第12話 ミシェル伯爵の視点1

 生まれた時から邪竜の呪いを受け継いだ英雄の子孫。

 それが僕だ。

 ゆっくりと母の体を蝕み、その赤黒い呪われた痣は僕の体に少しずつ確実に蝕んでいった。父は騎士団長として激務をこなしつつ、僕を連れて《退魔師》の屋敷を訪れていた。グルナ聖国内でも有名な《退魔師》で遙か昔、邪竜退治に同行したメンバーの一人で昔から縁があるという。父の遠征中の間だけお世話になることになった。


 コフレ都市の郊外。

 伯爵家の屋敷と変わらない立派な屋敷に、薔薇の垣根、白銀に水面が煌めく池。裏庭には深緑色の森とかなり土地が広いようだ。

 僕は自分の体の痣が嫌でいつもフードを被っていた。髪も伸ばしていたし、服もぶかぶかなものを着ていた。そんな僕の前に彼女は――マリーは現れた。

 金茶の長い髪、鮮やかな蜂蜜色の瞳、愛らしく妖精のような笑顔で微笑んだ。


 僕の痣を見ても怯えないし、泣き出さない。

 むしろ「大丈夫?」とか「痛くない?」と声をかけてくれた。

 彼女の祖母が《退魔師》であり、両親と孫であるマリーはグルナ聖国で過ごしているという。マリーの両親はエグマリーヌ国に屋敷を構えており、国王陛下との契約で移り住んでいるとか。魔導具に頼る自国の情勢を改善したいなどの目論見があるらしい。


 マリーは妖精のように可愛らしくて、明るくて、優しくて、誰からも愛されているのが羨ましくて、腹が立った。

 だから誰も見ていないときに足を引っ張るようなことを言って困らせてやろうと――したのに、マリーは僕の手を引いて傍に居てくれた。


 精霊を呼び出すなんて子供のマリーにはできないと言ったのに、彼女は精霊と契約をして「友達になりってほしい」と告げた。

 その瞬間、マリーの中で僕以外の友達ができる、いやマリーとより仲良くなる存在に激しく嫉妬したのを覚えている。


「ダメ、マリーと結婚するのは僕だから!」

「え!?」


 結婚。

 そう自然と言葉に出ていた。

 顔を真っ赤にするマリーに、自分の気持ちにようやく気付く。

 でもそれを認めるのが怖くて、悔しくて――それでもマリーとの時間は幸福だった。

 穏やかな日々がずっと続くと、隣にマリーがいるのが当たり前だと――僕は勘違いしていた。


 《退魔師》は邪竜を崇め祀る闇結社の人間や、邪竜の力を受け継いだ邪竜族に命を狙われることがあるという。僕のような痣を持つ人間も邪竜を葬った人間として殺害対象らしい。


 そしてあの日、僕は《退魔師》の戦いを目の当たりにした。

 精霊と共に戦う彼女の祖母キアラ・ラヴァルは、齢六十を超えているというのに恐ろしく強かった。

 六属性全ての精霊を呼び出し、邪竜族の暗黒騎士たちを圧倒していて、僕とマリーは部屋の隅で抱き合って震えているだけだった。血塗れで、怪我を負いながらも戦い、勝機が見えないと悟ったキアラ様は数十の暗黒騎士を体内に封じ――自ら命を絶った。


 僕たちは何もできなかった。

 ただ震えて、涙を堪えるだけ。

 マリーはその姿に耐えられなかったのだろう。キアラ様が死のうとした刹那、祖母の元へと彼女は駆け出していた。


「おばあちゃん!」

「マリー、これは悪い夢だから。忘れなさい」


 そう言ってマリーにこの夜のことを一時的に失うように忘却魔法を施した。眠った彼女を奪われないようにギュッと抱きしめる。


「マリー」

「大丈夫、眠っているだけだから」


 キアラ様の体中に複雑な幾何学模様が浮かび上がり頬に亀裂が入る。子供の自分ですらもう持たないのがすぐに分かった。それでも気高く美しいその人は口元を緩めてマリーに向けて微笑んだ。


「どうして……記憶を消したのですか」

「この戦いかたは私で最期にするためさ。孫にはこんな危ない戦い方をさせたくない。《退魔師》ではなく、戦わないで幸せになってほしい……。ミル坊、マリーのことを頼んだよ」


 そう言ってキアラ様は亡くなられた。

 全焼した屋敷、荒れた庭を傷跡に残して。

 マリーの記憶は祖母との思い出のみで、あの日の出来事だけ忘れていた。


 遠征に出ていたマリーの母のカサンドラとその配偶者である守護騎士のレオナルド、そして騎士団長の父が戻り、マリーはエグマリーヌ国に戻ることになった。

 マリーの傍にいたかったけれど、それだけでは彼女を守ることなんてできない。

 僕はマリーのように特別でも何でもない。

 弱くて、呪われている、臆病な人間だ。


 屋敷の奥にある白銀の大樹。

 僕とマリーだけの秘密の場所で、マリーは微笑んだ。


「いつかミシェル様の呪いを解けるようにたくさん勉強をしますわ」

「本当に?」

「はい」

「なら約束してよ。そしたら――信じるから……」


 彼女は《退魔師》になることを無意識に忘れてしまったのか、あれから一度も口にしなかった。傍にいる精霊たちの姿も――見えていないのだろう。

 けれど今はそれでもいいのかもしれない。マリーは優しいから普通の少女として生きる道だってある。

 その代わり、僕が強くなってマリーを守ろう。

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