02
***
「で、さっきは何喚いてたの?」
すっかり日も落ちたコンビニの駐車場。
いつものように、車も人も滅多に入ってこない奥まったところに並んで壁に寄りかかったところで、ユウリが両手で包んだホットコーヒーに息を吹きかけながら聞いてきた。
「さっき?」
「教室で」
「……ああ」
そういえば茶番に夢中で話してなかった。
頷き返して、ちょっと間を空けた。
もし仮に、あのことを……あの真相をそのままユウリに伝えたとして……はたして僕たちは、これからも友達のままでいられるだろうか。
僕は愁いを帯びた視線を夜空に向け――ベッドブルを呷った。
瞬間、翼を授けられてイキそうな刺激と怪しさ濃縮スーパー栄養素のプラシーボで、脳みそが感度三〇〇〇倍する。
シナプスが焼ける快感に、ビクンッビクンッしそうになるのを必死に押し殺して続けた。
「あっ。あっ。あっ。あっ……ふぅ……。ユウリ、僕はさ」
「待って。キモいから話す前に一回死んできて」
「ふふっ。そう生き急がないでよ、ユウリ。大丈夫。実は今、一回昇天してたんだ」
「誰が還ってきていいなんて言った」
「へ? いや、その……ごめん。でも! ――僕パスポート持ってないから強制送還なんだ」
「次は永住権を獲得するまでゴネ続けろ。それを心に刻んだら、きみの心情とかどうでもいいから結論だけ簡潔に述べろ」
「あっハイ。意識高い系配信者の底辺信者共が、日本の経済を上向ける起爆剤にドスケベ条例を施行して、性乱島を作ろうぜってはしゃいでいたのにブチ切れてました」
僕の告解にユウリはぱちぱち目を瞬かせて小さく首を傾げた。
「は? どすけ? せいらん……? 何それ?」
頭の上にクエスチョンマークが乱立している。
初めて掛け算を目にした小学生みたいだ。
――この程度の
出来は悪いけど可愛い教え子を見守る教師のように、慈愛に満ちた微笑みを向けたら脇腹に鉄拳が突き刺さった。
「い、色々端折って説明するとね。服とは? って哲学的難問を正面から殴り飛ばすハレンチ衣装を常に着て、いつでもどこでも誰とでもS○Xしまくり、みんなでドスケベ行為を楽しもうぜって条例と、そのための性と夢のディ○ニー
「エナドリキメ過ぎて脳みそ海綿体になってんじゃない?」
「勘違いを装った濡れ衣とか僕への殺意が高過ぎだろ。むしろ僕は反体制側だからね? いやホント。やっぱ日本人の慎みとか奥ゆかしさってやつが、侘びとか寂びとか萌えとか
「煩悩溜め過ぎて脳みそ海綿体になってんじゃん」
ユウリが苦虫を一度に百匹くらい噛み潰したみたいに顔を歪めた。
惨い顔だ。とても同じ人類に向けるものとは思えない。
やれやれ、ブラックコーヒーなんて飲んでるからそんなんなるんだぞ?
「ふぅ……。いいかい、ユウリ。僕はさ、日夜この国の行く末を案じてるんだ」
「きみに心配されるようじゃ、この国も先がないな……いや、そんな与太が議論になる時点で行き着くとこまで逝ってるのか……これ以上進む前に滅ぼすべきじゃないか? この国」
「確かにドスケベ条例と性乱島のコンボは、全日本国民を
「害獣駆除は保健所だっけ? ……猟友会の方が確実か」
言葉を重ねる度に、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
涙が溢れそうだ。いや、もしかしたらすでに零れているかもしれない。
それでも……どんな情けない面を晒しても、これだけは伝えなきゃいけない。
顔をくしゃくしゃにして、涙をいっぱいに溜めながら、僕は縋るように笑いかけた。
「でも、でもさ……きっとそこに……
「夢の国も立地は現実だって知ってた?」
ここには夢も希望もないし、こいつには情けも容赦もなかった。
冷酷な奴の方が夢との距離が近いってどうよ? えっ、何? 夢って、顔はいいけどDVな彼氏に依存する系メンヘラ女子なんですか? えぇ~……分かりみが深い。癖になるよね。
とはいえ僕の手には余る……いや、夢とおっぱいはデカければデカいほどイイって偉い人が言ってた。なら、たとえこの手に収まらなくても、僕にはそれを追い駆ける義務がある!
僕は手を力強くワキワキさせながら一歩を踏み出した。
ユウリは素早く一歩引いた。
「確かに、それは変えようがない。百人に夢の国はどこにある? って聞いたら、九十七人が東京って答えて、残りの三人が千葉だ! ってキレ散らかす。それが現実。けど、夢っていう名のお宝の在処が現実じゃ……あんまりだ。それが、本当に僕たちが求めた夢なのかな?」
「私の船一人用なんだ。降りてもらえる?」
――違うはずだ。
誰だって宝の地図が指しているのが自分の部屋で、箱の中から『何気ない日常にこそ、本当の宝はあるのさ☆』とか書かれた
そうなったら集瑛社は覚悟の準備をしておく必要がある。
――そうじゃない。
宝っていうのは、もっと日常とかけ離れて、どこか遠く、現実から隠されているべきなんだ。
だから、どうしようもなくワクワクする。
その正体が知りたくて、手を伸ばさずにはいられない。求めずには、いられない。
――そういうものなんだよ。
「でも、実際にそのディ○ニー
「やっぱ年パス買った方がお得かな?」
それとこれとは話が別よ。
だって目の前に大海原が広がってるんだ。漕ぎ出さないのは野暮ってもんでしょ。
もしかしてクラス行事とかで海に行ったとき、「私のことは放っておいていいから、きみたちだけで楽しんできてよ」とか言って、パラソルの下から遠巻きにはしゃいでる奴らを眺めて、若けーなぁって微笑ましく見守るタイプ?
無理に大人ぶっても皺と黒歴史が増えるだけよ?
「殺されたいの?」
「何も言ってませんが!?」
「違った。概念的に殺したよ?」
「いつの間にッ!?」
躊躇も人情もまるでない。あまりの速さに僕でも見逃しちゃったし、言葉にするより前に、既に行動を完了している手並みにはイタリアマフィアの生ハムっぽい兄貴もご満悦だろう。
今すぐ市役所に戸籍と死亡届の確認に走るべきか、それとも魂が存在する実例として学会に殴り込みをかけるべきか悩んでいる僕を横目に、ユウリは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
眉間に皺を寄せ、唇を尖らせてコーヒーを啜る。いつもと違う様子にハッとする。
そうだよ。いくら友達でも、こんな話を一方的に垂れ流すのはマナー違反だった。
つんっと顔を背けたユウリの背中に、遠慮がちにそろっと声をかけた。
「あ~……ごめん。配慮に欠けてた」
「欠けてるのは人間性だから。勘違いしないで」
「そうだよね……言い訳は見苦しいよね。全面的に僕が悪いし……本当にごめん」
振り返ってはくれなかったけど、そのまま背中に頭を下げる。
お辞儀というのは首を差し出す仕草が元になっているって聞いたことがある。
ただ、この場合、既に殺されている僕が首を差し出したところで誠意があるのか甚だ疑問だ。なんて、くだらない思考が漏れださないように口は引き結んでおいた。
わざわざ数えるほどでもない短い間の後で、腹の中にわだかまったものを吐きだすような、諦めきった溜息が聞こえてきた。
なんとか首の皮一枚は繋がっていたみたいだった。
「きみがそんな奴なのは今に始まったことじゃないしね。いいよ、別に。気にするほどのことでもないし、そもそもきみ程度が私の気に障れるなんて思い上がりも甚だしいから」
それでこの話は終わりとでも言うように、ユウリはコーヒーの残りをグイッと呷った。
だけど、僕としてはここで話を終わらせるわけにはいかない。
こんな苦い後味じゃあ、しかめ面も戻らないだろう。
僕も残っていたベッドブルを飲み干して、もう一度感度をビンビンにした。
「ぷはっ。いや、そうもいかないよ。流石の僕だって、さっきのがライン越えだって分かってるし、わざわざ気にしなくていいなんて言ってる幼馴染を捨て置けるほど鈍感じゃない」
「……そう。なら、それは今後の行動で証明して。口だけなら何とでも言えるから」
「うん、もう大丈夫。安心して――僕はもう、きみを一人置いて行ったりしないよ」
「……ん?」
思わずといった感じに振り返ったユウリの首がこてんっと傾いた。
『何言ってんだこいつ?』、もっと言うと『えっ、キモ』って感じの言葉が聞こえてきそうな、ハイライトの消えた目がこっちを覗き込んでくる。
フッ、これが俗に言う殺気ってやつなんだな、と常人なら死を覚悟するしかない圧を受けながら、僕は傷ついた肉食獣と向き合う気分で優しく笑いかけた。
「いいんだ……もう、いいんだよ。ユウリ。大丈夫――全部、分かってるから」
僕の慈愛に満ちた言葉に、ユウリは息を飲んで目を見張った。
それは予想外の事態に遭遇した、という驚きじゃなかった。目の前に曝けだされた真実があまりに身近だったこと、そして、そこに考えが至らなかった自分に対する驚きだった。
「僕は思い違いをしていた。ユウリの機嫌が悪くなったのは、くだらなくて卑猥な話を明け透けに、惜しげもなくぶちまけたからだと思ってた。確かに、こんな話は場末の薄暗いBARの片隅で、葉巻片手にやるのが通ってもんだと僕も思う。
でも違った。きみは話の内容に怒ってたんじゃない。きみは――自分が話に入っていなことに怒ってたんだよね」
誰だって自分を蚊帳の外に追いやってる奴が、目の前で見せつけるみたいに
僕が自信ありげに頷いていると、ユウリが顔を俯かせてスッと逸らした。
不意に、僕たちを照らす小さな街灯がジジッと明滅した。
辺りの光源はこれとコンビニから漏れる光だけだから暗く、陰に覆われたユウリの表情を僕からは伺い知ることができない。
まぁ、きっと自分でも気づいていなかった深層心理を言い当てられたのが恥ずかしかったんだろう。その証拠に、さっきまであんなに溢れていたユウリからの圧が消えていた。
いやぁ、気遣いができる男で申し訳ない。
「僕は性別なんてどうしようもない理由で、きみの可能性を否定してたんだ。でも気づいた、いや、思い出したんだ。女だって心に一物を抱えてる奴はいる!
僕は力強く拳を握りしめて叫んだ。
もうだいぶ秋も深まってきたせいか、底冷えするような寒さが足元から這い上がってくる。
だけど、その程度で僕たちの夢が、情熱が、揺らぐことはない!
「だからさ――イクときは一緒だぜ? ディ○ニー
僕はとびっきりの笑顔で手を差しだして――いつの間にか地面に横たわってた。
「…………はれぇ?」
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