第22話 もう一度、私の元で

 輝夜は最後に図書館へと入った。生徒たちのいない通路。差し込む夕日。その中に彼はいた。

 目が合っても、近づいても逃げない小夜。輝夜は小鳥を逃がさないようにそっと近づいた。

「小夜。あのね、私言いたいことがあるの」

「なに」

 久しぶりの会話はどこかよそよそしく硬い。心做しか彼の表情は切なげで、苦しそうだった。

 告白をしようと思った声がつまる。用意していた言葉が消え去っていく。真っ白になった頭の中にソプラノボイスが響き渡った。

 小夜啼鳥を救って。

 人魚姫との約束を思い出した彼女は自身の決意を後回しにしてまで彼にこう言った。

「自分の夢を叶えて」

「別に僕は今世でやることは終わったけれど」

 小夜は自身の心を見ることもなく、自身の生きる目的は人魚姫にあったとまだ思い込ませることを言う。

「本当はなりたいんでしょ! 今でも舞台役者に」

 舞台役者という言葉に小夜は口を噤んだ。青い瞳が少しだけ揺れ始めていた。

 輝夜には分かっていた。彼が今でも舞台役者になりたい事を。けれど、ずっと見て見ぬふりをしていることを。

 通り過ぎる 季節の中 僕たちが語り合えるなら

 小夜の囀りを思い出す輝夜。

 その歌詞が本当ならば私に出来るのはあなたへの敬意と愛を伝えること。

 鳥籠の中にいる小夜啼鳥は外の世界を怖がって旅立とうとしない。

 そんな小夜啼鳥に月からやってきたかぐや姫は優しく微笑むと、鳥籠を開けた。

「私の生涯は波乱に富んだ幸福な一生であった」

 口ずさんだのは彼が自伝に残した最初の一文。驚いている彼に彼女は代わりに歌うように続けた。

「その言葉に私がどれだけ救われか知っている? ええ、知らないでしょうね。またかぐや姫としての苦しみを背負った私にあなたは人生で証明してくれたのよ。どんなに苦しんだとしても最後には幸せが待っているって。だから、やり残したことがあるなら叶えて。じゃないと、私。死んでも死にきれないから」

 それは地球で不安な日々を送っていたかぐや姫の言葉でもあり、一人の恋する女の子としての言葉でもあった。

 本当に伝えたいことを捨てたとしても、彼女は好きな人の幸せを選んだのだ。

「君と僕の人生は関係ないけど」

「関係あるの! 好きな人の幸せを願うのが惚れた弱みなの。散々、振られたんだからわかるでしょ!」

 散々振られたという事実は消えないのもあってか少し顔を顰める彼に輝夜は仕方ないわね、という顔をする。

 好きな人の幸せを願う女の子の気持ち。そして、彼女なりにこの恋を終わらせるために、今この胸にある気持ちを一つの愛として伝えた。

「私はね、恋も愛もまだよく分からないわ。けれどこれだけは分かるの。あなたのことは本当に心から愛していて、私たちがこの先どのような未来になっても。私が富、名誉、命……持てる全てを失ったとしても。どのような悲惨な終わり方をしたとしても。私は後悔をすることが無いと。私はそれほど素敵なあなたに出逢えたことを、死ぬまで幸せだと思い続けるのだと」

 そして、一歩躍り出ると輝夜は小夜の手を取った。

「だから、あなたは私の王子様よ」

 嗚呼、彼女の笑みはどんなに美しい女の子であっただろうか。恋をする女の子は美しいというが彼女ほど純粋に、そして一途に愛す女の子を彼は知らなかっただろう。

 朝日のように柔らかく、温かい光は心の中に入り込み氷を溶かし、悪魔の鏡をなくしていった。

「でも、僕は……前世で簡単になれないことを知っている。この学園のバックアップを借りれば簡単かもしれない。でも、卒業後は自分の力で叶えたい。……なのに、自分が役者になっているところが想像出来ない」

 小夜啼鳥が外の世界へ出ようか悩み始めていた。かぐや姫が鳥籠の中を覗くとその足には絹のひもが結ばれている。

「そんなの当たり前じゃない! 私も付き合うとか、結婚とか何するかよく分からないし、想像出来ないわ! それなのに結婚したいとか言ってしまって。でも、あなたが囀るところは想像できるの」

 かぐや姫はそっと鳥籠の中にいる小夜啼鳥の足を手に取った。不安げな小夜啼鳥にかぐや姫はどこか自信に満ちていた。

「今世でもこんなに声が高いけど」

「コンプレックスを引き継いでしまって苦しいと思うわ。あなたはその声で嫌な思いをたくさんしたものね。私も今世でも引き継いでしまった苦しみがあるもの。でも、私にはその声は宝石を散りばめた美術品よりも価値あるものだわ」

 かぐや姫は小夜啼鳥の足に結ばれた絹のひもを解いた。そして、多くの人に揶揄され皇帝までも一度は宝石を散りばめた機械仕掛けの鳥へと行ってしまったその灰色の見窄らしい体を撫でてやった。

「売れるか分からないよ」

「じゃあ、私はずっと隣であなたの囀りを聞いているわ」

 顔を上げた小夜啼鳥にかぐや姫は微笑んだ。

「だって、あなたは私の小夜啼鳥だから」

 その言葉に小夜啼鳥はようやく鳥籠の中から出ることが出来た。

 鳥籠の外はどんなに広く、自由な事だっただろう。森の中でそっと誰かを喜ばせるために歌っていたことを思い出すかのように小夜啼鳥は空を飛び回ったことだろう。

 そして、自身を救ってくれたかぐや姫の方を見ると一つ囀った。

「告白、それでいいの」

 小夜の問いに輝夜は驚いた。告白と捉えられたことが信じれられなかったのもあるが、言い直すチャンスを与えられるとは思わなかったのだ。

「言い直していいの?」

 思わず聞き返す輝夜。小夜はいつもの余り変わらない表情のままだ。

「好きにすれば」

 あの時と同じく輝夜に選択権を持たせる返事に肩を竦める。そして、これは一世一代の告白になるのだからと彼女は背筋を伸ばした。

 胸が高鳴る。そういえば泣きすぎて酷い顔をしていたと思い出す。

 告白するっていう時に限って、私は満月のように完璧ではないのね。でも、それが人間に生まれた私らしくていいかもしれない。

 目と目が合うと声が上手く出そうにない。

 胸の内から出てくる言葉はどれも彼女の気持ちを伝えるには足りない。

 一秒、また一秒、俯いたり、顔を上げたりを繰り返す。

 そして、瞳の奥へと彼の名前を呼んだ。

「旅詩小夜さん」

 あぁ、あなたの名前を呼ぶってこんなに愛おしいことなのね。もう名前から好きになっている。一つ一つの字の意味を考えるし、綺麗な音の響きをしている。あなたの人生らしい名前をもらったのね。

 これから、ずっと呼んでいたい。

 頬を染める姿はさながら美術室にあったあの絵そのものだ。

 かぐや姫は小夜啼鳥へと手を伸ばす。

 美しいヤグルマギクのような瞳を見つめながら。もう一度、私の元で歌って欲しいと願いながら。

「好きです。付き合ってください」

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