大祭、本選 : ハヤシザキ vs ヘクトール


「では、第一試合ーーー始めぇえっ!!」



 実況者が高らかに叫ぶ。


 ジンは大太刀を構え、ヘクトールは大斧をかつぐ。

 どちらも大ぶりな武器だが、観客が受ける印象は、二人それぞれで違う。


 ヘクトールのような恵まれた体格を持つ男が大斧を持てば、それだけでも威圧感を放ち、雄々しさが様になっている。



「すげえ……ここまで、気合が伝わってくるぜ……!」


「あの人が戦場に現れたら、誰でも戦意がくじけるだろう」



 観客たちは、ヘクトールの威容に震えあがっている。


 鎧を身に着け、輝かしき兜をかぶり、そして手には破砕の斧。

 彼の武名は、あらゆる観客が知っている。

 武器をかかげるだけで、その迫力は凄まじい。



「あのじいさん、あんな長い剣を振れるのか?」


「さあな。剣の達人らしいけど、今も現役で戦場を駆け回るヘクトール殿に、太刀打ちできるとは思えん」


「武器の長さだけなら、ヘクトール殿の大斧にも負けてねえけどな」



 一方、小柄なジンの場合、大太刀が似合っていないようにも見える。

 小柄ゆえに少しでもリーチを補いたい、という考えの武器なのかと、観客は受け取っていた。


 しかし、そうではない。

 そのような、安い考えではない。


 目の前で対峙しているヘクトールが、ジンの強さを最も敏感に感じ取っていた。



「……隙がない」



 斧を構えながら、ヘクトールはつぶやいた。


 彼も、これまで多くの敵将を屠ってきた男だ。

 それゆえにジンの呼吸や構えの質が、どれも超一級品であることを理解した。


 

「行くぞ、ヘクトール」



 刀を中段に構えたところから、ジンが動く。


 一歩で間合いを詰め、ヘクトールの手首を狙う。

 

 抜き身であれば、大木すら切り裂く一太刀だ。 

 鞘に納まっていても、当たれば容易に骨を砕く。

 


「っ……ちいっ!」



 ギリギリで反応し、ヘクトールは柄で弾く。


 そのまま反撃を狙おうとするが、ジンの二の太刀はすでに、ヘクトールの脳天に襲いかかっていた。


 ヘクトールは後ろに跳んだ。

 振り下ろされた太刀が、鼻先をかすめた。



「まだまだ」


 

 さらにジンが踏みこみ、次々と大太刀を振るう。


 まるで竹のさおのごとく、軽々と扱う。

 鞘を足した重さなど、ジンにとっては問題ではない。

 

 休むことのない猛攻にさらされ、さすがのヘクトールも顔つきが変わった。



「がぁああっ!!」



 ヘクトールが吼え、大斧を振るう。


 なだれのように降りかかる斧の刃に、ジンは跳び下がった。

 身のこなしや素早さではジンの方が上だが、ヘクトールの筋力や瞬発力も常人を超えている。


 一度、距離が広がり、両者が離れた。


 ヘクトールの様子を、ジンは観察した。

 少しだけ息がはずんでいるが、疲れた様子ではない。



「重装備だというのに、身軽だな」



 ジンはふふっと笑った。


 対するヘクトールは、若干険しい表情をしている。

 

 ジンの攻撃速度と、攻撃を狙うタイミングは、かなり厄介だ。

 闇雲に剣を振ることなく、ヘクトールの動きを見て、的確に急所を狙ってくる。


 しかも、ジンの様子から察するに、まだまだ余力を残しているようだ。

 殺す気で戦えば、どれほど凄まじい剣になるのか。



「アレスが言っていたことは、誇張ではなかったか」



 ヘクトールは息を整え、構えを変えた。


 上から振り下ろしやすくするための構えではない。

 右足を後ろに下げ、体を半身にして、大斧を腰よりも下に構えた。


 奇妙な構えだ。

 『脇構え』という日本剣術の構えの一つに似ている。

 自分の体で武器を隠して、相手から武器の長さを測らせにくくするための構えだ。


 しかしジンは、すでにヘクトールの斧の長さは知っている。

 武器を見えにくくする利点は、もうないはずだ。



「こぉぉぉっ……はぁあああっ!!」



 深く呼吸してから、一気に吐き出す。

 ヘクトールは大斧を下からすり上げるように薙ぎ払った。


 大斧から風が発生し、空気の波動が押し寄せる。

 ジンの目にも、津波のように迫る衝撃波が映った。



「ちっ」



 ジンは後ろに跳んで、衝撃を逃がす。


 しかし、その衝撃は強烈で、ジンの体を吹き飛ばした。

 小柄な体が、剣闘場の壁に激突する。



「むうっ……」



 ジンは顔をしかめた。

 いくら達人とはいえ、壁に激突した痛みは免れない。



「終わりだあっ!!」



 次の瞬間には、ヘクトールが間合いを詰めていた。

 

 猛獣のごとき瞬発力だ。

 一気に勝負を決めにかかるつもりだ。



「それは甘い」



 ジンは体をひねり、大斧をかわす。

 ヘクトールはさらに連続で攻撃を仕掛けるが、ジンには当たらない。


 まさに柳の枝のごとく、ゆらりゆらりと刃をかわす。



「こいつ……っ!」


「ほれ、それが最速か? もっと本気で打ちかかれ」


「ほざくな!!」



 攻撃をかわされ続けた上で、この挑発である。


 普段は冷静なヘクトールも、徐々に熱くなり始めた。



「ならばっ!!」


 

 そこでヘクトールは、攻撃の合間に、薙ぎ払おうとした。

 至近距離ならば、あの衝撃波から逃れる術はない。

 どんな達人でも、ひとたまりもないはずだと。


 しかしジンは、ヘクトールの動きを読んでいた。

 薙ぎ払いの体勢をわずかに見せた途端、すぐさまヘクトールの懐に入り込み、振りかぶろうとした手首をつかんで止めた。



「させんよ」



 手首をつかんだジンが、にっこりと微笑む。

 そして、ヘクトールの手首を握りしめた。



「ぐ、このっ……!」



 ヘクトールの顔がゆがむ。


 あのレオニダスに匹敵する握力だ。

 英雄ヘクトールですら、この握力の前では激痛に苦しむ。



「ぉ、おおおおああっ!!」



 しかしヘクトールは雄たけびを上げ、全身から衝撃波を放った。


 さすがのジンもそれは予想できず、三メートルほど吹っ飛ばされて着地した。

 あの薙ぎ払いの衝撃波よりも弱いが、身を守る術としては充分な威力だ。



「やれやれ、そんなこともできるのか」



 ジンは首を振った。


 たしかにヘクトールの技は、どれも戦場に向いている。

 大勢の敵兵を一撃で薙ぎ払い、囲まれても押し返すことができる。


 多人数を相手にした戦いであれば、彼は一級品の戦士だ。


 

「さて、お前さんの力はわかった。そろそろ決めさせてもらおうか」



 ジンは左足を前に出し、信国の太刀を高々とかかげて構えた。


 最初の構えよりも、刀の位置が高い。

 手の位置がジンのひたいにあり、首も、胸も、腹も、がら空きの構えだ。


 日本の剣術を知らぬ観衆も、ヘクトールも、それが『攻め』に特化したものであることは、なんとなく想像がついた。


 それゆえに体格の劣るジンが、そのような構えをとることに驚いた。

 はるかに体格が大きく、鎧を着こんだヘクトールに対して、一撃で勝負を決めるつもりなのかと、もはや滑稽に見えてしまう。


 だが、ヘクトールは真剣な表情を崩さない。

 

 太刀をかかげた構えをとった途端、ジンの威圧感がさらに強烈になった。

 まるで彼の身から、炎が噴き出ているかのような、激しい気合を感じる。



「いざ、参る」



 攻撃にすべてを懸けた、上段の構え。


 別名、火の構え。

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