第24話 ミシェル伯爵の視点3

 《退魔師》が訪れるという日が来た。

 これが終わればもう思い残すことはない。そう思って白銀の大樹の元へと向かった。体中に黒痣が広がって歩く度に激痛が走り、少しの距離がとても長く感じられた。

 それも今日で終わる。森に来る前に遅滞性の毒を飲んでいたからか心なしか体が軽い。


(毒を煽って体軽いって……矛盾しているな)


 これで全てが終わる。そう思って死に場所を選んだ――はずだったのに、それをぶち壊した《退魔師》見習いの女に腹が立った。

 マリーのような背格好に、彼女そっくりの声。

 居なくなった彼女を思い出して、逝けなかったことに八つ当たりをした。猛毒だったはずなのに解毒までして、用意周到差に苛立ちが増した。


 あの恩着せがましいジェシカを思い出す。善意に見せかけて伯爵夫人の座を狙っていた浅ましい女。

 マリー殺害計画を立てて、事故があったと平然とした顔で嘘をついて馬車に同乗してきて気を惹こうとしたあの女と同じ轍は踏まない。


「出て行け!」

「……それでは失礼します」


 あっさりと引き下がった頃に拍子抜けしてしまったが、油断はしない。

 この女の姿が見えなくなるまで気を抜きはしな――。


「帰るわよ、ヴァイス、リュイ」

『はい、わかりました』

『了。待っていた』


 耳を疑い、次に目を疑った。

 けれど間違いようもなく――精霊を呼び出し、。子供の頃に見た少年は僕と同じように大人へと成長をしていた。

 精霊たちは僕を愚か者だと嘲笑う。

 ああ、その通りだ。

 ベールで顔を隠しているとはいえ気付くべきだった。


 マリーの遺体がなかったこと。

 彼女と契約を結んだ精霊彼らが彼女を守らないはずがないということ。

 聞き覚えのある声と彼女らしい言動の数々。

 ヒントは充分すぎるほどあったのだ。

 それでも僕は、また取りこぼした。


「あ、なっ……」

「それでは伯爵様、さようなら」


 今生の別れとでも言わんばかりに、冷たい声音が耳朶に響く。

 違う、待ってくれ。

 マリー。

 そう彼女を追いかけようとしたが、解毒後で体が上手く動かずベッドから転がり落ちてしまう。それでも彼女の元に向かおうとしたが、転移魔法を使った後で光の残滓が僅かにあった。


「マリー」


 光の残滓に触れるが手の中からこぼれ落ちるように消えていった。それでも彼女が生きている、その事実に視界がぐちゃぐちゃに歪んだ。


「生きていた……。生きていてくれた」


 全身を蝕む激痛も消えて、体が軽い。

 体の痣も首から下は殆ど黒紫になっていたのに、胸元に紋様が残る程度に収まっている。これもマリーの持つ浄化の力だろうか。


(そうか。解毒と浄化は、《退魔師》の資質を持つマリーだったからこそ……)


 生きる理由ができた。そのことがただ嬉しくて、その後のことやら自分のしでかしたことなど頭から吹き飛んでいた。



 ***



「マリーになんて暴言を、あまつさえ塩対応するなど……」


 一夜明けて興奮が収まったころ、激しい後悔と絶望に襲われていた。カーテンから零れる陽射しが眩しくて目が潰れてしまいそうだ。


「謝罪の意を込めていっそのこと片目を抉ってみるのは……」

「無しだよ」


 音も気配もなく唐突にやってくる。

 使用人たちが戻ってくるのはあと数日あるはずだが。

 視線を向けると、部屋の入り口に佇んでいた客人は我が家のように寛いでいる。気に入らない。睨んでみたがまったくもって効果はなかった。


「教皇聖下の次は枢機卿がわざわざ訪れるとは……」

「酷いですね。可愛い甥のために様子に着たというのに」


 ローラン・エル・モロー。

 母の兄に当たる人なのだが、どう見ても外見が二十代後半にしかみえない。下手すれば僕と変わらない気がしてきた。

 伯父は母のことを溺愛していたシスコンで、母が亡くなったときに父以上に泣いていた人でもある。それからは父の遠征など遠出をするときは伯父が何かと面倒を見てくれた。お節介というか、よく気配りが出来る人だ。


「とりあえず危機を脱してくれて嬉しいです。……イリーナの時は間に合いませんでしたから」


 イリーナ、母の名前だ。

 ふと母のことで気になることがあった。母が邪竜の呪いに蝕まれているとき、なぜこの人は助けてようとしなかったのだろう。少なくとも病に伏してからローランが見舞いに来たことは無かった――はずだ。


「母の時は間に合わなかったというのは?」

「……妹は私より優秀で、それでいて邪竜の呪いに対しても早い内から耐性があった。それが羨ましくて妬ましくもあった。だからイリーナが倒れて邪竜の呪いに体が蝕まれていると報告が来ても『大丈夫だろう』と他人事のように思っていたのですよ。幼少の頃、妹が体調を崩すこともなかったのを見ていたから余計に……」


 あの時、母の死で泣き崩れたのは母を溺愛していたということではなく、蔑ろにしていた後悔からきたものだと知った。人は失って初めて自分の言動を省みる。

 僕もそうだ。

 何度もマリーの手を掴むことができたのに、躊躇って、疑って、気付かなくて――取りこぼしてしまった。


「と、そうだ。大事な話を忘れていました」

「大事? そんなものは後回しで――」

「偶然にもマリー様とお会いする機会がありましてね」

「なっ!?」

「直接の面会は……ちょっと難しいですが、手紙や贈り物なら預かりますよ?」


 天の助けというべきか、この時ばかりは救いの神に見えた。この瞬間だけだが。

 ローランは眼鏡を押し上げて笑う姿にイラッとしたが、何とか堪えた。

 それよりもマリーの現状をローランはどこまで知っているのか。枢機卿の立場であれば教皇聖下から話を聞いているのかもしれない。


 もともとキアラ様の血を引く超一流の《退魔師》なのだ、教会が保護に動くのもわかる。まずは塩対応してしまったことを平身低頭して謝罪するしかないだろう


「それなら手紙を書くので待っていてくれ! それと庭に薔薇が咲いているから摘んでくる」

「おや、使用人に任せればいいのでは?」

「暇を出したから戻ってくるにしても暫くは一人だ」

「……食事とかどうする気ですか? 料理なんて作ったことないでしょうに」

「僕だってそこまで馬鹿じゃない。一時利用馬車を呼ぶか、馬に乗って街で済ませる。とにかく勝手に帰るなよ」


 ローランは「はいはい」と暢気に返事をしたのを聞いてから中庭に向かった。彼女が好きだといっていた薔薇を届けよう。束で贈るべきか、いや今は時間が惜しい。

 一輪と手紙、そしてずっと渡すはずだった贈り物をローランに渡した。

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