無限の塔 ~一度入ったら出られない超高難易度ダンジョンに、投票でクラスから一人ずつ追放することになった。~

四角形

第1部 無限の塔へようこそ

第1話 「俺、クソすぎます」

 右手を宙に放り投げる。

 眼前に佇む憎い男にめがけ、ピンと人差し指を向ける。

 

 作った手銃の照準が完全にあったのを確認して、一呼吸。

 すぅ、はぁ。吐き出す息に殺意の音を乗せる。


「ばんっ」

 

 瞬間、指先から飛び出した弾丸がヤツの脳天を貫き、脳漿が破裂する。

 一瞬でヤツは息絶える。そんな能力が合ったりして。簡単に人を殺せたら、楽なのにとか、たまに思ったりする。

 

 ◇


「えぇ、先週の火曜日から行方不明になっていた田中くんは、今朝発表された死亡者リストの通り死んでいました。だから、えぇ、まぁ、みなさん絶対に、くれぐれも【無限の塔】へは行かないように。何が起こるか先生達も分かりませんが、生きて帰ってきた人などいません故、自惚れないように。それじゃあ、今日はこれで。えぇ、えぇ」


 生徒の死亡報告だというのに、先生はあくびをかみ殺すように、まるで事務報告みたく淡々と喋った。

 これで我が校の【無限の塔】での死亡者数は、とうとう7名となった。

 

 東京のど真ん中に突如として現れた、曇天を貫くドデカイ塔。中はファンタジー世界のダンジョンみたくなっていて、魔物が現れるという。そして、一度入ると攻略するまで絶対に外に出ることは出来ない。

 ただし、もしもその塔の頂きに達すれば――なんでも願いが叶う、らしい。曖昧なのは仕方ない。誰も攻略したことがないんだから。ただ、まやかしともつかぬ噂話だ。

 

 ともかくそんな甘い蜜に誘われる馬鹿が、この高校から七人も出たということは事実だった。

 いや、田中くんとその前に挑んだ彼に関しては、少々事情が違ったか。

 

 窓辺で頬杖をついて、遥か彼方に薄らと見える【無限の塔】を眺める。

 

 ……どのくらいの自信があって、どのくらい大きな夢があれば、あれを登ってやろうと意気込めるのか。俺にはまるで理解できないが。


『う、うわぁあぁああ!? やめろ、やめてくれええええ! 痛い、いたいたいたいいたい、誰か、誰か助けてぇえぇえぇッ!』

 教室中に甲高い悲鳴が響き渡る。クラスの中央で陽キャグループが集まって、嬉々としてスマホの画面を覗いていた。


「やっば。……めった刺しじゃん。つか、一層のコボルトに負けるとか、田中弱すぎんだろぉ……」

「はいはい、でもこれで賭けは俺の勝ちだからな! 田中なら一層で死ぬと思ったんだよなぁ」

「まあ、ジュース一本くらい良いけどさぁ」

「まじウケる。陽介、もしかして5連敗中じゃね?」 


【無限の塔】を攻略する人の様子は、常に世界中に生中継として放送される。

 先週死んだという田中くんの攻略状況もまた、しっかりと放送されていた。【無限の塔攻略者応援サイト】なるサイトがあって、そこで見れるのだ。

 政府もどうにかサイトを削除しようとあくせくしているようだが、どうやら手を焼いているらしい。 


 ――なぜ、こんな塔があるのか。なぜ中継されるのか。

 真相は全て不明だ。

 ただとにかく分かることは、そこでは、命はジュース一本と同じくらい軽いってこと。

 

「あー、おもしれぇ。まじで田中の死に様笑えるわ」

 クラスの中央で王様ぶっているドレッドヘアーの男、肥前くんが、腹を抱えて高らかに笑う。

「次は誰にする?」と彼が蛇のような目でクラス中を見渡すと、一気に教室は静まり返った。

 

 かくいう俺も息を殺して俯く。

 田中くんが彼に脅されて【無限の塔】に挑んだことは火を見るより明らかだった。目をつけられたら何をされるか分かったもんじゃない。


 教室の隅でイヤホンをつけて、現在二層を攻略中だという女の子の放送を眺めながら、俺は小さくため息をつく。 


「……何でも願いが叶う、か」


『きゃぁぁあああ!? やだやだ、なんで、なんで宝箱がモンスターにっ』

 耳を密閉するイヤホンから、痛烈な振動が鼓膜に伝わってくる。

 画面の右から左にコメントが流れていく。

 

”きたぁあああああ!”

”初歩的なトラップに引っかかって死ぬ気分はどう?”


『なんで、なんで!? 宝箱にトラップなんてないって言ったじゃん、嘘だったの!?』


”すまん、あれは嘘だ”

”嘘を嘘と見抜けるものでないと(以下略”

 

『ひ、ひどいよぉ、やだ、助けて、ママぁ、やだやだやだっ、いだぁい、いだいよぉ』

 

 ぐしゃぐしゃと口を開けた宝箱に噛み砕かれ血だるまになっていく少女の姿を見て、仄かに胸の奥底に熱が帯びる。

 

 あるいは俺が、その塔を登りきったとして、本当になんでも願いが叶うのなら。日菜の病気も治るのだろうか。

 病室で苦しそうに呻く余命一年の妹の姿を思い出して、自嘲するように鼻で笑う。

 なんて……そんな勇気ないくせに。 


「次はぁ、佐藤とかよくね?」

「あ、良いね。あいつめっちゃ情けない悲鳴あげて死にそうだし」

 

 びくりと、俺の隣で小さな丸まった背中が震える。勢い余ってか、隣の席の佐藤はその場で背中からすっ転んだ。ガタリと椅子とともにひっくり返る。

 それを見て、肥前くんはゲラゲラと愉悦の表情で笑ってみせた。


「やべ。佐藤マジで良いじゃん。ぜってーおもしれぇ」


「だ、大丈夫っ!?」 

 すっ転んだまま床の上で震える佐藤に、すぐさま委員長の日町真琴が駆け寄ってくる。

 正義感が強くきっぱりとした物言いが好印象な、学園一の美少女と謳われている女の子だ。

 

「ちょっと、そういうのやめなよっ!」

「え、なに? いーじゃん、おもしれぇんだし」

「そんなの、殺人と変わんないよ!? 何が面白いのか全然わかんないよっ!」

「じゃあやっぱ、委員長にしよっかな。なんかムカつくし」

 

 肥前くんの冷ややかな視線を浴びて、委員長はひっ、と肩を竦める。

 教室は完全にお通夜ムードで、みんな息を潜めて戦況を傍観していた。

 

 いや、まじで俺の隣で変なことしないで欲しいんだけど。

 ……つか、なんで日町さん、余計なことしちゃうかな。頭を抱えたくなって寸前で堪えた。平静を装う。まじで、肥前のやつもやめろって。

 俺、日町さんのこと、一年の頃からずっと好きなんだって。

 

「あれ、委員長もしかしてビビっちゃった? じゃあ選ばせてあげよっかな。佐藤か委員長、どっちか。……どうする?」

「それは……」

「あ、迷っちゃった? ……委員長、わかり易すぎて可愛いなぁ」

 

 肥前くんは髪をかきあげてゲラゲラ笑う。

 彼はボクシングのプロらしく、逆らえる人間はいなかった。というよりも、以前【無限の塔】で死んだ生徒が、実は肥前くんに殴られ、それで気絶していたところを【無限の塔】の中に放り込まれて死んだ、という話のせいで、誰も彼に逆らえなくなったのだ。

 この教室では彼がキングだ。

 しかし委員長は覚悟を決めたように顔を上げると、肩を震わせながら叫ぶ。


「じゃあ、私が行く」

「ひ、日町さん!?」

 

 日町さん!? じゃないだろ、佐藤! お前さ、そこは「いや、俺が行くよ」とか言えって。つか、日町さんも日町さんだろ。なんで行くことになってんの? 「そういう問題じゃないでしょ!?」くらい言ってくれって。頼むから……。

 汗がだらだらと吹き出る。無理、無理すぎる。俺の天使が死のうとしてる。そんなの、無理すぎる。

 

「言ったな?」

「【無限の塔】に行けばいいんだよね?」

「じゃあ、今から行けよ」

「……い、良いよ。行くもん。佐藤くん、大丈夫だからね。もう行かなくて大丈夫だから」


 クラスが騒然となる。しかし彼女を止める声はなかった。日町さんはずかずかと教室を出ていく。完全に意地になってる。顔真っ赤だし。そういうとこも可愛いんだけど。でも、いや、まじか。


「ちょっ!」と反射的に声を上げて彼女の背中に手を伸ばすが、ギロリと肥前くんに睨まれて席に座る。


 追いかけないと、止めないと、まじで日町さんが死んじゃう。

 やだ、やだって。なんだよこいつ、肥前とかいうクソ野郎。

 

 ……肥前くんに睨まれただけで犬みたいに命令聞いちゃう俺も、結構なクソ野郎だけど。 


「――明日もここで会えるかな……?」

 恥ずかしそうに顔を赤らめる日町さんの姿を克明に思い出す。一年前、犬の散歩中に日町さんと出くわした時のことだ。彼女は随分な犬好きで、なのに家で犬を飼えないらしく、俺の家の犬をとても無邪気に嬉しそうに撫でていた。

 それから週に一度、散歩ついでに彼女と会う日々がかれこれ一年間続いていた。

 陰キャの俺と学園一の美少女の、誰も知らない二人だけの約束だ。

 

 犬と戯れる彼女の笑顔を思い出して、胸がキュッとなる。今週末、というか明日も、ひっそりと会う予定だった。

 言えって。まだ間に合うって。追いかけろって。くそ、くそくそくそ。


 ……俺、クソすぎます。

 

 それから一時間経っても、日町さんは帰ってこなかった。ケロっと帰ってくるんじゃないか、なんて期待は、しかし簡単に霧散した。

 放課後に【無限の塔攻略者応援サイト】を見ると、彼女の姿があったからだ。失神するかと思った。

 

 肥前くんは腹を抱えて笑っていた。佐藤は安堵したようににやにやしていた。

 俺を含め、委員長を平然と見捨てた述べ39名のクソ野郎共。そのみんなが、委員長が魔物に追われて悲鳴を上げる姿を黙って見守っていた。

 

『きゃあああぁああ!? なにこれ、なんなの!?』

”過去一の美少女きたあああああ!!”

”そっこうで死にかけてて泣く”

”また美少女がゴブリンにレイプされるとこを見れそうで最高”

『やだ、誰か助けてっ!』 


「助けに……」と爽やかイケメンの相良颯太が呟いた。「助けに、行かないと……」

「誰が!? てか、勝手に変な正義感で突っ込んだあの子が馬鹿なだけじゃん!」と、ギャルのスクールカーストトップの女帝みたいな女が怒鳴った。

 

 クラス中がしんと静まり返る。

 結局は誰しも自分の命が一番で、日町さんが死のうとどうでもいいのだ。

 

 俺は……俺も、そうだ。

 出来ることといえば、コメントで彼女を応援することくらい。


”ゴブリンは足が遅い。全力で走れば振り切れる。戦うなら、狙うとしたら棍棒を振りかぶった後だ。そこでスキが出来るから”なんて本気でタイピングしてコメントを送る。

 

 けれど彼女はすっかりパニックらしく、とうとうゴブリンに追いつかれた。

 冷や汗をかく。誰しもが息を呑んでそれを見ていた。

 

 日町さんが、画面の中で棍棒でぶっ叩かれる。

 端正な彼女の顔が、一発でひしゃげた。眼球が半分飛び出て、鼻がぺちゃんこになっている。誰かが小さな悲鳴を上げた。肥前の笑い声だけが、静謐な教室の中でこだましていた。


 日町さんは『やぁ』とか細く悲鳴をこぼすと、画面に向かって手を伸ばす。

 目尻から一滴涙を伝わせて、彼女は小さく『たすけて』と声を零した。


『かもがわくん……』

 その名を彼女が呼んだ瞬間、一斉に教室中の視線が俺に集まった。吐きそうになって堪える。鳥肌が立って、必死に体を押さえつけた。

『……またあしたも、会えるかな?』


 トドメの一撃が振り下ろされる――瞬間、画面の奥の方から猛烈に火の玉が飛んできた。


『ぐぎゃあぁあ!?』

 ゴブリンが悲鳴を上げてぶっ倒れる。すかさず3人のパーティーみたいな人たちが駆け寄ってきて、魔法使いらしき女の人が日町さんに手をかざした。緑色の光が日町さんを包み込む。


「ヒールでござる……」とオタクのデブメガネくんが呟くと、一気に張り詰めた空気が弛緩した。


「助かったってこと?」と、普段目立たない女の子。

「多分」と、サッカー部の気さくな男の子。

「つか、鴨川って……言ってたよな」バスケ部の柄の悪い奴が疑問を浮かべると、一斉にまたこちらに視線が集中した。

 

「付き合ってたのか……」と棘のある口調で訊いてきたのは、つい先程彼女を助けに行こうと提案した相良颯太だった。




【あとがき】

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