第5話 竜は大切な人の夢を見ます

 我は竜だ。睡眠を取る必要も無ければ、夢を見ることも無い。

 だが、人の姿を取った今生まれて初めて夢を見た。

 我は少し離れた場所からその光景を見せられた。

 百七十年前、助けられなかった少女の夢を。


「おい、女」

「女って何ですか! 私はエリザよ! 何回言ったら分かるの?」

「個体名は憶え切れぬ。この前来たので打ち切りだ。そして今はお前しかいないから女で十分だ」

「前までのは憶えて今のは憶えられないって、それはアートルムが憶える気ないからでしょうが! 人間と交流が持ちたいならもう少しその空っぽの頭を使って優しく接して見せなさいよ! この馬鹿!」


 忘れもしない、エリザは強い女だった。

 彼女の言葉は文字通り一言一句とて忘れたことは無い。

 ドラゴニアではない別の国――アクセラシア連邦の外れに位置する村で初めから生贄として生まれて来た彼女は、その運命を嘆くでもなくそれを立派に務める為に強い魂で以て育ち、なんとアーカーシャ山を単独で登頂した。

 極まれに生まれる『超越者』という分類の人間で、魂の限界値が一般的な同種の者より高く、また成長しやすい特徴を持っていた。

 エリザの後にも、『超越者』は二人やって来たことはあるが、同様にアーカーシャ山を登頂して見せた。

 ――もしもエリザが病に倒れ死ぬことが無ければ、今頃その二人と同様に英雄として持て囃されて居たかもしれないと思うと、言い知れぬ暗い感情が溢れてくる。

 だが我はただ進み続ける過去のタイムラインを見せられ、運命を変えることは出来ない。

 これはもう起こり、終わってしまった取り戻せない過去なのだ。


「エリ……女、お前はここから降りて行かないのか? ここはお前にとって住みやすい場所ではない」

「最後の『ザ』ぐらい言いなさいよったく……。それで、さっきの答えだけど私は降りないわ。だってあなた一人で可哀そうだもの」

「人間如きがを語るな!」

「ホラ、図星じゃないのよ。――食べ物だって、アートルムが十分持ってきてくれるしここで暮らせないってことは無いわ。ホント、あんたって口だけね」

「何だと?」

「だってそうじゃない? 降りて欲しそうな物言いをする割には食材を取ってきてくれるし、憐れんだり貶したりしてもちょっと怒るだけで人間如きを殺さないじゃない? まるでここから居なくなって欲しくないみたい。違う?」

「……我は人間に興味がある。観察対象を殺すなど馬鹿がする事だ」

「どーだかね?」

「フン……」


 こうしてみれば、かつての我はかなり角が立つ物言いをしている。

 少し……懐かしいな。


 この辺りから数日後、彼女の体調は日に日に悪くなっていった。


「ごちそうさまでした。っていうかよくこんな食器類を――あれ?」


 エリザは空になった食器を持って立ち上がろうとしたが、突然足に力が入らなくなってそのまま倒れ込んでしまった。

 我は当時食器が割れた時に出る特有の音で気が付きエリザの下に駆け寄ったのだ。


「どうした? 何があった?」

「何でも。女性なら貧血は良くあることよ。……お皿割ってしまってごめんなさいね」

「気にするな。皿程度幾らでも作れる」

「創造魔法が使えるのね。――いたた……悪いけど今日は先に休ませてもらうわ」

「好きにしろ。端からお前と生活を共にしていると言う認識は無い」

「……あっそ」


 エリザは立ち上がろうとするが、直ぐにバランスを崩しまた転倒。

 どうやら眩暈で平衡感覚が正常では無い様だった。顔色も悪い。

 この当時の我はエリザほどの魂の持ち主が病に罹るなど考えられなかったし、またそうなってしまった場合の病気の同定、治療法などは全く知識として持っていなかった。

 だからエリザの言葉を信じる他なかったのだ。


「おはよう、アートルム」

「ああ。エ…………女」

「はあ、昨日よりも忘れてるじゃない。まいいわ、朝ご飯作るから」

「好きにしろ。それより体調はどうだ?」

「人の体調の心配よりも名前覚えてくれる? ……でも心配してくれてありがとね、昨日よりはいいかも」

「そうか」


 次の週、エリザは眩暈と頭痛、発熱を訴え始めて最低限のこと以外で寝床から動かなくなった。

 この時ようやく我はエリザに何か異変が起きているのだと確信し、所蔵する書物から類似の病気を割り出しその治療法を探し始めた。

 はしか、風邪、流行性感冒など、似たような症状が記載された部分を見つけ、それらの治療法を試したが症状は悪化して行く一方だった。


「呼んだか? どうした?」

「ほら見てこれ、真っ黒。先々週、私転んだじゃない? 地面にぶつけた肩がこんなになっちゃった。すごい痣だよね」

「そうだな、すごい痣だ」



 皮下出血。それも広範囲の者で一般的な痣とは訳が違った。

 それに、ぶつけた程度でこんなに出血するものか?

 当時全くの無知であった我はそれが何を意味するか分からないまま、ただ経過観察を続けた。

 程なくして鼻血や別の部位での皮下出血が起こり、それに咳も伴い始めた。


「ゲホ、ゴホッ! ……ねえ、アートルム?」

「何だ?」

「私、恋してみたいの」

「恋か、我には良く解らぬ概念だ」

「……そうだよね。――私はさ、生まれてからずっと生贄にされるために育てられたから恋なんてものとは無縁な人生を歩んできたわけ。――ゲホッ!」


 空咳が痛々しく映るエリザはそれでも己が理想を語り続ける。


「でもさ? 私は結局あんたに殺されなかったわけで。……ここから降りても構わないんでしょ?」

「そうだな。構わない」

「ゴホッ、ゴホッ! ……こんな事言っておいて、恋がどんなものなのか分からない私だけどさ? もうこれでもかってくらい愛されたいの。追うより追われたいし、愛するよりも愛されたい。正直、鬱陶しくなったりするかもしれないけどそれでも、ね」

「そうか」

「うん、それでも愛されないよりはずっと良いから。――ゴホッ、ゲホッ、カハッ! ……ありゃりゃ」


 空咳と同時に血飛沫が舞い、白い布団に点々と赤いシミが出来た。

 もう、生存は見込める状況ではなくなっていた。


「……」

「ま、こういう事だから。だからね? もしもこの先アートルムがこの子って決めた子が出来たら、これでもかってくらいに愛してあげてね? あんたの不器用さと混ざって丁度いい塩梅にはなるでしょ――ゴハッ!」

「エリザ!」


 エリザは布団の上に大きな赤いシミを作るが、それでも気丈に振る舞い我に笑い掛ける。

 あの時にはなかった胸の圧迫感が我を苦しめる。今にも溢れ出しそうなそれを、我は抑えて目の前で繰り広げられる過去の記憶を見続けた。

 目は、背けない。


「――ハァ、ハァ、うえーまず……ヘヘ。何だ、名前ちゃんと憶えてるんじゃんか。……いい? 私が言った事はちゃんと守ってね? 幸せにしてあげてね? 私がされたかった事、全部やってあげてね? これ約束だから」

「……努力しよう」

「これ」


 エリザが皮下出血で紫の斑点だらけとなった右腕を布団の中から出して我に向かって小指を立てる。


「指切り。あんたの爪ここ引っ掛けて、ほら」

「こうか?」

「うん、こんな感じ。魔法じゃないから強制力なんて無いけど、もしも約束破ったら化けて出てやるんだからね」

「それは、怖いな」

「だーかーら、ちゃんと約束守ってね? あんたが好きになった子、大切にするんだよ?」

「分かった。大切にしよう」

「よし! ……それじゃ私はここで休んでるから、アートルムは趣味のお勉強でもしてな」

「そうさせてもらおう。何かあったすぐに呼べ」

「分かってる、ちゃんと呼ぶよ」


 ――この直後、厳密な時間など分からないがエリザは死んだ。

 きっと最後に我と話したあの姿は、相当な無理をした姿だったのだろう。

 様子を見に行った時、彼女は右手に指切りの形を保ったまま力尽きていた。

 我は彼女の亡骸をしっかりと清めてから着替えさせ、唇に紅を塗ってから棺に入れ、沢山の花で埋めてやった後で荼毘に付した。

 竜の体故にどれを取っても人間に劣る出来栄えではあったが、我は約束通りエリザを葬った。


 本当に意味の無い余談だがエリザが患っていた病気が分かったのはドラゴニアからの生贄――初老の医者だった――が来た七年後の事だった。

 遺体は既に灰になった後なのでこれは確実な答えとは言えないが、病名は急性白血病、死因は肺炎だったと思われる。

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