生活の楽しみ

月下美花

第1話

 M街町のはずれの山に真野という男がおりました。

 真野は妻と二人で住んでおり、基本的には自給しておりました。山の奥ですので、電気はない、ガスはない、水道もないというような環境でした。ですので、夫の方が昼の間に木こりをして電気の代わり、燃料の代わりとしておりました。妻はというと近くの川で洗濯をしたり、家事をしておりました。お互いがそれだけで一日を終えてしまうのでした。

 もう察しのつくことだろうが、この生活のなかで娯楽といったものは、ほとんどありませんでした。

 住む場所が山の奥である以上、それほど頻繁に山を下りることかできません。なので世間一般の娯楽というものをてんで知りませんでした。

 そんな二人の唯一の楽しみというのが風呂でした。この二人にとっては当たり前のことが大変な楽しみなのでした。

 風呂といっても、五右衛門風呂の周りに、ごくたまに来る遭難者のために設置してある板があるだけの簡単なものです。この板も些細な光で中の影がくっきりと見えてしまう程度のものであります。さらに、誰かが入っているときは、別の誰かが日の調節などしなければならず、なかなかに大変な代物なのでありました。

それでもこの夫婦にとってこれが一日の中で一番の楽しみ、いわば娯楽なのでした。

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