第14話 ハーブキャンドル
夜のとばりが下りた頃。
シェアハウスの一室。ローレルさんの部屋にやって来た。
小ぎれいな木製の家具が設えており、カラフルな小物や雑貨で明るい空間を演出していた。窓際に、おじさんが育てたハーブの鉢植えが並んでいる。ちょっと恥ずかしい。
「今日は、この部屋でお休みになってくださいまし」
「宿を取る手間が省けて、助かるよ。しかし、私がベッドを使わせてもらったら、お前はどこで休むのだ?」
カミツレさんが首を傾げるや。
「わたくしは、タクミ様の部屋で健気に」
「えっ」
「冗談ですわ。節度ある淑女は、弁えますもの」
節度。弁える。こっちの世界だと違う意味なのかな?
明日辞書を引こうと決意して、おじさんはハーブキャンドルを持ち出した。
「カミツレさん、準備オーケー?」
「あぁ、問題ない。私は横になるだけだからな」
淡い紫色のパジャマを着た美人がこくりと頷く。
「カモミールとラベンダーには、睡眠促進作用がありましてよ。おハーブマイスターが手を加えると、効能100倍ですわ!」
「全く基準が分からないけど、上手くいくといいね」
「勝負はさておき、エンドー氏の手腕を信じさせてもらおうか」
カミツレさんは、手を組んでベッドに横たわる。
髪を下ろした美人がまぶたを閉じている。実に絵になる光景だった。
「……もし、見惚れてまして?」
「いや、全然っ。おじさん、女性の寝顔でドギマギしないよ!」
「ひがむな、ローレル。私に可愛げがないと重々承知しているよ」
どう見ても美人だけど、おじさんが美人と嘯けばセクハラ問題である。
ムサシの国のハラスメントコードは存じ上げないけれど、多分アウト。
「じゃれ合いはそこまでだ。疾く、頼む」
「分かりました」
ベッド脇のラックにハーブキャンドルを置いた。
糸芯に火を付けると、小さな炎が揺れ動く。
「……ふむ、何の変化も起こらないな」
「付けたばかりですし」
「ハーブティーは、異常な即効性だったぞ」
「むしろ、そっちがおかしいなあ」
本当にチート能力なら、火を付けた瞬間グンナイだと思った。
さりとて、カミツレさんは全く眠る様子がない。
まさか、ハーブティー以外はおハーブ無双できないのか。
おじさんが自信を失いかけたタイミング。
「う~ん、フローラルな香りがたまりませんの。ほのかに漂うリンゴのような匂いがアクセントですわ~」
おハーブ大好きお嬢様、椅子に座ってゆら~りと舟をこぎ始める。
「クッ、私を簡単に落とせると思うなッ」
まぶたピクピク美人。
「カミツレさんはなぜ抵抗してるん!? 大人しく、眠りに誘われてっ」
「やはり、無抵抗は性に合わん。負けて、たまるかぁーっ!」
ダメだこの人、ローレルさんと同じくらいダメだ。
否、どれだけ強情な美人もおハーブの前ではなすすべなく……
「う、うぅ……久しぶりに、ぐっすり、眠れ、そうだ……」
最後の気力を使い果たしたのか、カミツレさんはそっと頭を傾けた。
落ち着いた寝息が広がっていく。
「……落ちたな」
おじさんが悪いおじさんだったら、ぐへへ案件である。
おじさんは良いおじさんなので、掛け布団をかけるだけ。
「強烈な催眠効果があるねこいつは」
とりあえず、ハーブキャンドルの火を消そう。火の元、ヨシ。
甘い芳香の中、おじさんは1つ問題に気づいた。
「こちらのお嬢さんも寝ちゃってるよ」
「すぴー、すぴー」
夢見心地な表情を緩ませた、ローレルさん。
おじさんは、デスクに寄りかかったお嬢様をさすってみる。
ゆさゆさっ。あ、セクハラですよ!
「う~ん、もう飲めませんわぁ~」
「いつもたらふく飲んでるでしょ」
「タクミ様のおハーブティー、たまりませんのよぉ~」
「ありがとねー。さて、このおハーブさんをどうしよう」
仕方がない、カミツレさんの隣に寝かすとしよう。
「運ぶために、触りますよ」
おじさんが言い訳をしながら、ローレルさんの腕を肩に回したところ。
「んんっ」
「……っ!?」
寝返りをしたかったのか。けれど、正面切って抱き着かれた格好だ。
背中に腕を回されてしまい、おじさんは身動きが取れなくなった。
ローレルさんの柔らかい感触に、ビクッと反応しちゃう。
「ハーブキャンドルより強烈じゃん。誰か、ハチミツ溶かした?」
嗅覚を刺激され、くらくらと目が回る。これがハニーハントか。違うね。
おじさんは、悟りを開く勢いで解脱する。ふぅー、ふぅー。
「性格がエキセントリックなのに、慎ましさは逆に困るなあ」
ローレルさんにしがみつかれたまま、カミツレさんの元へ運ぶおじさん。
抱っこスタイルを強いられ、慎重かつ大胆に一歩ずつ移った。
「ローレルさん、着いたよ」
「……」
「親友と一緒に良い夢を」
「……」
おじさんが寝かせようと動けば、まるで抵抗勢力のごとく腕に力が入った。
「あのー、離れてくれないと、おじさん部屋に戻るけどさ」
「タクミ様のおハーブ、注いでくださいましぃ~」
「このタイミングで返事やめて! やらしく聞こえちゃうでしょっ」
うちは、合法です! 健全おハーブですわよ!
おハーブ感染甚だしい。
おじさんは、正気に戻った!
「後で文句言わないでよ」
いくら振りほどこうとも、コアラのローレルさん。
もうどうにでもなれ、とユーカリおじさんがくるりと踵を返した。
「ほんとに何もしないから、何もしないからっ」
「タクミ様のおハーブでないと、満足できない身体になってしまいましたのぉ~」
言い訳がましいおじさんと、寝ても覚めてもおハーブ大好きお嬢様。
夜はまだ、更けったばかりだ。
そして、お持ち帰りである。
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