第十七話「時には出浴し、ベンチで身体を冷ますべし」②
とりあえず昼食をとろうということになり、結衣奈はふたりをオススメのそば屋に連れていって寒い時季の草津にぴったりの「舞茸つけ汁そば」を平らげた。風味と歯ごたえ抜群の舞茸を存分に味わい、富美代にはバス移動の疲れをゆっくり癒してもらってから店を出る。
その間、結衣奈はずっとリストと睨めっこをしていた。
「うーーーーーーーーむむむ……」
ああでもないこうでもないと頭の中でシミュレーションし、廃案にする。
これで三十個目の廃案だ。これまで『バスターミナルから湯畑へ。湯畑から西の河原通り経由で西の河原公園へ。そして大露天風呂でフィニッシュ』という王道ど真ん中のルート(ちかやと初めて出会ったときと同じルートだ)にばかり頼ってきたツケがのしかかっている。
「うふふ。お嬢さん、真剣に考えてくださってるわねえ」
「うん。ゆっくりまとうね」
「そうねえ。あら、あそこで何かやってるわ」
ちかやと富美代の心優しい会話が聞こえてくる。なおさら早く決めなければと結衣奈は焦った。
「……よし、決めました! 温泉はないけど、やっぱり初日は王道ルートで……って、あれっ!?」
結衣奈が意を決して顔を上げると、ちかやと富美代がいなくなっていた。
「えっ、あれっ? ちかやちゃーん、富美代さーん」
結衣奈は辺りを見回して歩き――ふたりが謎の列の最後尾にいるのを発見した。
数少ない観光客がそば屋のある狭い通りの一角に並んでいる。列はざっと五組ほどだ。
こんな場所にお店なんてあったかなと思いながら、結衣奈は小走りで駆け寄っていった。
「ちかやちゃん、どうしたの?」
「……うらないだって」
「占い?」
結衣奈は列に沿って進んでいき、先頭に辿り着いた。
旅館と旅館の間にある狭い路地にひっそりとその店はあった。路地の角に立つ看板には、
『占い無料 ※ただし、温泉まんじゅう一個いただきます』と書いてある。
ちょうどそのタイミングで、若い女性二人組が暖簾をくぐって出てきた。
「すごかったね、あの子……」
「うん……。私、本当の気持ちは誰にも言ってないのに! なんで分かったんだろう?」
「私も! でも、ふたりともクリスマスまでには恋人ができますって言ってくれて……」
二人組は興奮した口調できゃいきゃいと喋りながら去って行く。その会話を聞いて、通りがかった別の観光客が列に並んだ。そんなふうにして列が延びていっているらしい。
結衣奈は「誰のお店だろう?」と思いながらちかやのところに戻った。お代の温泉まんじゅうを買っている間に結衣奈たちの番になり、暖簾をくぐって奥へと進む。
そこにいたのは、黒いローブを被ってのほほんと笑う少女だった。
「いらっしゃいませ~♪」
「楓花ちゃん!?」
占い師・楓花はひらひらと両手を振って結衣奈たちを迎えた。机には水晶玉もルーペもないが、代わりに温泉まんじゅうが二十個ほど山積みになっている。
「な、なにやってるの?」と、結衣奈は尋ねた。
「ふうかね、彩耶ちゃんと那菜ちゃんに呼ばれて来たんだ~♪『結衣奈ちゃんが安心しておばあちゃんをご案内できるように、他のお客さんはわたしたちがお相手しよう!』だって」
「そ、そんなことが……! 彩耶ちゃんも那菜ちゃんも楓花ちゃんも好き……!」
結衣奈は目頭を熱くした。他人の優しさが心に染みる日である。
「結衣奈ちゃんも占う?」と、楓花が尋ねた。
「あ、わたしはいいよ。ふたりをばっちり占ってあげて!」
「……おねがいします」「お願いします」
ちかやと富美代は楓花に一礼すると、手前に置いてあるパイプ椅子に座った。
ふたりの占い結果を自分が聞くのもどうかと思ったので、結衣奈は外で待つことにした。折良く考える時間ができたので、再びちかやのリストを広げる。
「……こっちに来ちゃったなら、湯畑じゃなくて神社かな? ……うーん、でも……」
そうしていると、五分ほどでちかやと富美代が出てきた。ふたりも先ほどの二人組と同じく饒舌になって、「どうしてわかったんだろう」とか「近いうちに願いが叶うらしいわよ」とか言っている。
「あのね、あのね、『どうしてそんなにわかるんですか?』ってきいたらね、えっと……」
「『占いは統計学だから簡単だよ♪』って仰ったんですよ。今時の学生さんは頭がいいのねえ」
「いや、あの子が特別なだけだと思います……」
結衣奈は「楓花ちゃんも温泉むすめなんですよ!」という話をしながら移動し、西の河原通りに出た。再調整したルートでは、そこから西の河原公園に向かい、ちかやの両親が出会ったという縁結び地蔵まで先に行ってしまおうという心算である。
「……あれ。あそこにも人があつまってるね」
しかし――今日はプラン通りには事が進まない日らしい。ちかやが指差した先にいたのは、またしても結衣奈の見知った顔だった。
「温泉まんじゅういかがですかーっ? 源泉が枯れている期間限定! 草津中の温泉まんじゅうの食べ比べセットやってまーす!」
「あ、そこのお三方、っていうか結衣奈! ぜひぜひ!」
県立草津口高校の制服の上にエプロンを被り、元気よく客引きをしているのは結衣奈の元クラスメイトたちである。しかも売っているのは温泉まんじゅうだ。
完全に結衣奈特効の足止めトラップである。彼女は引き寄せられるように近づいていった。
「わ、おいしそう……じゃなくて、はーちゃん、まいまい! なんでここに?」
「臨時バイトだよーん。源泉が復活するまでの期間限定で」と、はーちゃんが言った。
「うちら近所だから駆り出されたんだよお。はい、一セット五〇〇円っ」と、まいまいが温泉まんじゅうセットを押しつけてきた。色も形も様々なまんじゅうが十個入っている。
「えっ、こんなに入って五〇〇円!? もう一セットください!」
「まいどー!」
「……おねえちゃん、おひるごはん食べたばかりじゃない?」と、ちかやが感心して言った。
「あっ」結衣奈は我に返った。これではただの食欲魔神である。
「ひ、ひとつはふたりの分だよ! はい、お土産にどうぞ!」
結衣奈はとっさに取り繕った。
「あらあら、本当にいいんですか?」と、富美代が見透かしたように笑いながら念を押した。完全にひとりで食べるつもりで買ったと思われている。結衣奈は「あ、あはは……」と頬をかいた。
すると、今度は通りの反対側からまばらな拍手が聞こえてきた。
「あ、あれーっ? またなんかやってるみたいですね!」
結衣奈は自分の食欲を誤魔化すようにそちらを見た。
通りの片隅に十人弱の人だかりができている。
その中心に――西洋人「風」の外見をした少女が立っていた。
「ヤーヤー! みなさんグーテンターク! ドイツ生まれのお笑い芸人、奏・バーデンデース!」
「え、ええー……」と、結衣奈はドン引きした。奏は地元の由布院温泉ではないのをいいことに、ドイツ人で押し通すつもりらしい。
「あらあら。ドイツ人さんだって。ドイツにもお笑いってあるのかしら?」
「みてく?」
「そうしようかねえ」
富美代とちかやは興味津々である。
「あ、いや! あの子は……」
「おねえちゃん?」
「……なんでもない! わたし、終わるまで次のお店をチェックしてくるね!」
奏の正体を明かそうとした結衣奈だったが、楓花の言葉を思い出して口をつぐんだ。おそらく奏も結衣奈と草津温泉のために駆けつけてくれたに違いない。
「ま、今日のところはツッコまないでおいてやるか」と苦笑して、結衣奈はその場を離れた。
西の河原通りをぷらぷらと歩く。
なんとなく、プランを練り直す気にはならなかった。
店頭には「温泉たまごになるはずだった普通の半熟たまご 大好評発売中!」とか、
「『源泉枯れたぜ!』手ぬぐいの予約受付中です!」など、色とりどりのポップが並んでいる。
『……あの、結衣奈さん』
商魂たくましいなあと結衣奈が思っていると、スマホから「ユツバ(陰)」の声がした。
「どうしたの?」と、スマホを取り出す。立体映像のユツバはもじもじと指先を絡めていた。
『……お時間あるなら、左のお店を写真に撮っておいてくれませんかね……?』
「左? 左っていえば……」
結衣奈は言われたとおりに左を見た。
そこにあるのは『アニメグッズ専門店』だ。これぞ温泉地という土産物屋が並ぶ西の河原通りで一際異彩を放つ店舗である。壁にはイケメンな二次元戦国武将がでかでかと描かれていた。
「このお店のこと?」と、結衣奈はスマホをそちらに向けた。
『……おおおう……』
ユツバは二次元アイドルが出してはいけない声を出した。
『何度か通りがかったときから気になっていましたが、やはり信長様……。しかも発売から数日で致命的なバグが発覚して自主回収騒ぎになった『Ⅶ』仕様のイラスト……っ! まさか草津温泉の一角で拝めるとは思いませんでした……! 撮影撮影……!』
「えーと、なに言ってるか分かんないけど……。とにかくすごいお店ってこと?」
『はい……!』
「へー、全然知らなかった。中も見てみる?」
『いいんですか!? で、では……恐れながら……』
結衣奈はユツバを掲げながら店内に入り、ユツバが店長のコレクションにいちいち感動するのを楽しみながら時間を潰した。
ちかやたちと再合流するころには、結衣奈の頭から「草津マイスターとしてルートを練らなければ」という考えはすっかり消えていて――一行は目に入ったお店にふらっと立ち寄りながら通りを楽しむことにした。
♨ ♨ ♨
結局、西の河原通りから湯畑に移動するだけで三時間近く経過してしまった。
湯畑にもお客さんはほとんどいない。せいぜい報道メディアの姿が目立つくらいだ。人々の話し声も、無限に湧き出る温泉が流れる音もなく、しんとしている。
「……ここからぶわあって温泉がわいてね、あの木をとおってざーっと向こうにいくんだよ」
「あらあら。それはすごいわねえ」
ちかやは懸命に湯畑のすごさを伝えようとしているが、本人はうまく表現できていないと思っているらしい。カプチーノを抱く腕がもどかしそうにそわそわしている。
「でも、お湯がないのをみたのははじめて。あるいみラッキーかも」
「ふふふ。おばあちゃんも初めてだから、ちかやと一緒ねえ」
それでも、ちかやと富美代は楽しそうに笑い合っている。
結衣奈もつられて微笑んだ。
「富美代さん。草津にはまだまだたくさん見所があります。だって、ちかやちゃんのリストの一割も消化してないんですよ」
「あら、そうなの? 一週間で回りきれるかしらねえ」
「いやー、無理かもしれませんよ」
意地悪ではなく、本心からの言葉だった。
西の河原通りを歩くにつれて――結衣奈の心に、確信めいた想いが浮かんでいた。
草津温泉は、確かに日本一の「温泉」がある場所だ。
――けれど。
「だって、温泉がなくても――
結衣奈は力強く宣言した。
その言葉を聞いて、富美代はにっこりと笑う。
「うふふ。じゃあ、頑張らなくちゃあね」
そして、彼女は静かな湯畑の一角にある建物を指差した。
「ちかや、次はあれに行きましょう」
「うん」
その建物は『御座敷乃湯』といって、普段は二種類の源泉の入り比べができることで人気の温泉施設だ。一階が浴場、二階が広い座敷になっていて、湯上がりには湯畑を見下ろしながらのんびりと過ごすことができる。
源泉が枯れてしまったいま――そこには「現役読モが教える! 浴衣着付け体験(記念写真付)」の文字が看板に躍っている。二階の窓に見えるのは輪花の姿だ。彼女の口の動きから察するに、割と容赦なくファッションやその見せ方にダメ出しをしているらしい。
ただ、ダメ出しの効果のほどは確かなようで、『御座敷乃湯』から出てきて結衣奈たちとすれ違うお客さんたちは見違えるように写りがよくなった自分の写真を満足げに眺めている。
「……お客さんが来てくれればなあ……」
結衣奈はそう呟いて、静かな湯畑を振り返った。
よく見ると、店頭には色とりどりのポップや看板が並んでいる。
湯畑のお店も西の河原通りに負けじと様々な工夫を凝らしているのが分かる。それは源泉が枯れてしまってから必死にひねり出した工夫なのかもしれないし、もしかしたら、結衣奈が見落としていただけの、湯畑が健在だったときからずっと提供してきたサービスなのかもしれない。
草津温泉は――死んでなどいなかった。
お客さんが来てくれさえすれば、絶対に満足してもらえる――相も変わらず、日本一の温泉地であり続けていた。
「本当に、来てくれさえすれば分かってもらえるのに……」
自分に人を集める力があればな、と結衣奈は思った。
だが、人を集めるということは難しいものだ。それは結衣奈自身もよく分かっていた。結衣奈がどうしても人を集めたくて広場で踊るときも、みんなに協力してもらって、ようやく――。
「……あ」
結衣奈はばっと顔を上げた。
――結衣奈の瞳は、『御座敷乃湯』のすぐそばに広がる――その「ステージ」を捉えていた。
「あっ、あああっ……!」
結衣奈はわなわなと震えた。
「あああああーーーーーーーーっ!! これだあーーーーーーーーっ!!」
「……!?」
突然の大声を聞いて、『御座敷乃湯』に入ろうとしていたちかやが驚いて振り返った。
「……どうしたの?」
「あっ、えっ、ええーーっと。あの、あのっ!」
結衣奈は両手をばたばたと振り回しながら挙動不審になった。両脚はその場で走り出し、腿上げの筋トレのようになっている。
まだ――ちかやと富美代の案内の途中だ。
でも、このアイデアを実現するために一刻も早く駆け出したい。
そんな結衣奈の思いを見透かしたかのように、富美代が言った。
「……行ってくださいな。お嬢さん」
こくこく、とちかやも頷いた。彼女にすら結衣奈の考えは筒抜けなようだった。
富美代とちかやはそっくりの笑顔ではにかんで、言った。
「おねえちゃん。今日はありがとう」「お嬢さん、今日はありがとうございました」
「ううん……こっちこそ! こっちこそありがとう!」
叫ぶようにそう言って――結衣奈は走り出した。
湯畑を駆け抜けて、石段へ。石段を一足飛びで上って、境内へ。シャクナゲの木に積もった雪を振り落としながら、ふたりがいる『結』へ。
草津温泉の旅館に必ず設置されている防寒対策の二重自動ドアがほとんど同時に開く。
その先で――ふたりの親友が待っている。
「ようこそおいでくださいまし……」「た……って、結衣奈ちゃん!?」
「彩耶ちゃん! 那菜ちゃん!」
結衣奈はそのままふたりに突っ込んで、抱きつくようにして勢いを殺した。
乱暴な止まり方だが、ふたりはちゃんと受け留めてくれた。
「踊ろう! わたしたち!」
「え?」
ばっと頭を後ろに引いて、結衣奈はふたりの顔を見る。
「歌って、踊って、みんなを集めよう! 来てくれさえすれば、絶対に分かってもらえるよ!
温泉が止まっちゃっても――それでも、
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