第18話 わたしはリーデロッタ・シリウス
まさか当事者であるわたしから異論が上がると思っていなかったようで、わたしの真っ赤な装いに一切動揺することもなかった国王陛下が、異論を申し立てたわたしの方を振り向き、何とも言えない表情を浮べている。
側に控えていた王妃様は今にも倒れそうになって、両脇を第一王子と第二王子に支えられてようやく立っていた。
ちなみに、祖母は怒りの余り顔が赤を通り越して真っ白になっていて、手に持っていた扇は完全に折れたのだろう、変な形にひしゃげている。
さて、様々な後が大変怖い状況に自分を持って来たわけだが、わたしだってなにも考えなしにこんなことを言い出した訳ではない。わたしはうろたえている陛下の前にゆっくりと膝を床に付けて跪く。最上位の拝礼だ。
「宇宙の冠を戴く、ゲンマ国王陛下。どうか、貴方の
「……許す。申してみよ」
「ありがとうございます。わたくし、リーデロッタ・シリウスは、今回の婚約発表に関して異論がございます。ですが、それは今回の、であって今後の、ではないことを念頭に置いて頂けますと幸いです」
そう。わたしが異議申し立てをしたいのは、今回の婚約発表についてであって、今後一切の事を言おうとしている訳ではないのだ。
陛下は最初怪訝な顔をされたが、カムイ殿下によく似た濃紺の瞳でわたしをジッと見つめると、どうにかわたしの発言を飲み込んでくれたらしい。
「わかった。では、今回の婚約発表に関して、何故異論があるのか申してみよ」
(陛下が話をきちんと聞いてくださる方でよかった)
おかげでわたしは落ち着いて話をすることができそうだ。
「はい。わたくしが今回の婚約発表に関して異論がある理由は、まだ正式な発表はされておりませんが、わたくしがドルフィネ辺境伯領主の後継者という権利を持っているためです」
会場内が一気にざわついた。
それもそうだ。ボレアリスの王国に置いて、女が継承権を持つだなんてことは、常識的あり得ないことだからだ。
過去に女性に継承権を与えられた時には、背景に飢饉や戦争といったのっぴきならない理由で、正当な継承権を持つ男性がどうしてもいなかったためだ。今現在、平和ともいえるボレアリス王国で、しかも子爵家の令嬢に辺境伯領の継承権が与えられているだなんて、わたしが大ぼらを吹いていると思われても仕方がない情報だ。
「リーデロッタ嬢。それは、噓偽りない情報なのだな?」
「はい。わたくしの守護星に誓って、申し上げます」
「なるほど。……して、辺境伯領主の継承権があることの何が、今回の婚約発表に関しての異論へ伝わるのだろうか」
「お恥ずかしい話ですが、女のわたくしに継承権が与えられるだなんて、にわかに信じられませんでした。そのため、わたくしの中でも様々な迷いが生じてしまったのです。わたくしはシリウスを導く唯一の星でもありましたから、自身の輝く場所を簡単に変えてしまうわけにはいかないと。そのように悩んでいるわたくしに身に余る程の光栄と救いの手を差し伸べてくださったのが、カムイ殿下でした」
「なるほど。して、そなたはその手を取ると、一度は決めたのではなかったのかな?」
陛下の言うことは最もだ。
わたしは一度その手を掴むと決めた。
決めたのだと、自分自身にすらも見せかけた。
だからこそ、
「陛下、わたくしは迷いながらその手を掴んでしまったのです。そして迷いを抱えているという甘えから、誉れ高きことであるからと、この婚約を受けいれるべきだ、と自分自身に言い聞かせてしまった。けれどそれは、わざわざ女であるわたくしに、辺境伯領主の継承権を残してくださった亡き前辺境伯領主、ジオード・ドルフィネお爺様のご遺志に反すると、気が付いたのです」
「何? ドルフィネ辺境伯領主のご遺志?」
「はい。……お爺様が亡くなる直前に、わたくしはお爺様と話をいたしました。そしてお爺様は、わたくしにこう言い遺してくださいました。『お前は、お前の、“好き”、で、生きなさい。この先、も』と」
「それは誰かが証明できることか?」
「側に執事が控えておりましたので、できるでしょう」
「ふむ。その真偽はのち後ドルフィネ辺境伯領へ問い合わせるとしよう。して、リーデロッタ嬢、そなたが亡き前ドルフィネ辺境伯から受け継いだその意志。その真相を教えて欲しい。一体そなたは、どんな“好き”を追い求め、生き、そして今回の婚約発表に関して異議を唱えるのだ」
「わたくしの……わたしの、“好き”な生き方は」
(平凡に)
「身の丈に合い」
(目立たず)
「慎ましく」
(前世で迎えられんかった十七歳を迎えて、長生きをするために――)
「このアカデミーでもっと学びを深めることです」
陛下が話出したことで静まっていたダンスホールが再び、ざわつく。
何ならば「女が学びだと」、「何を余計なことを」と、怒声を上げているご年配の方々の声がここまで届く。
こんな状況でなければ、それに憤りを感じていただろうが、今は、
(グッドタイミングやで)
「陛下。陛下のお耳にも入っておりますでしょうか。“女が学ぶ”、ということ対する反対意見が」
会場が一気にシンとなる。
「わたくし、常々思っていたのです。ボレアリス王国は八百年の伝統を持つ素晴らしい国であるのに、女性に対する評価が低すぎると。初代ボレアリス王を羊飼いから、一国の王へ導いたのは
意外なことにダンスホール内の貴族の誰もが、この発言に異論を上げなかった。
男性も、そして女性も。
「星声の乙女はわたくしたちボレアリスの民へ、宇宙に輝く星々についての教えを授けてくださった賢女です。それなのに、その末裔であるわたくしたちが女性を蔑視していいのでしょうか」
わたしは立ち上がると、ダンスホール中にいる貴族たちに向けて語りかける。
「今は亡き前ドルフィネ辺境伯は、わたくしに辺境伯領主の継承権という力を残して、わたくしが学び続けることが出来る環境を遺してくださろうとしました。わたくしはその遺志を継ぎ、そして皆様方が“女が学びを得る”ということへ対する異論を唱える気もなくなるほどの賢女になりましょう。わたくしは、シリウス! 赤く輝く“
わたしは呆気に取られている陛下とカムイ殿下の方を向いて、再び跪く。
「これが、わたくしが今回の婚約発表に関して唱えたい異論でございます。陛下ならびに殿下、これをお受け頂けますでしょうか?」
〇
穏やかな午後の日差しが差し込むボレアリス王立アカデミーの図書館。
天井に描かれた星図の中でも真っ赤な星が見下ろす座席に腰掛けているのは、燃え盛るような赤い髪と、
今日の読書のお供は『これ一冊で完了! 上手な領地運営方法』という、なんとも胡散臭いタイトルの本である。
「また変な本を読んでいるのか、リーデロッタ嬢」
読書を楽しんでいたわたしにわざわざ話しかけるのは、このボレアリス王国の第三王子。
「どうされましたか、カムイ殿下。わたし、こう見えても勉強に励んでいるのですが」
「日課だ。貴女を口説きに来た」
「そうですか。あ、お暇でしたらこちらの本を写本してくださいませんか? あとで復習したいので」
「……もう少し、興味を持ってくれないだろうか? これでも私は貴女に誠心誠意求婚中なのだが」
「わたしの興味を引きたいなら、珍しい本とか、領地運営に役に立つ覚書の写しですとか、そういうものを持って来てください。毎日わざわざ図書館までわたしを口説きに来ているというのに、そんなこともわからないのですか? ヴィッセルだって、本と一緒にお菓子を差し入れするくらいの気遣いを見せますよ」
「ぐぅ……あの小僧めっ!」
カムイ殿下はそう悪態を付きつつも、わたしが差し出した本の写本をしてくれている。
(こういうことは素直なんやけどな)
さて、わたしとカムイ殿下がこの様な仲になったのは、今から二ヶ月前のことだ。
婚約発表の場において、婚約破棄を申し入れるという、とんでもない事件を起こしたわたしだが、全力を投入したかいあってか、その申し入れは陛下自らが認めてくださったことと、『今後のそなたの活躍に期待を掛けて、今回の事は不問にしよう』と全員の前で宣言してくれたおかげで、ほぼ事無きを得た。
とはいえ、わたしがあの場で申し入れたのは、今回の婚約に対する破棄であった。
わたしは壇上から降りる前に、婚約が成立せずに意気消沈しかけていたカムイ殿下の耳元でこう助言しておいた。
『まだわたしに求婚されるおつもりならば、十四歳の小僧と正々堂々戦って、勝って、わたしを本気で振り向かせてみせてださいませ』
と。
カムイ殿下にとって、わたしを振り向かせる方法は、とにかく毎日顔を合わせて、口説くことだったらしい。
そのせいで彼はわたしを追いかけるためにアカデミーの図書館へやってきては、わたしにすげなく断られ、良いように使われているわけなのだが、それについて不平不満を受けたことがないので、それでいいという事なのだろうとわたしは思っている。
問題はカムイ殿下との関係よりも、本気でブチ切れたお婆様との関係の方だった。
あまりに長いお説教を三日三晩続けられたため、内容のほとんどは覚えていないのだが、まぁ不器用な祖母の言葉を優しさで包んで、要約すると、
『あんな大勢の前で、王族に歯向かって、処刑されたらどうするつもりだったのだ』
『あれだけの大口を叩いたのだから、きっちり学んで、将来はドルフィネ辺境伯領の運営の補佐を任せる』
の二つである。
故にわたしはアカデミーの図書館で、ずっと領地運営の本を読み漁っているというわけである。
(でもこれが身に付けば、シリウス家だっていい方へ向くかもしれんし)
そもそもわたしが今世で本を読み漁っている目的の根本は、貧乏貴族である実家のシリウス家ではなんともできない状況を、知識で補って長生きをすることなのだから、今やっていることが間違っているとも言い切れないわけだ。
わたしはキリのいいところまで読んでしまった本を閉じると、グッと腕を上に上げて身体を伸ばす。
見上げた先にあるのは、真っ赤な一番星。
「……リーデロッタ嬢、そろそろ休憩にしないか?」
「もう根を上げられるのですか? と言いたいところですが、わたしも丁度キリいいところまで読み切りましたので、休憩にいたしましょうか」
わたしとカムイ殿下は本を書棚へ戻して、写本の原稿を手に図書館を後にしようとした時に、ふとやり残したことを思い出す。
「……申し訳ございません。先に喫茶室まで行ってくださいませんか、すぐに追いかけますので」
わたしは再び図書館の座席に戻ると、わたしを見下ろしていた真っ赤な一番星を睨み付けて、あっかんべーっとしてやる。
「何度でも掛かって
わたしの名前はリーデロッタ・シリウス。
元悪役令嬢の孫娘で、
落ちぶれ令嬢を母に持ち。
真っ赤な一番星に魅入られた、先日十七歳を迎えた“深紅の”貴族令嬢である。
祖母が元悪役令嬢だからといって、孫娘のわたしもそうとは限りません! レニィ @Leniy
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