聖騎士殺し : ルシア vs ジン

 明朝、ルシアは午前中の試合を申し込んだ。


 休日を返上して試合をすると彼女が言った時、胴元のドミニクは驚いていたが、結果的に喜んで了承した。

 闘技場の看板であるルシアが試合をすれば、客足がさらに増えるからだ。


 しかし、ルシアが対戦相手を指名した時、ドミニクや周りの剣闘奴隷たちは耳を疑った。



「……は? ジンって、あの、ジンのじいさんか?」


「ええ」


「お前とジンが、一対一の試合をするってか?」


「そうよ」



 迷うことなくうなずいたルシアを見て、ドミニクはひどく混乱していた。


 ルシアはこの闘技場では最強の剣闘奴隷だ。

 多少扱いづらい性格であるが、その強さは絶対であり、なおかつ彼女はどこか誇り高いものがあった。

 強力な戦士や魔物が相手でも恐れず戦い、自分より実力が劣っている相手にはとどめを刺さず、降参させて勝利する。


 そんな彼女が、なぜか老人の剣闘奴隷であるジンを、わざわざ指名したのだ。

 まともな勝負になるはずがない。

 ただただ悲惨な、圧倒的な虐殺劇になるだけだ。



「ルシア嬢、あのじいさんに、なんか恨みでもあるのか?」



 そこで今度は、剣闘奴隷のアントニオが声をかけてきた。

 周りの奴隷たちも、ひそかに耳を傾けている。



「さあね。でも、私は殺す気でいく」



 ルシアの返答に、ドミニクもアントニオも絶句していた。

 一体何があったのか知らないが、あの黒風のルシアが、小柄な老人奴隷を本気で殺すつもりなのだ。



「かかっ、やる気は充分というわけか」



 そこにジンが現れた。

 

 彼は昨日と違って鎧を身に着けていない。

 みすぼらしい奴隷服だけを着て、腰には珍しい形をした剣を差している。


 

「準備は良いか、小娘」



 ルシアのことを小娘と言ったジンに、ドミニクたちはさらに驚いた。

 

 この闘技場で彼女に上から話しかけられるのは、胴元のドミニクくらいだ。

 巨漢の強豪であるアントニオですら、彼女を小娘よばわりすることはできない。



「あなた、鎧は?」



 ルシアが問うと、ジンは首を振った。



「必要ない。お前さんの剣が当たるとは思わんしな」



 あからさまな挑発を放つジンに、一同は言葉を失った。

 昨日までのジンと、雰囲気や話し方が違う。



「……良いでしょう、ならば私も」



 むっとした顔になったルシアは、その場で鎧を外した。

 均整のとれた彼女のスタイルがそのままわかる、薄着の奴隷服だけになった。



「死ぬ覚悟はできたかしら、おじいさん」



  ルシアは不敵に笑ったが、目は笑っていない。

 『許した』というよりも、ジンという男を『対等』に見ているような顔だ。



「俺の覚悟はとうに決まっている。あとはお前さん次第だ」



 ジンの言葉に、ルシアはうなずいた。


 そしてジンは西側のゲートに、ルシアは東側のゲートに進んだ。



 ***



 闘技場は静まりかえっていた。


 東のゲートから現れたのは美しいダークエルフの剣士。 

 当然、皆が知っている。

 この闘技場で最強の奴隷、黒風のルシアだ。


 対する西のゲートから現れたのは、地味な風貌の小柄な老人。

 ほとんどの観客は彼のことを知らない。

 一部の観客だけが、彼は何度か試合に出て、運よく生き残ってきただけの老人だと気づいた。

 

 そんな二人が、闘技場で向かい合う。

 長年、この闘技場を見てきた者も、これは何かの冗談だと思うしかなかった。



「さ、さあ! 今日の第一試合が始まります! 皆様、盛り上がっていきましょう!」



 実況の男が無理に声を明るくさせて叫ぶが、観客の反応は今一つだ。

 いくらルシアが出場していても、さすがに限界がある。


 観衆の目当ては、今日の午後に行われる処刑試合だ。

 処刑されるのは双竜帝国の竜騎士で、処刑人はこの聖王国の聖騎士だ。

 彼ら観衆はそれを見るために午前中から席を取り、今ここにいる。


 はじめは彼らも喜んだだろう。

 午後の処刑試合だけでなく、午前の第一試合にルシアが急遽出場することになったのだから、今日の席を取れたのは実に幸運だと思っただろう。


 しかし、いざルシアの対戦相手として出てきたのは、貧相な老人だった。

 期待外れ、としか言えなかった。



「なあ、あのじいさんとルシア嬢が戦うのか?」


「知るか、というかどうでもいい」


「もう席はとっちまったし、今のうちに飯だけ買いに行くか」


 

 冷めきった観客たちだったが、来賓席にいる壮年の貴族が、ルシアとジンの顔を興味深そうに見比べていた。



「あの二人の顔、本気だぞ。なにやらワケありのようだ」


「そのようですな」



 壮年の貴族が面白そうにつぶやくと、隣の従者らしき男もうなずいた。



「……荒れるぞ、この試合」



 貴族はニヤリと笑い、体を前傾させて、両者に注目した。


 

「東からは我らが英雄、黒風のルシア嬢! 彼女の鋭く鮮やかな剣技の前では、屈強な剣闘奴隷はもちろん、巨人や猛獣も、たやすく斬り伏せられてしまうのです! 今日も彼女の剣技を焼きつけましょう!」



 実況者がルシアを紹介すると、ある程度の活気が戻る。



「対する西からは……ええと、剣闘奴隷のジン! これまで三度の戦いに勝ち残り、猛獣相手にも生き残った実績があります! 老体ながら生き残る力があり、今日もその意外性を発揮するのか!」



 次にジンの紹介もされたが、実況者も彼の紹介には苦戦していた。

 彼の実績はほぼ無いに等しく、ルシアと比べたら天と地の差があるため、どうしても滑稽な紹介になってしまう。


 

 「……では! 今日の第一試合、始めていきましょう!」



 もうこれ以上、場を持たせることはできない。

 そう思った実況者は、紹介をそこそこに済ませた。



「試合、開始っ!」



 闘技場の中央に立つ審判が、大きな声で試合開始を宣言した。



「さて、時間をかける必要もない。行くか」



 先に動いたのはジンだった。

 なんと剣を抜かず、そのまま歩きだす。


 これには観客たちがざわついた。

 明らかに格下であるジンが、武器すら構えず、悠然と前に進む。

 

 よりによって相手はルシアであり、もはや自殺行為だ。

 好戦的ではないルシアでも、馬鹿にされていると激怒するに違いない。


 しかし、ルシアは激昂することなく、黙って剣を構えた。

 彼女の顔に無用な怒りはない。

 ただひたすら真剣な顔で構えをとる。



「な、なんだ……ルシア嬢の様子がおかしいぜ」



 ここでやっと、観客たちも不自然さに気づいた。


 もしかしたら、ルシアは本気で戦おうとしているのではないか。

 そんな仮説が、彼らの頭の中をよぎった。



「ほれ、間合いだぞ」



 近づいたジンが一歩踏みこんだ瞬間、ルシアの剣が襲いかかる。



「ふむ」



 袈裟がけに斬りつけてくる刃に対し、ジンはわずかに身を引いた。

 ルシアの鋭い一撃は、ジンの服をかすめただけだ。


 だが、ルシアは次の攻撃に向けて動いていた。

 一撃目の勢いのまま体を回転させたかと思いきや、懐から短剣を取り出し、その短剣で突いてきた。



「うお、二本目か」



 ジンは少し驚いたような声を上げたが、これもたやすくかわした。


 

「いきなり暗器か。馬鹿正直かと思ったが、意外にねちっこいことをする」



 そう言いつつも、ジンは朗らかに微笑んでいた。


 一方、観客たちは静まりかえっていた。


 先ほどジンが入場してきた時のような、期待外れの静寂ではない。

 ジンという男の動きに驚き、何も言えずに固まっていた。



「なっ……なんなんだ、あのじいさん」



 ゲートの近くで見守っていたアントニオも、驚きを隠せない。


 ルシアの攻撃は、どれも本気だった。

 間合いに入った瞬間に鋭い一撃を浴びせ、それがかわされても、隠し持っていた短剣で腹部を刺しに行く。


 文句のつけようのない二連撃だ。

 老人相手に大人げない、とさえ思うほどの速度だった。


 しかし、結果は見ての通り。


 あまりに人間離れした足さばきで、ジンはルシアの攻撃を二連続で避けた。

 それどころか涼しい顔をして笑っている。



「どうした、もう手詰まりか」


「っ……なめるなぁっ!!」



 ルシアが吼え、突っこむ。


 長剣と短剣を自在に扱い、嵐のような連撃をしかける。

 上下左右に攻撃を打ち分けて、ジンの首、胸、腹、太ももを狙う。


 どれも刃を立てて、斬りかかっている。

 峰打ちする気はさらさらない。


 遠くで観ている観客でも、ルシアは殺すつもりで攻撃を繰り出していると理解した。


 だが、それらの連続攻撃を、ジンはたやすく回避する。

 逃げ回っているのではない。

 ルシアとの間合いを保ちつつ、最小限の動きで刃をかわして、いまだ無傷なのだ。


 

「そら、足元がお留守だぞ」


「くうっ!?」



 避けてばかりだったジンが足払いをしかけた。


 足元をすくわれ、ルシアが勢いよく転ぶ。

 すぐさま転がって距離を取り、立ち上がってから剣を構えなおしたが、いまだジンは剣を抜いてすらいない。



「はあ、はあ……この、ちょこまかと……」


「違うな、お前さんは無駄な動きが多すぎる。俺からすれば、隙だらけも良いところだ」



 ルシアは汗をかき、すでに息を切らせている。


 対するジンは一滴の汗もかいておらず、普段と変わらぬ顔色だ。


 素人の観客たちも、これはどういうことなのか、嫌でも気づいた。



「なあ……あのじいさん、とんでもなく強いんじゃなねえか?」


「ば、馬鹿言え! 逃げ回るだけなら、誰にだって……」


「てめえ、目は節穴かよ! ルシア嬢の猛攻を簡単にかわせるか! しかも足まで引っかけられて、どう見ても手玉にとられてるのはルシア嬢の方だ!」



 観客がジンの強さに気づき始めたところで、来賓の貴族が顔をしかめた。



「馬鹿どもが、今さらその程度の認識か……あのじじい、強いなんてもんじゃない。あのスピードの攻撃を、まるでおままごとのようにあしらってやがる……」



 はじめは面白がって見ていた壮年の貴族も、ジンの強さが異常すぎると悟り、嫌な予感を抱いていた。



「実力を隠す強者だった、というだけなら可愛いもんだ。だが、あの強さはこの闘技場でどうこうという次元じゃない。下手すりゃ、この国単位で揺らぐほどの……」


「自分が行きますか」



 その時、貴族の隣の従者がゴキゴキと指を鳴らし、立ち上がろうとした。



「よせ、俺らはお忍びでここに来ている。ここで暴れたらまずい。この試合はどんなことがあっても見届けるしかない」


「……承知しました」



 少し不服そうだったが、従者の男は素直に座りなおした。


 一方、試合は続いている。


 自分では歯が立たないと感づいていたが、ルシアの目はまだ死んでいない。

 

 この程度ではジンに認めてもらえず、死ぬまでこの闘技場で飼われ続ける運命となる。

 それだけは許せない。

 祖父を殺した勇者は、英雄として称えられている。

 祖父を裏切った魔族たちは、魔大陸でのうのうと生き永らえている。

 

 そして誰よりも、無力な自分自身が許せない。



「うぁあああっ!!」



 ルシアは獣のように吼えながら走りだし、ジンに向かって斬りかかる。


 吹っ切れたことで体の動きが格段に速くなり、先ほどよりも激しい連続攻撃を浴びせてくる。

 彼女の中で眠っていた才能が、怒りによって芽吹き始めているのだ。


 それでもジンはまだ余裕があり、剣を抜かずにあしらっている。



「のろいのろい。力任せに動いても、たいして速くならんぞ」


「くっ、このぉおおっ!」



 ルシアが大きく薙ぎ払ったところで、ジンは身を屈めて懐にもぐり込み、強烈な掌底を彼女の腹にめり込ませた。



「ぐはぁっ!」



 腹に衝撃が走り、ルシアの体がくの字に曲がる。

 強く入れ過ぎたかとジンが一瞬思った瞬間、ルシアは彼の手首をつかんだ。

 剣を二本とも手放して、ジンを両手で確実に捕まえたのだ



「ぐくっ……捕まえ、たわ……!」



 ルシアは歯を食いしばりながら、小さく笑った。



「やるな……しかしっ」



 ジンは手首をつかまれたまま体を切り返し、ルシアの体を背負い投げた。

 小柄なジンが、背の高いルシアを軽々と投げ飛ばす。


 あまりに非現実的な光景に、観客たちは絶句したが、現実にルシアは地面に叩きつけられた。



「くっ! ……はぁ、はぁ……おし、かった……!」



 地面に叩きつけられても、ルシアは急いで距離を取り、よろめきながらも立ち上がった。


 すでに彼女の体は砂だらけで、鮮やかさの欠片もない。

 闘技場の美しき剣士、華麗な黒い風と呼ばれた女とは思えぬ姿だ。


 しかしそれを馬鹿にする者は誰もいなかった。

 ルシアの鬼のような形相を見れば、彼女がどれほどの想いで戦っているのか理解できるからだ。


 初めはジンの強さに驚いていた観客たちも、いつしかルシアの必死な態度に圧倒されつつある。



「なるほど、予想以上に意志は固いようだ。本気だということはわかった」



 ジンは微笑み、満足そうにうなずいた。

 そして足元にあった剣を二本とも拾い、ルシアのほうへ投げ返した。


 自分の武器が返されたことにルシアは驚いたが、ジンが動かないのを確認してから、慎重に拾い上げた。



「どういうつもり?」


「お前だけが丸腰では、不公平だからだ」



 そこでジンの右手が、初めて剣の柄にかかる。


 ゆっくりと刃が鞘から解き放たれていく。

 妖しいと思えるほど美しい片刃が、ついに白日の下にさらされる。

 陽光を跳ね返す銀色の刃に、多くの者が息を呑む。


 名工、信国の太刀。

 前世から彼とともにあった愛刀である。

 

 小柄な彼では扱えないのではと観客は思ったが、彼が構えた途端、そのような疑問は吹き飛んだ。


 あまりにも堂に入った、中段の構え。

 それだけで威圧感が増し、多少の心得がある者は、寒気すら感じる。



「これからお前の力を試す……死ぬなよ」


「はっ、望むところよ……来いっ!」



 ついに両者が剣を構え、相対する。

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