第5話 奇跡なんて起きない

「うーん。杏ちゃんルートってただ選択肢を選ぶだけじゃあ進まないんだ」

 まずは初見で純恋を最後までしてみたら別のキャラのエンドになった。秋にい曰く「一番間違えやすい花梨ちゃんルートだね」らしい。ロードをして選択肢を変えてみたけれど、それだけじゃあいけないみたいだ。

「秋にいに聞こうかな。でも、自分で攻略したいんだよね」

 攻略って言うと軽い言い方だけど、せっかく始めたゲームだからせめて杏ちゃんルートを攻略するまで。

 夏期講習に行くと藤塚を見かける。今日も中島と一緒だ。でも、僕に気づくと微笑んでくれる。中島は気に食わなさそうに睨む。それがいつもの光景になりつつある。

「ハル君は今日もイチャイチャしているんだぁ」

 達樹が僕を小突く。どんな拗ね方なんだ。僕と藤塚はそんな関係じゃないのに。

「違うって」

 努めて小さな声で返してしまう。なんだろう、否定したいのに否定したくない。僕の心は矛盾が生じていた。それを隠したくて行きがけで買ったジュースを飲む。

「じゃあ、付き合いたいっていうのは嘘なのか?」

 ぶっ。思わず吹き出しそうになった。同じ教室にその付き合いたい相手がいるのに、平然と達樹は聞いてくるからだ。藤塚は、中島と楽しそうに話をしている。良かった、聞かれてないようだ。でも、水族館の時みたいに生エビの話を聞かれていた前科があるから安心は出来ない。

 僕は黙って頷く。達樹はにま~と笑っている。

 そうだよ、藤塚と付き合いたい。でも、今はその時じゃない。僕は今、徐々に藤塚を知るためのイベントに近づいていると思う。家でちょうど進めている純恋の杏ちゃんルートみたいな。

「こんなこと考えるの秋にいじゃんか……」

 机に突っ伏して落ち込んでしまう。僕もどんどんギャルゲ脳になっている。現実と混同しない様に踏ん張っていたのに。このままだと僕の好きな人のあだ名が杏ちゃんになってしまう。

「おーい、春斗大丈夫か~」

「しばらくそっとしておいて」

「最近、目に隈も出来ているしマジで大丈夫か。ちゃんと寝ろよー」

 ああ、それなら……。

「隈は純恋っていうゲームで躓いているせい……」

「推しは」

「杏ちゃん」

 スマートフォンのタップする音が聞こえる。達樹が調べているんだろう。

「春斗が好きそうな顔と……胸しているな」

 だから胸は言うな。こんなのが藤塚に聞かれたら、今日の僕は間違いなく骸骨化してゲームオーバーになるから。

 ああ、今日は憂鬱な日になりそうだ。


 夏期講習の後は大体部活か、資格の試験を受ける生徒向けの講座が始まる。

「俺は部活行くからな~! また明日!」

「うん、また明日」

 達樹は終了のチャイムが鳴った途端、颯爽と部活へ行ってしまった。さすがサッカー部、早い。それにもうすぐ大会があるから力が入っているんだろう。

 藤塚は今日は部活がないのか帰る支度を始めている。そうだ、一緒に帰らないか誘おう。昨日投稿されたマグロさんの実況の話もしたいし。僕が一歩藤塚に近づくと目の前に立ちふさがる影があった。

「ちょっと、生エビ」

 中島だ。小さな体を大きく見せるように仁王立ちしている。

「用かな」

「用ならあるわよ」

「冬花ちゃん、斎藤君。どうしたの?」

 藤塚が後ろから心配そうに僕と中島を交互に見る。喧嘩でも始めるのだと勘違いしているんだろう。

「ナッツーにも用があるから!」

「私はいいけど、斎藤君は……」

「僕はいいよ」

 一瞬だけ教室にいるクラスメイト達の視線が痛い。中島も少しだけ臆していたけど、すぐに「ついてきて」というように教室の外を見やる。

 僕と藤塚はただ中島について行く。連れて行かれたのは剣道場の裏。体育館の裏を選ばなかったのは、部活動を始めている生徒が走り込みで通るからだろう。それほど、聞かれたくない話なんだ。

「単刀直入に言うけど、もうナッツーと仲良くしないで」

 やっぱり。僕は予想がついていたけど、藤塚はショックを受けている。

「なんでそんなこと言うの!」

「ナッツーもナッツーだよ! なんで、こんな奴と仲良くしてるの!」

「私が斎藤君と仲良くするのそんなにいけないの? 斎藤君は……」

 藤塚が僕を必死に庇っているのも虚しく、中島は遮る。

「優しいって言うんでしょ! いつもみたいに」

 いつもみたいに。それはどういうことだろうか。藤塚を横目で見ると、ぎゅっと唇を噛んでいた。

「でも、いっつもナッツーに近づく男は傷つけるじゃん! だからナッツーだって――」

 男の人怖くなったんでしょ。

 頭が殴られたみたいに痛い。藤塚は、男の人が怖い。僕も男なわけであって。きっと例外じゃないわけで。

「そう、だけどっ! でも、でも……」

「でもって言わないで!」

 中島は泣いていた。いつの間にか僕と中島の話じゃなくて、藤塚と中島の話になっていた。でも、これだけは言える。藤塚が胸を隠していたわけと、男が怖いわけは繋がっているのだと。

「もうアタシは夏乃が傷つくところは見たくないの!」

「冬花ちゃん……」

「だから、もう近づかないでよ! 生エビ!」

 中島はそう言い残すと走り去ってしまった。体育館の方向に走ったから部活に逃げてしまったんだろう。でも、中島の気持ちも分からないことはない。大事な人が自分の言葉を聞いてくれない、現実は辛いから。

「斎藤君、隠しててごめんね」

「藤塚……」

「私、中学にちょっと怖い目に合って。それで、男の人が怖いの」

 そういえば藤塚の中学校はこの学校からかなり遠い。中島みたいに部活で入る生徒も数少なく、むしろ近くに学力も学科も部活も悪くない学校がある。僕はやっと藤塚がこの学校では異色な理由がわかった。

 藤塚は自分のことを知らない場所で、学校生活をやり直したかったんだ。

「でも、斎藤君は怖くないの。冬花ちゃんにも分かって欲しかった」

 俯いてた藤塚は顔を上げる。無理して笑顔を作っているのが丸わかりだ。

「これは私と冬花ちゃんのことだからちゃんと仲直りするね。迷惑かけてごめんね」

 藤塚はそういうとパタパタと校門へ走っていく。僕は、中島に話が聞きたかった。藤塚が中学で何があったのか。本当は、本人が話したがらない限り聞いたらいけないけど、僕は知りたかった。そして、話の内容次第では離れようと。

 空を仰ぐと真夏の太陽が眩しすぎる。それが、僕には嫌味みたいで。

「この暇人ゲーマーの神様め」

 一人、文句を言ってしまった。


 体育館の方から「ありがとうございました!」と、女子バスケ部の声が聞こえる。夏なのに陽はとっくに傾いて辺りは薄暗かった。

「お疲れー!」

「お疲れ様~」

 女子バスケ部の部員たちがぞろぞろと体育館から出てくる中に中島はいた。

「中島!」

「げぇ! 生エビ!」

 生エビって……。嫌そうに僕を呼ぶ中島に部員たちはどうかしたのかと聞いている。そりゃあそうだろう、いきなり生エビって叫んだら。バスケ部は噂話が好きだから、夏休みが明ける頃には僕の名前は生エビになっているだろう。

「用事があるんだけど」

「はあ?」

「トーカ、告られるの?」

「えー! やるじゃん、生エビ!」

 部員たちは楽し気に後ろから眺めている。いや、全然違うんで……。生エビでもないんで……。

「やだよ! こんな生エビに告られるの! むしろ敵だし!」

「僕だって違うから! 藤塚のことだよ」

 部員たちは告白じゃないと分かると、面白くなーと、ぐちぐち言いながら更衣室に入っていく。それを見て、中島は安心した表情を見せた。

「で、生エビがアタシに何の用」

「藤塚が中学に怖い目に遭ったって聞いたんだけど。教えて欲しい」

 気のきつそうな顔が一瞬強張った。けれど、すぐにこう返す。

「話を聞いたらナッツーに近づかないって約束してくれる」

「分かった」

 ズキズキと身体が痛い。そういえば心が傷ついた時、人って本当に心臓が傷ついていると聞いたことがある。でも、僕も納得してからの方がいい。離れてしまうなら。

「じゃあ、帰りながら話す。でも、この時間は駅までの道人が多いから、駅に降りたら話す。それまでついて来いよな!」

 中島に言われて僕は中島の家の最寄り駅まで一緒に帰った。傍から見れば誤解されそうな光景だけど、僕と中島は真剣な話をする。だからお互い顔は相当怖かった。

 カーブミラーを通り過ぎた時、中島が口を開いた。

「ナッツー、いじめられてたんだ」

「もしかして、胸が大きいから……」

「そーだよ。このむっつり生エビ」

 むっつり生エビ……。むっつりスケベと、生エビとは関係ない気が。それに僕はそれほどスケベじゃないし。

「女子同士ならさ、嫉妬とかでいじめることあるよ。くだらないけどさ。でも、ナッツーは人一倍体の成長が早くて、小学校の時から変な目で見られてたんだ。小学校ならアタシが守ってあげれたけど、中学になって一気にクラスが増えたから、一緒のクラスじゃなくなって。守ってあげれなかった」

 中島の声がだんだん潤み始めている。藤塚はただでさえ美人で視線を集めるから、胸が大きいと余計目立っていたんだ。きっと、味方は中島しかいなかったんだ。僕も藤塚を好意のある目で見てしまったのが申し訳なくなった。

「ナッツーね、中学の時男子からセクハラにあってたんだ。最初は変な言葉かけられて、だんだんエスカレートして……」

 僕はその先は聞かなくても想像がついた。いや、確信が持てた。藤塚が痴漢に遭った時の様子を知っているから。あの、どこか自嘲している乾いた声を。

 女子同士でお互いふざけているなら許されたとしても、藤塚は嫌だと言ったに違いないし、中島が黙ってない。それでも、ここまでなってしまった。

「最終的にナッツーのお父さんが学校に連絡して、相手の生徒叱りあげて解決したけど、変な噂も回ったの。ナッツーがそういう風に持っていったとか。それで楽しむ女子生徒もいたし。だから、アタシとナッツーは決めたの。みんなが行かない学校で、胸の大きくないナッツーで生活しようって」

「だから、隠してたんだ」

「でも、アンタにはバレたけどね」

 キッと睨んでくる中島は恨みがこもっていて怖い。そうだよな、藤塚の学校生活壊してしまったようなものだし。

「なのに、ナッツーは『斎藤君が助けてくれたの』ばっかり! ナッツーには初めて、紳士的に接してくれる同じ趣味の男子に見えたかもしれないけど、アタシには分かっているんだからね!」

「な、なにが」

「アンタ、ナッツーが好きでしょ」

 心臓が鷲掴みされたように息が出来ない。ここまでの話を聞いていると否定しても嘘をついたと言うことで締め上げられそうだし、素直に答えても締め上げられる気がした。実質選択肢が一個しかない、逃れられない恐怖みたいな。

「否定はしません……」

「どっちか言えや! 生エビ!」

 頭をポカリと殴られる。さすが、部活の成績で入学しただけあってジャンプ力が半端ない。男子高校生の一般的な身長の僕に頭が届いたなと、感心してしまう。

「でも、僕は純粋な気持ちであって、別に胸は気にしてないよ……」

「はあ? そんなので信用すると思っているの!?」

「僕は貧乳派だし……」

 中島になら言っても気にならなかったから素直に言ってしまった。すると、中島はもう一度僕を殴った。

「やっぱりむっつり生エビじゃん!」

 ええ……。どう答えても回避できないのか。ゲームでよくあるスキルが必中みたいだ。

「結局どっちなのよ!」

 ええい、もうやけくそだ。

「はい! 好きです!」

 その時、キィーという音と共に聞き覚えのある声が聞こえた。

「えっ」

 藤塚だ。藤塚が玄関の柵を開けてこっちを見ている。

「冬花ちゃん、遅いから心配してたんだけど……えっと……」

 もしかして、これはフラグが立ってしまったのか。

「お邪魔しました!」

 藤塚は逃げるように家の中に入ってしまった。とんでもない誤解を受けた僕と中島。僕は全身の体温が下がっていくのを感じる。真夏なのに、顔が特に寒い。

「あーあー。めんどくさー」

「面倒くさいって! 中島は誤解されてもいいの?」

 中島だって誤解されるのは嫌だろう。けれど、さほど気にしていない様子で返された。

「別にー。ナッツーにはあとでフッて置いたって言えばいいし」

「絶対やめてよね!」

 僕自身に変な誤解と風評被害がますますついてしまう。それだけは避けないと。それに僕が好きなのは藤塚だけだし。中島じゃない!

「誤解、といてあげていいけど、頼み聞いてくれる?」

「何でも聞きます!」

 あ、何でも聞いてしまうってこれもフラグだ。どんどん立たなくてもいいフラグが立っている。

「じゃあ、アタシの家に来い!」

 暇人ゲーマーの神様、こんなことして楽しい? 

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