人身売買

大上 狼酔

人身売買

 奇妙な部屋の中で若い男は目を覚ました。機械の重低音が永遠と鳴り響き、冷房が過剰に稼働しているせいで部屋が冷蔵庫の様だった。5、6人が入っても広々としていそうな直方体の空間で、全体が真っ白なコンクリートに囲まれており、一面だけガラス張りになっている。ただし、逆光のせいでガラスの向こう側の様子を確認する事は叶わなかった。

 若者は名前や自分の過去、何故ここに来たのかを、少しでも思い出そうと努めたがどうも上手くいかない。


「おー。 目覚めたか。」

 死んだ白魚のような眼をした男が声をかけてきた。白いTシャツにジーンズを履いており、髪は茶髪なのは普通だったが、片足には鎖が繋がれている。

「何だその顔? 鎖が気になるのか? お前にも付いてんだろ。」

「え?」

 確かに若者にも鎖が同じように繋がっている。しかし、拘束されているのは男と同じく片足のみであり、肝心の鎖は弛んでいる。彼は一筋の希望を見出だし、壁に向かって全速力で走って、コンクリートを力強く叩いた。

「誰か! 誰かいませんか!? 誰か!」

「誰も来る訳ないさ。」

 彼の叫び声は無機質な壁へと吸収され、虚しく消えてしまった。絶望した彼はのそりのそりと元の位置へと戻ってきた。


「……ここは何処ですか?」

 待ってましたと言わんばかりに男は死んだ眼でニヤッと微笑した。

「やっぱり知りたいかい? なら教えてやろう。 この部屋は檻だ。 俺達は奴隷で、ここは人身売買の会場って訳だ。」

「はぁ? 何を仰っているのか理解できません。僕は一般人ですよ。そんなはずがない。」

「あー、まだそんな戯言をほざくのかー。じゃあこの値札はどう説明する?」

 男はガラスの壁をゆっくりと指差した。目を細めて凝視すると「120」と書いた派手な看板が貼ってあるのが分かる。文字が反転しているのを見るに、向こう側の為にあるのだろう。

「ただの識別番号では?」

「それなら2人を同じ部屋に入れない。あんな凝ったデザインにもしねぇだろうよ。」


「でも信じられません。嘘だ。 嘘―――」

 若者はずっと抱いていた違和感の正体に気がついた。ガラスの手前に、部屋の床の三分の一程度を引っこ抜いたような長方形のが空いていたのだ。

「気づいたかー。無事に商品として売れた奴はこの穴に落ちるのさ。」

「何故そんな事を……。」

「エンターテイメントじゃね? 知らんけど。」

 男は穴に近づき、若者をからかうようにその虚空に手をぶら下げた。

「その距離だと分からないかもしれないが、本当に深い穴だぜ? 底が全く見えねぇ。」


 若者は混沌とした現実を受け止めきれなかった。彼は必死になって男に向かって反論する。

「証拠はあるんですか! この非現実的な状況を綺麗に説明できる証拠が!」

「あるんだよなぁ。 それがよ。」

 若者の猛追が一瞬にして止み、静寂が訪れた。正確には機械音のみが一定の間隔で鳴り響いていた。

「俺は売買を実際に見たんだ。効果音が鳴ったと同時にその地獄は始まった。落札された奴が落ちていくのも勿論見たよ。俺らみたいのもいたんだが、機械人間サイボーグとかアンドロイドみたいなのもいたな。」

「僕達以外の存在が?」

「そう。 ちなみに最上階には『190』とか『210』みたいなのがいるんだぜ?このフロアは高くても『150』なのに。」

「200を超えてると特別なんですか?」

「まあな。次元が違う。言うなれば「怪物モンスター」だな。」

 具体的な数字を用いられると現実味を帯びてくる。そもそも、この男には真っ当な理論抜きで信用してしまう何かがあった。

 男が続きの言葉を紡ぐ。

「それでそれでな、悪夢が暫く続いたんだけどよ、とうとう俺と一緒にここにいた奴が無事に落札されちまったんだよ。歪んだ顔をしながら穴へと真っ逆さま。勿論、俺の目の前で。一層恐怖で狂っちまうと思った時、音楽がピタッと止んだのさ。安心したのも束の間、今度はガラス張りの壁が開いた。温かな光が差し込んできたんだ。の顔と共にな。」

「神?」

「あぁ、俺達の何倍もの大きさの体を持つ上位存在。そいつが眠っていたお前をここに閉じ込めた……。実際にお前が運ばれていたのも見たからな。どうだ納得したか?」

「納得って、神とか言われてしまうと信憑性など皆無ですよ。」

 男が口にする「神」が通念的なものか、はたまた固有名詞なのかを若者は把握できなかった。とにかく話が拗れてきている。本来はこの状況を打開する積極性が必要かを判断したかっただけだった。

「ほ~。じゃあ、お前の名前は? 何処から来た?」

「え。えと、その……」

 必死に記憶を引っ張り出そうとするも、雲を手で掴もうとするかのように思い出せない。

「ほらな。過去を思い出せないだろ? 可能性は2つ。1つは神様の超能力。もう1つは記憶の一切を消す科学力を持つ連中。どちらにせよ詰んでる。」

 若者は現実を受け入れ始めていた。恐らく自分も死んだ白魚のような目をしているのだと自嘲するしかなかった。


 チャリン、チャリン


 途端に悪趣味な効果音が静寂に響き渡った。それは売買が始まる合図に他ならない。

「始まったな。」

 ギャンブルや賭けを彷彿とさせる音響はさぞ神を興奮させるのだろう。この状況では彼らには為す術などなく、逃げも隠れもせずに祈るしかない。若者は選択されぬ事を切に願い、床に膝をついて神に乞う。

 若者はあの男が沈黙を貫いて佇んでいるのにふと気づいた。目の前で何が起きているのか。

 不自然な男を見る為に前を向いた時、丁度ガラスの向こうに真っ黒な巨影が現れた。

 無慈悲な事に神はいなかった。

 残酷な事に「神」がいた。

「ほら見たことか。あーあ、どうなるんだろうな。頭でもねじ取られるんかな。そういう趣味を持ってそうだもんな、アイツら。」


 ピッッ


 不動だった鎖が根元ごとレーンに沿って移動する。若者は男の位置へと一瞬で移動させられた。

 つまり―――

「あばよ。」

 無愛想な男は穴の中の深い闇に放り出された。

 全てを達観した彼の顔と、重力に手招きされ落下する様は動く芸術作品であった。

 本来は悲しみに明け暮れる段取りなのだろうが、人の心配をしていられる程の悠長な時間はない。次に効果音が鳴ってしまえば、自分の番なのかもしれないのだから。


 チャリン、チャリン

 ピッッ


 今回は神に特段の迷いがなかったらしい。現状を把握した時には既に若者は宙に浮いていた。


 落ちる。落ちる。落ちていく。

 例え生き永らえたとして、としての生は途絶えるのだろう。無論、人権などありはしない。


 堕ちる。堕ちる。堕ちていく。

 若者は静かに瞼を閉じた。

 ようやく彼の記憶が戻った。背中に地面の存在を感じた時に。




「ねぇー、マジ暑くない?」

「ホントだよねー。水筒忘れるとかツイてない。」

「はいコレ。朝陽の分。」

「サンキュ。」

 女子高校生の二人が部活の休憩中に自販機で麦茶を買った。何気ない日常の中で二人の汗が青春を物語るように輝いている。

 朝陽はペットボトルのキャップをねじ切って蓋を開けた。その時の音が心なしか骨を折った音のようにも聞こえる。ペットボトルを口元へ持っていき、麦茶を一気に喉へと流し込む。心が満たされ、何と清々しい気分だろうか。この至福の時は、砂漠の中を歩いていた二人にとって、やっとの思いでたどり着いたオアシスであった。

「自販機サイコー!」

 雲一つない青空に彼女の甲高い声が響いたのだった。

 きっと自動販売機の中にも同じく呼応していることだろう。その笑い声が必ずしも同じ解釈とは限らないが。
















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人身売買 大上 狼酔 @usagizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ