黒の章
第1話 始まりの夜明け
チュンチュン。チュン。チュン。
ジリリリリリリ、ジリリリリリリ。
朝日が昇るにつれて、外から小鳥の囀る音が聞こえてくる。
その上、カーテンから漏れでる陽光の兆しと一昔前の目覚まし時計によって三度寝に突入しようとしていた俺の惰眠は妨げられてしまうのだから堪ったものじゃない。
あぁ、眠い。とにかく眠い。あと、体がだるい。
だが、そうは言ってられない。休日は昨日までで、今日は学校に出向く必要がある。
俺は手探りで目覚まし時計の音を止めようと頭上を叩くが、中々見つからない。よく聞くと、音はベッドの下から鳴っているようだ。
もう少し惰眠を貪りたいであろう己の身体に鞭を打ち、重い上半身をなんとか起こす。
目覚まし時計の音を止め、俺は背伸びをすると同時に伸びた髪が汗で首元にべたべたとついていることに気付いた。
身体中が汗まみれで気持ちが悪い。
疲れがたまっているのか、だるさが抜けないままの重い足をシャワールームまで運ぶ。
シャワーを浴び終えて身体をふいた後、下着と少しくたびれた白のシャツに身を通す。学校指定の黒ズボンにシャツを入れ、ベルトを締めながら少し古びた鏡がある方へ歩いた。
鏡を見ながら肩にかかるほど伸びた真っ黒な髪の毛を、邪魔にならないように後ろにまとめて黒の紐で結ぶ。流石にそろそろ切った方がいいとは思うが、中々踏ん切りがつかない。
以前、男らしく短髪にしようかと真面目に考えたこともあるが、直前で先延ばしにしてしまうのだ。前髪も目元にかかるくらい伸びているが、結局これが一番落ち着く。
鏡に背を向け、玄関近くの壁に掛けてあった黒の制服に袖を通し、前のボタンを留める。
玄関で靴を履きながら今日の予定を確認。
いつもならユアが起こしに来るのだが、それがないことを考えると先に出てしまったのかもしれない。ユアとエリーナとは昨日久しぶりに食堂で朝食をとる約束をしただけで、待ち合わせ場所なんかも特に決めていなかった。
ユアがまだ家を出ていない事も充分に考えられるが、男の俺と違い、女性は準備に時間がかかる。俺が家に行くことにより準備を急かしてしまっては申し訳がない。
その場合、先に学校へ行き食堂で席でも取って待っているのが紳士というものではないだろうか。
支度を終え、部屋を見渡す。
「・・・・・・い」
『いってきます』と、誰も居ない部屋の中で一人呟こうとし、途中でやめる。
暫く玄関から部屋を眺め終えて、ひと通り満足するとドアノブに手をかけた。
俺は毎日飽きもせず、ひたすらに同じことを繰り返す。
何度も、何度も。
この行為を他人に知られたら、『なんという無駄なことを、気でも狂ってしまったのではないか』なんて思われることだろう。
でも、俺にとっては大事なことだ。必要なことだ。
俺は自分が、"一人であること"を毎朝確認しなければならない。
それが、己への贖罪であり、受ける罪の深さの証明になるのだから。
ドアを開けると、室内との温度差を肌で感じ、思っていたよりも気温が低いことがわかる。肌着の中にインナーを一枚着て家を出たのは正解だっただろうか、少しばかり安堵した。
庭を出ようとする途端に、風が吹く。
少し肌寒さを感じさせる和風が庭に積もった葉を散らし、俺の長く伸びきった後ろ髪を揺らした。
東王国東都剣術大学校に通い始めて四年目。
俺にとって、最後の学校生活が幕を開けようとしていた。
東王国の中心に位置する王都タルムルク。その南東に隣接する都市パルクレイアには、四年制幹部特別候補生学校の枠組みの一つである東都剣術大学校が聳え立つ。
パルクレイアは東王国の中でも特に人気の高い都市だ。
四大国に一つずつしか存在しない剣術大学校。そのうちの一つがこの都市にあるのだ。注目度が上がるのも無理はないだろう。
それに加え、剣術大学校特有の行事が数カ月に一度の頻度で行われるのも人気な理由の一つだ。特に、今月行われる剣術祭は一年を通して最も大きい行事とも言われている。
俺の借家は都市パルクレイアの街から少し外れた端の方にあるが、そこから大通りを真っ直ぐ歩いてしばらくすると、学校の敷地前に着く。
俺はいつも通り徒歩で学校へ向かうためにゆったりとした足取りで塗装されていない道を少し歩くと、見慣れた都市街の景色が視界いっぱいに広がった。
まだ早朝だというのに飲食店に衣料品店、雑貨屋、新しくできたのであろう玩具屋まで開店している。
玩具屋の上に大きく書かれた新装開店の看板を見ていると、黒の制服に身を包み、赤の学校指定である丈の短いスカートに黒タイツを組み合わせた腰まで届く赤髪のやたらと人目を引く女性が視界に入った。
後ろ姿で顔は確認できないが、腕によく見覚えのある赤の腕章を付けているのが目に入り、俺の友人であることが確定する。
何やら、玩具屋のガラスを鏡代わりにして髪型をチェックしているらしい。店内にいる店員さんの目にも止まったのか、苦笑いを浮かべているように見える。
それにしても、前髪の分け目を右に左に・・・・・・何をしているのだろう。
こういう時に何かしてみたくなるのが俺である。と言っても、コッソリ後ろから近づいて驚かせてやろうというだけなのだが。
俺はそーっと、バレないように近づき、目標となる対象の後ろに立つ。
「ユア、おっはよう!」
「ひゃああっ」
想像を遥かに超える悲鳴があたり一帯に響き渡る。軽く両肩を叩いただけのつもりだったが、まさかここまで驚かれるとは。謝ったほうがいいだろうか。
「お、おはよ、ユウガ・・・・・・」
真っ赤な髪の毛をくるくると指でいじりながらユアが挨拶を返す。怒ってはいないようだったが何故か赤面していたのは悲鳴を上げた恥ずかしさからくるものだろう。
幸いにも今の悲鳴を聞いていた通行人は数人しかおらず、その中に見知った顔の人はいない。
それでもその見知らぬ通行人何人かには笑われていたわけで、十分恥ずかしいのかもしれないが。
「それにしてもユウガのその挨拶、心臓に悪すぎるわ」
「そ、そうか・・・・・・? もう何回目かになるし、あそこまで驚くことないと思うけどなぁ」
そう言うと、ユアが勢いよく少し興奮気味に俺に近づいてきた。
「足音どころか気配も空気の乱れも全く感じさせずに背後を取られたら誰だって驚くわよ! そんなことができるのはユウガだけよ・・・・・・全くもう」
「そ、そんな大袈裟な・・・・・・」
ユアはプクッと頬を膨らませると、少しむくれた表情を見せる。
か、可愛い。こういう反応をしてくれるなら、今度もう一回くらいやってみようかという気になってしまう。嫌われたら元も子もないのでやるわけにはいかないが。
「ごめんごめん、悪かったよユア。もうしないから! この通り!」
俺は顔の前で手のひらを合わせて許しを請う。
「・・・・・・ま、いいわ。ユウガじゃなかったらぶん殴ってたけど」
恐ろしい言葉が最後についていた気がしたが、許してもらえたので良しとしよう。
そんなやり取りを終えると、ユアが髪の毛先を指でくるくるしながら恥ずかしそうにこっちに目を向けてきた。
「・・・・・・えっと、その・・・・・・きょ、今日のわたし、どうかしら?」
ユアが急すぎる問いをぶつけてきて一瞬思考が停止しかけるが、瞬時に分析する。
女性がこういう事を聞いてくるときは十中八九、見た目についてのことだ。特に今日のユアはいつもと違う。
普段は艶やかで綺麗な赤い髪をそのまま腰の辺りまで垂れ流しているのに対し、今日は緩いウェーブがかかっている。まるでどこかの国のお姫様のようだ。
正直とても似合っていて可愛いが、本当にそれが彼女の聞きたいことなのだろうか。
ユアは学内でとても有名な人物だ。
黄金世代なんて呼ばれている今の四学年の中でも特に剣術の適性が高く、三学年最後の学期末に行われた魔剣術能力テストでは、あのラルディオスを抑えて初の一位をもぎ取ったのだ。
おまけに見た目も美人、下級生の女子にはお姉さまなんて呼ばれてファンクラブも存在するくらいだ。
そんな彼女が、髪型を変えたくらいで俺に意見を求めるだろうか。
髪型以外にも視線を向け、少し本気で考える。
すらりとした長い脚にほどよくついた筋肉。制服の上からだと一見細く見える腕にも、しなやかな筋肉がついている事を俺は知っている。
引っ込むべきところは引っ込んで、出るべきところはしっかりと出ている。
それに何と言っても、やはり顔が整っている。
強気な性格を象徴させるような猫目に紫色の綺麗な瞳が長いまつ毛と相まって可憐さを際立てている。鼻筋も通っていて唇は柔らかそうだ。
ここまで完璧となると下級生には確かに近づきづらく、ファンクラブができるのも頷ける。
俺も入会してみようかなどという、自分でもよくわからない思考の波にさらわれていると、ユアが顔を近づけて覗き込んできた。
「ユウガ?」
俺は慌てて一つ咳払いをしてから意を決し、真面目に応える。
「ああ、髪型だろ? 前の髪型も綺麗で似合ってたけど、今日のはなんていうか凄く可愛らしいな」
「そ、そう。まあ、当然ね!」
ユアは照れ隠しなのか少し横を向きそう応えるが、赤く染まった耳のせいで全く隠せていない。俺の回答は正解だったのだろう。
ここでもし、先程まで考えていた女性に対して失礼極まりないことを答えていたらビンタされた挙句、卒業まで口をきいてもらえなかったに違いない。
流石にそんなことを好意を寄せてる異性相手に言う度胸は持ち合わせていないが。
俺はひとまず話題を変えてみることにした。
「ところでその腕章、ユアがつけてるとこ見るのはやっぱり見慣れないな」
「わたしだって慣れないわよ。こんなのが似合うのはラルディオスくらいだわ」
「ユアも似合ってはいると思うけどな」
「そういう問題じゃないでしょ! それに、今日の全校生徒の前で挨拶とか本当に嫌だわ。わたしがああいうの苦手だってユウガも知ってるでしょ?」
「まぁ、確かにあれは俺でも嫌だな・・・・・・」
ユアが右腕につけている赤色の腕章には派手な装飾が施されている。
この腕章は一年に二度行われる魔剣術能力テストの結果を中心に、剣術、格闘術の総合成績が全学年で最も高かった者に与えられる唯一無二の称号だ。
全学年という事で俺たちの入学前までは上級生がこの腕章を着けることが多かったそうだが、俺たちの学年に限っては例外だ。
東都剣術大学校に入学してからの三年間、この腕章はラルディオスがつけていた。
稀代の天才。百年に一度の逸材。
英雄アーガスの生まれ変わりだとかなんとか、噂が絶えることはない。
そんな最強の称号を欲しいままにするあいつに、ユアは総合成績で勝ったのだ。
ユア自身はこの腕章というよりも、全校生徒代表になったことによってこれから増えるであろう仕事を本気で嫌がっていてあまり喜んでいなかったが。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「あ、ああ」
俺は何かを忘れている気がしたが、ユアと学校へ向かおうと歩き始める。
すると後方からとんでもない勢いで人が接近してくる気配がした。
「二人っきりで登校とか、お前らはカップルかあぁぁぁああ!!!」
そんなわけのわからない叫び声と同時に俺に向けて繰り出してきた飛び蹴りをすかさず回避する。
「とっとっと」
俺がかわしたことにより着地の態勢を崩して転びそうになるエリーナをユアが受けとめる。
金髪のツインテールに十代半ばに見える幼い顔立ちと体型。こいつもある意味有名人だ。
「・・・・・・エリーナ、あんた普通に登場はできないの?」
「あんたたちのイチャつきぶりを見てたら気づいた時には走り出してたわ。でも、本気で当てるつもりはないわよ?」
エリーナの身長はユアより低く、ユアの胸にすっぽりと収まっていた顔を覗かせて応える。
エリーナの言う通り、半年ほど前から始まったこの毎朝恒例の挨拶代わりの蹴りは俺に一度も当たったことがない。
「今日のは七十二点だな。 あれなら子供でもかわせるぞ」
「ちぇっ、七十点台かぁ・・・・・・じゃないわよ! 本気で当てるつもりないって言ってるでしょ!」
「毎度毎度のそのくだり、本当によく飽きずに続けるわね」
ど派手な挨拶変わりの蹴りをかましたエリーナは金髪のツインテールをフリフリと揺らしながら、ユアの方を見て驚きの表情を見せる。
「あれ? ユア、髪型変えたの? 凄く似合ってるじゃない!」
「ありがと。エリーナに言われた通り、少しだけ髪を巻いてみたの。そのおかげでね」
途中からユアがエリーナに耳打ちをする。内緒話だろうか。俺に聞かれてはまずい話ならできれば俺がいないところでしてほしいのだが・・・・・・。
エリーナはニヤニヤしながらこちらを見てくる。
ユアから何を聞いたのか物凄く気になるから、今すぐやめてほしい。
「さぁ、学校に行くわよ! あっさごっはん♪ あっさごっはん♪」
エリーナは鼻歌交じりに先陣を切った。どうやらいつにもましてご機嫌の様子だ。
少し着崩した黒の制服、黄色い縦線が入った黒中心の学校指定スカートに黒のニーソックスを合わせていて、見慣れた姿だがとても似合っているように見える。
エリーナも十分目立つ見た目をしているからユアと同じく、学内ではかなり名が通った学生だ。
まぁ、ユアとは違って下級生にはかなり怖い先輩だと思われているらしいが。
俺とユアはお互いに顔を見合わせ、少し呆れつつもエリーナに付いて行くべく足を向けた。
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