのだが、それは一体何の事を指すのだ?」
「あれ、説明受けませんでした? ……冒険者証ですよ。『インスペクト』と言えば自分にしか見えませんけどスキルやその他能力値が一発で出ますね」
あのカードがか。人間も中々器用な魔導具を作るな。
「成程。ありがとうジェリド、助かった」
「いやあ、これくらいなんでも無いですよ」
「なら良いが。……そうだ、この集落と言うかこの事態に精通した現地の者と話がしたいのだがそのようなものは居るか?」
「え? ああ、それなら集落の一番大きな家にここの長のようなものが居る筈ですね。話を聞くならそのものが良いかと」
「分かった。ならば少し外すぞ、お前は天幕の外で警戒しておけ。何があるか分からん」
「――は」
我は一際大きな天幕を出て、目的の家に向かいながら日が傾き茜色に染まった空を見る。
もうこんな時間かとも思ったが、到着が昼だったのだから当たり前か。
自領に着いて一日目でこれでは、いつ旅を始められるか分からんな。
――まあいいか、時間はたっぷりとある。領民にも顔を覚えてもらわねばならないしな。
夕焼けに目を細めながら歩いていると、ジェリドが言っていた一番大きな家に着いた。
玄関のドアをノックして反応を待つ。
……するとドア少し開き、我の半分ほどの身長の幼子が顔だけ出してきた。
「だれ……?」
「アートルムと言う。この家の主を呼んでは来てくれないか? 少し用事があってな」
「うん。――おじいちゃーん! 何か寒そうな格好の人来たー!」
……確かに薄着だというのは自覚しているがな、そんなに寒そうに見えるか?
そんな風に考えていると開いたままだったドアが大きく開き、老人が顔を出した。
どうやらこの者がこの家の主らしい。
「どうも、どなた様で……?」
「アートルム・モルガンと言う。この度アルビオン領を預かることになった辺境伯だ。ついては今ここで起きている問題について知らないかと尋ねて来たのだ。これは領民の健康を損なう重大な問題。解決の為ぜひ協力をお願いしたい」
「――中へどうぞ。役に立つかは分かりませんが、話せることはいくらか」
「お邪魔しよう」
事件の進展を祈って、我は家主に促されるがまま中へ入って行った。
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