5. 九月 薩摩芋と鶏肉の甘酢炒め(1)

 「……お前もよく来るなあ」

 樹は、ちょっと呆れた顔だった。

 九月も下旬になると、大学の後期授業の準備が始まり、樹も大学院の修論の準備で忙しかった。夏休みの間、閑散としていた学生街も少しずつ学生が戻ってきて、活気を取り戻しつつある。

 「もう薩摩芋が出てたー」

 慶は、樹の後をついて部屋に入りながら言った。

「あれっなんか物が減ってる」

 本は減っていないが、雑然と積まれていた雑貨類や雑誌がなくなっていた。

「あー……うん、ちょっと整理してなー」

 樹は鼻に皺を寄せて笑って、慶から離れて行った。お盆の日に酔っぱらった樹を介抱して以来、なんとなく距離があるのは感じていた。なんとなく気まずい。

「ふーん……あ、でも、この買った箸は捨てないでよね。先生が買ってくれたんだからさ」

樹は、台所に入りながら洗いカゴの中に立てられている箸を見た。

「ね?先生」

返事がないので、振り返ると、すぐそこに樹が立っていた。

「ああ、そうだな」

樹は鼻に皺を寄せてまた笑った。

「―――どうしたの?」

 慶は薩摩芋を置いて、先生に近寄った。

「熱でもあるんじゃない?」

変だった。樹がハッとして、近づいてくる慶から一歩下がった。

「変だよ。先生はいつももっと、怒ったり文句言ったり、急に集中しだしたり、眉間に皺寄せたり、泣いたりしてるじゃん。大人しすぎるよ」

「な、泣いたりしてない」

「しょっちゅう泣いてるじゃん」

「泣いてない!」

「オレ、先生の泣き顔、何回見たか分からないんだけど」

慶が笑いながら近づくと、樹はほんとうに目に涙を浮かべて「泣いてない!」って顔を真っ赤にして怒り出した。

「ね、泣かないで」

 慶は思わず、樹の頭を撫でていた。

泣いてない!って顔を真っ赤にして言うのが、あまりにかわいかったから。

 びくっと樹が引いたのが分かった。

「あー……ごめん、年上にやる仕草じゃないよな」

慶はとっさに身を引いた。

ごめん、もう一度謝ろうとしたとき、ブブブと慶のスマートウォッチが振動し点灯する。

間近の樹も、スマートウォッチの画面に視線が移動した。

 みえこ

 点灯して、緑の受話器のマークが光っている。

「……出ろよ」

樹は、一瞬躊躇した慶にそう言って、背を向けた。

「―――ちょっと外出るね」

 慶は、スマートウォッチで直接話さず、スマートフォンを取り出して耳に当てながら、外へ出て行った。


 「はい」

 慶の声に向こうから、女性の声が答える。

「バイトのシフトなんだけど」

「先輩、後でもいいですかね」

「いや、ちょっとトラブルがあって―――」


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