明子のWORK DIARY

しょこたん

第1話 蕎麦屋で皿洗い

 南明子は日払いアルバイトで生計を立てている。

 通常の仕事をしていた時期もあったが、いずれの会社でも人間関係が破綻し、自分の精神を壊し、辞めざるを得なくなった。そんなことを何度も何度も繰り返しているうちに明子は思った。『会社で長く働くのはわたしには向いていない』と。

 それから明子は定職に就くことを諦め、一日一日自分で仕事を取りに行く働き方に変えたのだ。


 周囲の人々は一つの会社で頑張れない明子に『社会から逃げている』と非難の声をあげたが、明子は一切気にしなかった。

 明子には毎日違う現場で毎日違う人の中で働く方が向いている。明子自身もそれに気付いていた。好きな時に働き、好きな時に休む。ストレスも最小限で月に必要な生活費も稼げている。自分にも周りにも迷惑は一切かけていない。

 明子がちゃんと稼げていることを知ると、周りは何も言わなくなった。


 明子は今日もアプリを開き、明日の職場を探す。今の時代は、明日の仕事もアプリで探せるから楽である。

 明子は一つの求人に目を留めた。『落ち着いたお蕎麦屋さんで洗い場作業』。

 最近の明子のマイブームは洗い場で働くことだ。ホール作業は性格上向いていない。キッチン業務はケースバイケースだ。だけど、洗い場なら未経験でも役に立てることがあるかもしれない。何年前になるかわからないけど経験も多少ある。それに蕎麦屋なら食器の種類も少ないかもしれない。いろいろな要因を考えて、お蕎麦屋さんの皿洗い業務の仕事を獲得することにした。


 仕事当日、15分前には仕事場に着き、お店の人たちに挨拶を済ませ、渡されたユニフォームに腕を通す。携帯は職場に持ち込み不可と言われたので、更衣室に置いて、いざ洗い場に向かう。

 洗い場に着くと、男性が二人で迎えてくれた。ホントに出迎えてくれただけだ。サラッと洗い方と皿をしまう場所、ためておく皿の種類などを教えてもらい業務に入る。

 蕎麦屋だから食器の種類が少ないだろうなんて予想は無惨にも打ち砕かれた。どこよりも皿の種類が多い。どれが溜めておく皿で、収納する皿がどれなのかわからなくなるくらいには多かったと思う。途中から2階に上げる皿なんていうのも出てきた。


 18時になり、一人男の子が出勤してきた。

 男の子は明子に仕事のことをいろいろ訪ねてくる。

 明子が知りうる限りの仕事のことを男の子に説明していた時、ホールの仕事をしていた年配の女性が皿を下げるついでに「私語禁止!」と言ってきた。

 私語なんてしてないのに決めつけられた明子は一気に気分が悪くなった。


 ピーク時には洗い物がいっぱい下がってくる。

 「もう置く場所がないし、溜めておくところもいっぱいなんだけど!」と愚痴が口を吐く。

 でも、やるしかないから、もういっぱいになった入れ物に溜めておく皿をどんどん詰め込む。皿が落ちそうになるくらいにパンパンになった頃、キッチンの男性が声をかけてきた。

 「何やってんの!?こんなに溜めたらダメなんだよ!裏に持ってって!」

 『…裏…とは…??』

 わからないまま皿が入った入れ物を持ってお勝手口に向かう。

 だが、どこに置いていいのかわからない。


 すると今度は「カゴもってきて!」と洗い場から怒鳴るような声が聞こえてくる。

 どうしたらいいかわからないまま入れ物の中身を出していると、しびれを切らしたように男性が裏へと姿を現す。

 「何やってんの!?それは出さなくていいから、カゴ!」

 「だって出さないとカゴないじゃないですか!?」

さすがにイライラして明子は切り返した。

 そこにホールスタッフさんが扉を開けて表から裏に入ってきた。

 男性はホールスタッフさんに皿の入った入れ物をどっかに持って行けと指示する。もちろん明子にも命令していたが、明子はその場所がわからない。

 そもそも明子は今日初めてその店に行ったのだ。その店の専門用語がわかるわけがない。

 何度も聞き返したが、「もういいから、一緒に洗い場戻って!」と男性は質問に答えてもくれない。


 明子は洗い場で、男性が洗い物をしているのを見るのが仕事になった。明子は自分がこの瞬間いらないものになった気分になる。

 「これ持ってって」

 男性がまたぶっきらぼうに言い捨てる。

 「持ってくってどこにですか?」

 もはや泣きそうになりながら明子が尋ねる。

 「さっきのところ!」

 男性が吐き捨てる。

 「表出たらわかりますか?」

 明子は苦肉の切り返しをする。

 「うん。出て左ね」

 「わかりました」


 明子が裏から扉を開けて表に出ると、左側で年配の女性が洗い終わった皿を拭く作業にあたっていた。持っていたグラスを置こうとした瞬間に、グラスが一本バランスを崩して入れ物の中で倒れた。

 ガシャーンと少し大きな音が鳴る。

 年配の女性がすかさず、「ちょっと!お客さんいるんだから!」と言ってくる。

 『普通こういう場合すかさず出てくるのは「失礼しました!」という言葉ではないのか』と思ったが、胸の中に納めた。言ってもどうしようもない。この店では誰も食器を倒したりしたことはないのだろう、と思うことにする。


 男性があらかたの皿洗いを終えてから、皿洗いのコツを教えてくれた。業務前に聞きたかったと明子は思う。口には出さずにニコニコ聞いていたが、明子の腹の中は半分煮えくり返っていた。でも、一生懸命やってることは認めてもらえたのでよしとする。

 終わり間際になってまた皿洗いのピークがやってきた。

 お客さまが使い終わった食器だけではなく、閉店準備でいろんなものが下げられてきたからだ。

 大皿の陰に隠れていたであろう小皿が一枚机の上から落ちるのが見えた。パリーンと音を立てて、小皿が真っ二つに割れた。その瞬間、見計らったように中年女性が現れて「笑いながらやってるからお皿割るんだよ」と言って去っていった。

 明子の疲れが一気に増す。


 明子はスタッフたちの対応に疲れ果て、半ば頑張ることを諦めた。

 最後まで諦めずに皿は洗い続けたが、中年の女性に二度と会いたくないと明子は思った。

 キッチンの男性二人の対応もアバウトすぎて訳が分からなかったし、明子がこの店を訪れることはもう二度とないだろう。

 この蕎麦屋は明子が経験した中でもワースト1の洗い場と言えるかもしれない。

 自分に合った職場を探す為、楽しく働く為、明子の日払いアルバイト生活はまだまだ続く。

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