第一章 三

「大丈夫ですか~?」

 防衛本能から目を閉じてうずくまっていた若者は、少しずつ瞼を開けた。

 焦点が定まらずボヤけていたが、その姿は人間で、ローブや杖があった事から魔法使いである事は確かだった。

「……ここは?」

「立てますか?」

 魔法使いが手を伸ばしたので、彼は無意識に掴み、立ち上がった。ようやく焦点が定まり、その姿がハッキリとわかった。

 顔立ちも声も女性で、細身で、白いローブを身にまとっていた。手には木製で出来た杖を持っていたが、変わったところとして、その杖の頭が四角いスペースになっていた。

「ここには、兵士達がいないから大丈夫ですよ」

 確かに周辺は瓦礫まみれだが、配置が明らかに違っていた。住民達も兵士達も姿が見えず、喧騒は遠く聞こえていた。

「あ、あの、あなたは……」

「あ、私はビブロです」

「……僕はメルです」

「やっぱり、物語通り……」

「え?」

「ああ、何でもないです。よろしくお願いします」

「はい、助けてくれてありがとうございます。ビブロさん」

 二人は改めて握手したが、ビブロはすぐさま真面目な表情になった。

「いえ、まだです。ここから逃げませんと」

「た、確かに……」

「そこでなんですが、」ビブロは唐突にメルの顔に近づき、両手を握った。「ここの英雄達に反逆している人達が隠れ住んでいる所か、その指導者がいる所に案内して……」

「なななな、な、何の事ですか?」

 メルの血の気が一気に引いた。

「え?」

「し、知りません、知りません! 僕は何も知りません!」

 メルはグズグズと泣き、全身を震わせていた。ビブロは慌てず落ち着かせようとした。

「落ち着いてください。大丈夫ですから」

「とにかく僕は知りません! 後は一人で大丈夫ですから! ビブロさんも逃げてください!」

 ビブロの握る手を解こうと必死だった。

「仕方ない、物語通りに……」

「離して……」

「ごめんなさい!」

 ビブロは握っていたメルの手を、自らの額に強引に触れさせた。


「……あ」

 虚ろだったメルの表情は、ビブロの額から手が離れた途端に我に返った。

「落ち着きましたか?」

「……え、あ、……」

 メルは戸惑っていたが、先程と比べて落ち着いていた。

「『書庫』は時の流れが違うから大丈夫です。さっきより一秒くらいしか経ってないですから。それではさっき話しました通り、案内をお願いします」

 メルは再び周囲を見たが、瓦礫だらけと遠くからの喧騒は全く変わらなかった。

「……今のは、一体?」

 その時、喧騒が大きくなっている事に気がついた。兵士達の姿らしきものも見えてきた。

「あ、来るっ⁉ 早く案内してください! さっき言った通り」

「……この保護区の西側に辿り着きさえすればわかりますが、ここがどこかがわからないと。もう見知った場所じゃ無くなってて……」

 雷で周囲の建物がほとんど崩れていた。

「あの大きな建物から一番遠い所まで移動したけど……」

 ビブロが指し示した建物は、憎き市庁舎だった。「保護区」を見下している。

「市庁舎……」

「私のに入ってる地図によれば、最北端あたりのはずです。あの、反対側に壁が見えますので」

 その真向いには誰にも逃さないと息巻いたように強固で綺麗な壁が塞がっていた。

「壁……、あの店があったのはあそこだから……」

「案内できますか?」

 喧騒が更に大きくなっていった。

「ここが最北端で、建物があそこなら……、あっちに行けば……、こっちです!」

 メルは急いで大きな瓦礫の陰に跳ねるように入り、ビブロも同じくらいの速さで後を追った。

 ──まるで意識に飛ばされたような……、『書庫』? 確かに本がいっぱいあったけど、あれは魔法? それに、何でレジスタンスの事を……。

 メルはその魔法使いの底知れなさに怖く感じたが、今は考えない事にした。ここから逃げなければ、命が無いからだ。

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