第35話 別れ
ドライブという思い出の余韻に浸りながら、僕らはあっという間の冬を越えた。時間が経つのは早いもので、気がつけばもう「その日」が来ていた。
ベランダから下を覗くと、三月の肌寒い風が鼻をかすった。駐車場に止まっている引っ越しのトラックが、ブロロロと大きなエンジン音を立てて、ゆっくりと動き出す。公道に出たトラックは間もなくして角を曲がり、見えなくなった。
ポコポコとお湯が沸いた音が聞こえた。僕は部屋の中に戻り、やかんにかけた火を止めて、膝を抱えた那澄に「トラック、行ったよ」とだけ報告する。那澄は「うん」とだけ返事をした。
しばらくして、僕の部屋に入ってきた藤沢さんが玄関の段差にドカッと腰掛ける。
「やっと退去の準備終わったよ、やっぱ引っ越しって大変だね~」
そう言って、どこかわざとらしく息をついた。
今日が藤沢さんの引越し当日で、彼女は朝から忙しく退去の準備やら手続きやらをしている。そして、それと同時に僕と那澄は今日から同棲することになる。
「駅まではバスですか?」
「歩きで行くよ」
「何時に出ます?」
「もうそろそろ」
藤沢さんは僕の質問に答え終わると、コンロの上のやかんを指差す。
「のど渇いちゃった、なんか飲ませて」
「紅茶でいいですか?」
「うん、紅茶がいい」
そう言って、藤沢さんはニコッと笑った。
僕が淹れた紅茶を、藤沢さんは一口一口味を確かめるように、ゆっくりと飲んだ。
「ありがとう、おいしかった。......さて、もう行かないと」
紅茶を飲み終えた藤沢さんがすくっと立ち上がると、那澄が駆け寄って来て、彼女に抱きついた。
「ふふ、どうしたの那澄ちゃん」
「......詩乃ちゃん」
嗚咽が混じった声だった。
「......うん、大丈夫だよ、大丈夫」
と、藤沢さんは肩に顔をうずめる那澄の背中を優しくさする。那澄は大泣きだったが、藤沢さんは最後まで涙を見せなかった。
那澄を部屋に残し、僕はアパートのエントランスまで見送りをする。
エレベーターの中、藤沢さんが僕に話しかけた。
「前にも言ったけど、何かあったらいつでも私を頼っていいし、全部私に押し付けていいからね」
そう言うと、藤沢さんは口だけ少し微笑みながら、至って真剣な顔で僕と目を合わせる。その綺麗な瞳には、得も言われぬ圧があった。
「でも、那澄ちゃんを泣かせるようなことはしないでね。もし泣かせたら、許さないよ」
僕は一瞬気圧されたが、すぐに顔を引き締め、「うん」と頷く。
エントランスのドアの前。藤沢さんはいつものようにカラッとした笑顔で言うのだった。
「じゃあ、那澄ちゃんをよろしくね、三浦君」
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