温泉むすめ 神さまだけどアイドルはじめます!
エンバウンド/佐藤寿昭/DRAGON NOVELS
第一話「脱衣所でしっかり給水しておくべし」①
温泉に入りたいな、と草津結衣奈は思った。
ツインテールを作り直すために髪の毛を弄くっているのだが、指先がかじかんでうまくまとまらない。せめて手先だけでも温泉に浸して、冬の深夜の冷気から解凍してやりたかった。
「あー……。それ絶対気持ちいいやつじゃん……」
結衣奈は想像してぽつりと呟いた。その声は誰もいない境内の夜闇に溶けていく。
十二月三十一日、大晦日である。
大晦日の夜なのに、結衣奈がいる神社にはひとりの参拝客もいなかった。普通、大晦日といえば年越しと同時に初詣をしたい人々が境内に溢れて、十二月なのにうっすら汗ばむほどの賑わいをみせるものだ。しかし、この神社には誰も来ない。
地図に載っていないとか、そういう神秘的な理由ではない。インターネットで『出雲温泉神社』と検索すれば〇・〇〇九秒で住所が分かる。出雲の町外れ、田畑が広がる平地の一角に建っている普通の神社だ。
それなのになぜ参拝客が来ないかというと――理由は自明である。
「……ん?」
鳥居の前に一台のレンタカーが停まった。
中から二十代後半と思しき外国人カップルが降りてくる。「ワアーオ……」と感嘆しながら鳥居を撫でるさまは紛うことなき観光客だ。
結衣奈の出番である。
「あっちゃー……。いま何時?」
スマホを見ると、年越しまであと一時間もない時刻だった。
「げ、急がないと! ちょ、ちょっとすみませーん!」
彼女はバッと立ち上がり、結局まとめられなかった髪の毛をひらひらとなびかせながら小走りでカップルのところへ向かっていった。『お勤め』用の巫女服――礼服がバタバタとなびく。
「オー! ジャパニーズ巫女ガール?」
「巫女サンデスカー?」
礼服に身を包んだ結衣奈を見てカップルの男の方が英語を喋り、女の方が日本語に通訳した。
そんな質問に答えている場合ではない。結衣奈は単刀直入に言った。
「ここは出雲大社じゃありません! 出雲大社はあっち!」
「ワット?」
「あっち! ほら、あの一角だけ光ってるでしょ! ザッツ出雲大社! ヒアズノー!」
「エ!? マジですか!?」
女性の方は意外と日本語が達者なようだった。
出雲温泉神社に参拝客が来ない理由は明快だ。誰もがすぐそばの出雲大社へ行くからである。
そして、ごくまれに出雲大社と間違えて出雲温泉神社に来てしまう参拝客を今のように誘導するのが、今年の結衣奈の『お勤め』だった。
「いまから急げば年越しに間に合いますから! 行って行って! ゴー! ハリーハリー!」
「おー、アリガトゴザイマース!」
カップルは急いでレンタカーへ戻っていった。
「あ、これ持ってって!」
その別れ際、結衣奈は日本語が分かる女性の手にチラシを一枚ねじ込んだ。女性はそれを持ったままレンタカーに乗り込んで、彼氏がシートベルトを締めている間も不思議そうに眺めていたが、やがて顔を上げると、パワーウインドウを開けて「ヘイ、ガール!」と結衣奈を手招きした。
「なんですか?」
「これ、ドコにある温泉デスカー?」
食いついた――と、結衣奈は思った。
「日本のど真ん中です!」
「ハァン?」
「日本に来たなら絶対に行かなきゃ損ですよ! なんてったって、日本一の温泉ですから!」
「日本一?」
「日本一です!」
結衣奈はずいっと身を乗り出して答えた。
「オ、オウ……。ソウデスカ。考えてオキマス。センキュー、プリティガール」
助手席の女性は結衣奈を避けるように仰け反った。そして愛想笑いを浮かべると早口でそう言い切り、逃げるようにパワーウインドウを閉め、彼氏に言って車を発進させた。
外国の人もお世辞を言うんだなあと思いつつ、結衣奈は去って行く車にぶんぶん手を振った。
「日本一の名湯、草津温泉! 草津温泉をよろしくお願いしまーーーーす!!」
テールライトが見えなくなるまで見送ると、結衣奈は「……ふう」と満足そうに息を吐いた。
「……なーにやってるの?」
「ぎくっ!」
「『おいでませ草津温泉へ』。はえー……、よくできたチラシだべ」
「ぎくぎくっ!」
結衣奈は身を強張らせた。
おそるおそる境内を振り返ると、よく見知ったふたりの少女が立っていた。片や呆れ顔で結衣奈を睨みつけ、片や感心して結衣奈が作ったチラシを読んでいる。ふたりとも結衣奈と同じ礼服を、結衣奈とは違ってきっちり着こなしていた。
呆れ顔の少女が盛大に溜息をついた。
「寒くて暇なお勤めに自分から立候補したって聞いたから、なにを企んでるのかと思えば……こういうことだったのか」
「あはは……。彩耶ちゃん、いまのは見なかったことに……」
「だーめ。こっち来て。それでそこ座って」
「はーい……」
結衣奈は言われたとおりに境内に戻って、本殿の縁側に正座した。板張りの床なのでびっくりするほど冷たい。お説教が長くないといいなあ、と彼女は思った。
「まったく……」
呆れ顔の少女――箱根彩耶は長いポニーテールを揺らして結衣奈の左側に回り込む。
そして、だらしなく垂れ下がった彼女の髪の毛を手に取ると――手際よくまとめ始めた。
「草津温泉を売り込むなら、結衣奈がこんな格好じゃダメだよ。仮にも草津の代表なんだからさ」
「彩耶ちゃん……?」
「だいたい、結衣奈は考えが浅いんだ。出雲って島根県だよ? こんな場所で群馬県にある温泉の宣伝されたら外国人だって愛想笑いしたくなるよ」
内容こそ説教じみているが、彩耶の手つきは声色と同様に優しい。
結衣奈は思わずこう漏らした。
「はあ……。彩耶ちゃん、好き……」
「おまけに言葉も軽いときた」
「ほい、完成」と言って、彩耶は最後にサイドテールの毛先を整えた。
「那菜子、そっち側やってあげて」
「はーい、了解っちゃね~♪」
しげしげとチラシを読みふけっていたもうひとりの少女が、結衣奈の右側にやってきた。
秋保那菜子。結衣奈のもうひとりの親友で、ほんわかした雰囲気の少女だ。手際よく髪をまとめる彩耶の手つきとは違って那菜子のそれは丁寧で、ゆったりしている。
「あのチラシ、結衣奈ちゃんが作ったんだべか?」
「そうだよー」
「ほええ……。さすが結衣奈ちゃん、やることが違うっちゃね~……」
那菜子は仙台弁でそう言った。彼女は仙台市からすぐの場所にある秋保温泉に住んでいるので、言葉には訛りが強い。
結衣奈は再びこう漏らした。
「はあ……。那菜ちゃんも好き……」
「ふふっ。わたしも結衣奈ちゃん好きだべさ」
毛束をまとめて頭の高い位置で縛り、縛ったゴムの周りに髪を二、三周巻き付けて小さなお団子を作る。お団子をピンで固定し、残った毛先をうまいこと垂らせばお団子サイドテールの完成だ。
両サイドにそれを作ればツインテール。結衣奈の正装である。
「よーし! おまんじゅうツインテかんせーい! ありがとね、ふたりとも!」
「おまんじゅう? お団子じゃないの?」
彩耶が首を傾げた。
結衣奈は「ふっふっふ……」とほくそ笑むと、したり顔で言った。
「そう……。いままでこの髪型はお団子ヘアーと呼ばれてきました。わたし自身そう呼んでたし。
しかし! チラシを作りながらわたしは気付いたんです! 草津温泉の温泉むすめなら、この髪型をおまんじゅうヘアーと呼ぶべきだって!」
「……うん。結衣奈、中に入ろう。寒さで思考がバカになってるよ」
彩耶が老人をいたわるように言った。
結衣奈は気遣い無用とばかりに勢いよくチラシを一枚つかみとり、彩耶に突きつけた。そこには結衣奈のお団子部分だけをフォーカスした写真が印刷されていて、『これ、おまんじゅうヘアー!』と角ゴシック強調体で書かれている。
「ち、チラシにも載っけたの……!?」
「草津の温泉は日本一! 草津の温泉まんじゅうも日本一! それをPRするため、わたしの髪型はこれから『おまんじゅうヘアー』で行かせてもらいま……」
「……それなら、温泉まんじゅうヘアーのほうがいいんじゃないべか?」
「あっ」
「あっ」
結衣奈と彩耶がハモった。
「えっ? ……あっ」
爆弾を投下した那菜子も気付いた。
結衣奈の足下にはすでに印刷されたチラシが山積みにされている。最近のコピー機は性能もよく、どのチラシにもくっきりと『これ、おまんじゅうヘアー!』と印字されていた。
「……」
境内に寒風が吹いた。結衣奈の心にも寒風が吹いた。
「……いや。おまんじゅうヘアーがいいと思う」
彩耶が左のもみあげ髪を弄りながら言った。自信がないときや不安なときの彼女の癖だ。
「う、うん……やっぱりわたしもそう思うべ! わたしたち温泉むすめだし、温泉温泉言いすぎるとくどくなってしまうべさ!」
那菜子が両手をわたわたさせながら言った。何かを取り繕うときの彼女の癖だ。
「そ、そうだよね! わたしたち温泉むすめだもんね!」
結衣奈は自分を納得させるように言った。
首元が寒いのは髪の毛をツインテールにしたからで、一気にテンションが下がったせいではないと信じるしかなかった。
「……中、入ろっか」
そう言って――どうせなら温泉に入りたいな、と結衣奈は思った。
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