第15話 浄化の儀と再会
慌てて下を見ると落ち葉などで気付かなかったが、黒ずんだ空間が広がっている。これが邪気と呼ばれる世界を蝕む邪竜の呪い。じわじわと世界を侵食していくその光景に背筋が凍り付く。
「それじゃあ、始めようか。――起きろ、フロース・ケラシー」
おじいちゃんが手を翳した刹那、何も無かった場所に黄金の杖が姿を見せる。それは杖というのが正しいのか分からないほど七つに分かれた剣にも見える。
《退魔師》の浄化方法。
それは《退魔師》の個性と精霊との相性によって異なる。そして浄化の方法も一人一人違うという。おじいちゃんの浄化とは――圧倒的な花びらによって邪気を埋め尽くし、それらを養分に変換して新たな息吹を生み出す。
幻想的な浄化。
数千の桃色の花びらが森に降り注ぎ地面を埋め尽くしていった。
桃色の絨毯が森中に敷き詰められたかと思った刹那、若葉色の芽が顔を出す。
森に吹き抜ける風は春を彷彿とさせ、甘い香りが吹き抜けた。
(わあ。これがおじいちゃんの力……!)
「浄化完了。……さて、領主に挨拶をして戻ろうか」
おじいちゃんは杖を消して私に向き直った。ベール越しだけれどほんの少し口元が微笑んだように見える。
すごい。
すごい。
『すごい、おばあちゃん!』
ふと脳裏に蘇るのはおばあちゃんの魔法だ。
ずっと魔法だと思っていたそれは《退魔師》の浄化だったのだろうか。
ここと同じ森でヴァイオリンを弾き鳴らしていた。
心地よい音。
思い出すのは温かな陽だまりと、楽しかったという過去。
白銀の樹木の前で私とおばあちゃんと――誰かがいた。それを思い出そうと集中しても濃い霧が記憶をぼかす。
(私はこの森を知っている。おばあちゃんと一緒に《退魔師》の仕事で来ていたの――かな?)
「おや、領主がきたようだ。……マリー」
「あ、はい。師匠」
「待たせて悪かった」
そこに現れたのは青黒い夜を纏った綺麗な青年だった。
上から下まで黒い服に身を包み、目元は黒の仮面を付けている。ミッドナイトブルーの長い髪、インディゴの瞳に整った顔立ちで華奢だが背丈はおじいちゃんと同じぐらい高い。綺麗な人だ。
心なしか顔色が悪く精気が感じられない。
(なんだろう。この人を会ったのは初めてなはずなのに……つい目で追ってしまう)
「……浄化の儀に間に合わなくて申し訳ない。この領地を預かるミシェル・ハリソン・カレントだ」
「伯爵。領主が立ち会うことは条件にありませんので、お気になさらず」
そうダークグレーの法衣を身に纏った神官が言葉を返す。
ミシェル様。若いのに領主だなんてすごいけれど、顔色が悪いのは仕事で根を詰めているからだろうか。
「それでは我々はこれで」
「……ああ」
軽く一礼をしたのち、私たちは森を後にする。
ミシェル様は危うい足取りで白銀の大樹へと向かって歩き出す。もしかして思い入れのある場所なのだろうか。
何となく気になって、この人から目が離せずにすれ違った後も目を追ってしまう。
次の瞬間、伯爵様は膝から崩れ落ちるのが見えた。
気付いたら私は走っていた。
気付いたら手を伸ばして伯爵様を抱きしめるものの、支えきれずずるずるとその場に座り込む。
ふわりとおじいちゃんの造り出した花びらが宙を舞った。伯爵様の体は冷たくて、驚くほど青白い。
「あの、大丈夫ですか?」
「マリー……」
「はい、何でしょう?」
ふと自分の名前を呼ばれたので言葉を返してしまった。その後で、激しく後悔する。
聞き間違い。
そもそも伯爵様が私の名前を呼ぶ理由などないのだ。
それをあまりにも素で応えてしまった。
自意識過剰。痛い、痛すぎる。
(あああああーーーー、恥ずかしい!)
「その……声」
力が抜けきっていた伯爵様は私に膝枕されているような感じになっている。大きな手が私のベール越しに頬に触れた。
「マリー、君一人を先に逝かせてすまない」
「(ん? これはもしかしなくても同名の方と勘違いしている!?)ええっと……伯爵様?」
「君との思い出の場所を守れて、これで思い残すことはない……」
(死ぬ気……というか自殺願望者!?)
伯爵様は目を閉じて気を失ってしまったのか、一気に全体重がのしかかる。揺すってもまるで起きる気配がない。呼吸はあるが顔色が悪すぎる。
寝不足だろうか。
(こういうときはどうすれば……。助けて、おじいちゃん!)
おじいちゃんたちに助けを求めようとしたものの忽然と姿が消えていた。
瞬きを何度かしても姿形もない。
どう考えても転移魔法で移動した後だというのがわかった。
つまり取り残された。
(なああああああああ……!)
混乱。
焦燥。
現状をどう打破すればいいのか脳内で思考が目まぐるしく駆け巡る。ふと自分には精霊のヴァイスとリュイがいることをも思い出す。
「ヴァイス、リュイ。伯爵様を屋敷に――」
『この男の願い通り私が息の根を止めましょう』
『肯。願いを聞き届けるのはいいこと』
今までもふもふで可愛い感じだったのに、途端に狼のような姿になるヴァイスに、大蛇となって丸呑みしそうなリュイがいた。
「のおおおおおおおお!? だ、ダメ。死ぬのはダメだし、殺すのはもっとダメ! 命は大事に!」
『マリーさまがそう言うなら』
『哀。……しょうがない』
「うんうん。とりあえず、伯爵様のお屋敷まで運ばないと!」
ヴァイスの背に伯爵様を乗せて、リュイの胴体で固定して屋敷まで運んだ。幸いにも森を抜けると大きなお屋敷があったので、使用人に事情を説明しようと思ったものの誰もいない。
見覚えのある草花に薔薇の垣根、白銀に水面が煌めく池。裏庭には深緑色の森が広がっている。それらを安堵しそうになったが、今はそれ何処ではない。
「とりあえず、ベッドに寝かせて……えっと、それから胃に優しい食事と水!」
『わかりました』
『了』
ヴァイスとリュイは伯爵様に何か怨みでもあるのか屋敷に入ると体を引き釣りながら寝室へと向かう。
「ストップッ! ちょ、二人とも扱いが雑でしょう!」
『わざとではありません。……この男が自分で勝手に落ちたのです』
『否。男の寝相が悪いからだ』
「もう、そんな意地悪なことを言うなら、もう一緒に寝ませんからね!」
『『!!?』』
ヴァイスとリュイは絶望し、慌てて伯爵様を背に乗せ直して運んでいった。
二人とも素直なのに珍しい、と思いつつ台所へと足を向けた。
見覚えの壁紙。
何処に何があるのか。
部屋の間取りから台所の材料に至るまで覚えている。
この屋敷を私は知っていた。
(やっぱり、おばあちゃんと私はここで生活していたことがある。懐かしいはずなのに、なんでこんなに胸が苦しいの?)
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