4月28日 霜止出苗

4月28日 曇り 霜止出苗しもやみてなえいずるころ

 霜が終わって世界は青々しく姿を変えて稲が芽吹く季節。

 ああ、まもなく夏が来る。早く来い。


 借りたばかりのマンションを引き払い、私は成の家に転がり込んだ。

 私の両親は私が高校の時に事故で他界している。保証人は叔父にお願いしているけれど、基本的には両親が残した多少の遺産で大学にいる間の生活は賄える。その点で私は比較自由だ。高校の教師に勧められるまま、地元のこの神津こうづ大学を受験した。けれどもそんなことは今となってはどうでもいい。私にとって全ての価値は成だけになったのだから。


 成は私とずっと一緒にいたいと言った。私も成と一緒にいたい。

 成の部屋を見渡す。男性の部屋にしては奇麗にまとまってはいるけれど、どこか雑然とした部屋。主だったものはスチールラックに積まれた資料。それからPC、資料となる本。この辺は成に必要なもの。けれどもオーディオ機器やテレビ、その他の書籍はいらない。なんだかよくわからないヒーローもののマスコットや小物も。


 成が見るものは私だけでよく、聞く音も私の声だけでいい。私以外のものに成が心を傾けることは許せない。

 家具はシンプルなものが多かった。きっと成の好みなんだろう。ということはこの家具は成に愛されているということ。許せない。成が愛するものは私だけであるべき。

 さすがにここまでの束縛は常軌を逸している。常識的な自分がそう呟く。けれどもここは私と成の家。家の外の常識をわざわざ入り込ませる必要はない。それに成は私しか見ないはず。

 そう思って、少しだけ恐る恐る成にたずねてみると、成は処分してかまわないと微笑んだ。

 必要なもの以外は全て捨てた。

 仕事で必要なものを指定してもらってそれ以外は成が仕事に出ている間に私が全て処分した。当面の間、私の家にあった家具を運び込んで使用した。細々としたものは一緒に買いにいった。成が手に取るものはあえて選ばず、それほど趣旨の離れないもの、嫌いではなさそうなものを手にとり購入した。これで成の家で成が好きなものは私だけ。成が興味を向けたり好んで手にとったりするものも私だけ。

 成の家で成が愛を注ぐものは私だけであるべき。他の成分なんていらない。

「そうだね。紫帆の好きなのでいいよ」

「ありがとう、成」

 微笑む成に少しの罪悪感が湧く。窮屈じゃないかな。私のものばかりで鬱陶しくならないかな。不安になる。捨ててしまったのは私なのに。距離感はどのくらい詰めてもいいんだろう。


 けれども家にいる時の成が私に求める距離はゼロ距離だった。むしろ普通であれば鬱陶しいと感じる以上に成は私と接したがった。それは体を重ねるという意味以上に物理的で、どこかで私を捕まえておかなければ我慢ができないようで、周りの家具なんてそもそも何も興味がないような、何もその目に見えていないように思われた。

 そう、他のものなんてまるで目に入っていなかった。私以外。

 思い返せばわざわざ捨てる必要すらなかったんだろう。

 成には私以外ない。私以外。

 そう考えると酷く安心した。こんなことで悩むのが少しばかばかしくなった。

 私の運命は成で、成の運命も私なんだ。


 成。運命とは一体なんだろう。

 成は私に微笑み、私とくっついていたがる。磁石のS極とN極のように離れがたいと言っていた。成とくっついているのは私も好ましい。でも好ましいのは成との接触自体ではなくて、接触を求める成の心。

 成は私を求めている。心から。それがとても嬉しい。成の思考の全てが私を向いている。それによる多幸感、充足感、満足感。私はこの2人の部屋で欲する全てを手に入れていた。つまり、大切な、大切な私の成。


 でも為すべきことは為さないといけない。成は仕事をしないといけない。私も学生。

 きちんとこの国の社会制度に則らないと、一緒にいることも不可能になる。ともすれば成はそれを放棄してまで私を求めようとした。朝はいつも文句を言う。朝、どちらかが先に出かける時。その時間はいつも残酷に訪れる。危うい成。常に一緒にいることはできないの。とても一緒にいたくても。


 例えば私が理転して研究者になる方法ならずっと一緒にいられるのかな。いえ、それは無理でしょう。一緒にいれば成は私から離れられない。成の頭の中は私の姿が認められないことを条件に、次に重要なタスクである仕事に切り替わる。私が一緒にいれば成の頭は永遠に仕事には切り替わらない。そして私がいなくて仕事がひと段落すれば、成には何も無くなった。私の運命が成の中の他の価値を全て捨てさせてしまったから。


 世の中はシーソーゲームのように何かを重んじれば何かが軽んじられる。ままならない。

 成は不幸だ。私に接している間の幸福が増せば増すほど、私がいない間のその幸福の欠落が成を不幸にしている。そのバランスの欠如は時間の経過とともに比例的に増大している。


 成はそれをあまり認識していない。

 成の世界には多分『今』しか存在しないんだろう。私が隣りにいるか、どうか。

 でも成が私の不在に耐え難く苦しむほど、私はそれを実感して深く幸せを感じている。成は私を求めていて、成は全てを私に依存している。それは成が私以外を見ていないということにほかならないんだから。私といるときは幸せで、それ以外は全て不幸。そんな状況に成を置いているのは私。

 でも私は成を不幸にしたいわけではなく幸せにしたい。ままならない。


 着替える私を見る成の顔が苦痛にゆがんでいる。眉間に皺がよっている。どうしたらいいだろう。どうしたら成を幸福にできるんだろう。大切で大好きな成。

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