呪い指

シバゼミ

第1話 半年前、竹中美鳥(ミドリ)は死んでいる。

 さくらが満開になった、三月も終わりごろ。私たち女子四人組は卒業旅行へ行きました。

 もっと早くに行きたかったのですが、とある事情でグダグダと。それでも四人で思い出づくりがほしいと、いきおいだけの企画でした。

 ちょうど私(アケミ)も車の免許をとったばかりで、三人をのせて県外の観光地まで安全運転です。


 初めての高速道路では緊張の連続でした。ただ、そこからはホント楽しかったなぁ、あの橋までは。

 ショッピングから遊園地、生まれて初めてのバンジージャンプまで。はしゃぎすぎて、帰りの時間も遅くなってしまいました。

 夕方七時には宿泊先の旅館へ到着の予定だったのですが、まだまだレンタカーで帰る途中。速度は上げるものの、打って変わってとても静かな車内でした。

 後ろの二人はお互いのかたをかり合い、すっかりと寝込んでいる様子です。そして、となりのウルルもスマートフォンとにらめっこ。さすがにハンドルをにぎる私も眠くなってきた、そんなときでした。


 山あいにある観光スポット、千手大橋にさしかかります。谷底も深く、橋も直線でかなりの長さでした。

 もうもう、眠くなるばかり。

 それでも、ちょっとしたイベントがあったのです。なんでも橋の中央でしずむ夕日に願い事をすると、願いがかなうというものでした。

 しかしとっぷりと日は暮れ、全員はすでにあきらめムード。前後には車もなく夜のとばりが下りたころ。誰もいない歩道には、ぼんやりと電灯がつき始めていました。

 薄暗いもや。月や星も見当たらない、まるで古い写真に入ったような感覚でした。


 私はセピア色の、何かカビ臭い風景に息がつまります。ウルルも同じだったようで、スマホを閉じてつぶやきました。

「いや~~~、暗くなったね。せっかく絵馬とか南京錠なんきんじょうとか買ってきたのに日が沈んだら意味ないか」


 ウルルは今回も愛する陸上部の先輩のため、恋愛成就じょうじゅグッズを大量購入していました。

 ただ、沈んだ夕日は戻ってきません。このままだとお部屋のインテリアになってしまうでしょう。

 私は何気なく頼みます。

「しかたないって。日が沈んだけどさ、写メだけってよ」

 思い出づくりの一場面。

 紫雲が敷きつめられた夜の空。神秘的というか終末的な重さを感じました。


 彼女は怪しく笑います。

「ホントにいいの? 実はここって自殺の名所でもあるんだってさ。知ってた?」

 むしろ、知りたくない情報です。おかげで私から笑顔が消えます。

「そ、そうなの? サイトには何も書かれてなかったけど………」

「でも、アケミからも見えるでしょ? この橋の両わきに高い金網のフェンス。あれ、きっと自殺防止だよ」

 そう、橋の外側には身長を超えるほどの金網が設置されていました。無機質で虫取りカゴのような金網。どうもそれが私たちを閉じ込めているようで、気味が悪かったのです。

「確かに、不自然だけど。ここまで来て、自殺なんてする?」

 そう、この橋までは都内から数時間もかかります。駅だって近くありません。

 それでもウルルは相変わらず軽口でした。

「あるんじゃない? 落ちたら、見つからないとかさ。もしかして、この先に花とか置いてあるじゃない? よく見てよっと」

 相変わらず物好きなウルルです。そう言って、彼女は動画を撮り始めました。

 


 車の窓からは生ぬるい風がふきこんできます。ふわっとではなく、ぬるっとした不快感。そのうち、『止マレ』の標識が見えてきました。

 私は不思議に思います。ここは直線道路のはずです。速度規制ならわかりますよ。それどころかすでに駐車禁止区間のはずです。


 ゴクリッ、そのすぐ後でした。ウルルが声を震わせます。

「ね、ねぇ………、見てよ。花、本当に置いてあったけど」

 それは橋の歩道のはしでした。よりかかった菊の花束。まるでむき出しの脳みそのように、三つとも大輪でした。

 なぜ、当てるの? 

 あまりに不吉としか言いようがありません。それなのにウルルはスマホを向け続けています。私は思わず怒っていました。

「あんた! 何、撮ってんのよ‼」

「だって、アケミが撮れって言ったじゃん!」

「ハアッ? 私が言ったのは写メだけよ。動画なんてバカじゃない‼」

 一気に混乱する車内です。しかし、その先が本番でした。さらに進むと歩道のはしにはそろえられた茶色のローファー。女性のくつがそこにはあったのです。


「………うそ」


 私たちはおのずと金網の上へと目が向いていました。そこにはぶら下がっているセーラー服。ブラブラと、足が二本もついていました。髪もなびいていました。


 人形? いや、人! あせりまくるウルルです。

「ねえねえねえねえええ! アレッ‼ マジで、ヤバいって‼」

 そう、まさしく今。飛び降りる。女性が金網に腰を引っ掛け、橋の下をのぞいたのです。


 危険な夜風。木の葉のようにゆれる体。

 私も思わずさけびます。

「う、うそでしょ! ウルル、どうしよ‼」

 ですが、彼女は我を忘れて動画撮影。こんなときに何やってんの!っとはなりませんでした。なぜなら私の体も車もおかしいの。

 手に汗が止まらない。

 どうにも車のスピードが上がらない、アクセルが固いんです。むしろ、止まりそう。ハンドルもなんだかグラグラ。もう、取れそうなんだけど‼

 次の瞬間、絶望を見るのでした。

「アアッ、落ちた‼」

 二人の裏返った声。深く、谷底へ。すべてが通り過ぎました。



 私はバザードランプをつけて、ゆっくりと車を停めます。

「ねぇ………。アレが飛び降りた瞬間、見たよね? しかも、私たちと同じ制服じゃなかった?」

 ウルルも浅い呼吸です。

「………ええ、たぶん同じ制服」

 気分は最悪です。飛び降り自殺がまさかの知り合いだったかもしれないのですから。


 私はキョロキョロしてしまいます。

「それって、マズくない? 私たち、その彼女を助けなかったんだから。むしろ見放してきたんだよね?」

 私は恐れます。

 実は大学に入る前の大事な時期なのです。全国報道でもされたら、進学にひびくかもしれません。


 ウルルも声が上ずっていました。

「でも、見なかったってできるじゃん! あのとき、誰もいなかったわけだしさ」

 確かに前後左右、防犯カメラもありませんでした。

 ただ、張本人がここにいる。

 私はウルルを激しくにらみます。

「あんた、しばらく動画を撮っていたよね? 一部始終、声も含めて。そこからうそがバレる。今すぐ確認してみてよ!」

 ですが、ウルルは断わります。

「いいじゃん。後で見ればいいでしょ!」

 マジ、むかつくわ。私は血管が切れるほど低い声になっていました。

「わかった。私が先に見ておく。だから、おまえのスマホを貸せって」

「嫌よ! どうせアケミのことだから、たたき壊すんでしょ!」

「いいから貸せって! この、プリクラばっか張ってあるだっせぇスマホをよ‼」

「ハアッ? そもそも誰のチンタラした運転のせいでこんなに遅くなったんだよ!」

「どの口? となりにいるのに、ナビもしないでさ。スマホばっかりいじってよぉ! この、役立たずが‼」

 もう、狂乱の車内です。ですが、車外は異常なほど静かでした。


 しまいにはウルルが自分のスマホを振りかざします。

「もう、うっさいな! 見過ごせないなら、通報が先でしょ!」

 おめでとう、まっとうな意見に。私も少し冷静になります。

「通報…、通報ね…。そうね…、そうかもね…。私は運転中で非はなかったもん。

ええ。さっきの場所へ戻ろう。ちょっと、戻るね」

 私は車をUターンさせました。その間にもウルルが通報。後ろの二人もようやく目を覚まします。

「もう、着いた?」

 なめやがって。私は一旦、落ち着いて答えます。

「ぜんぜん。そんなことより緊急事態」

「なにそれ? ガス欠?」

「ええ、とっくに爆発しそう。さっき私たち、この千手大橋で飛び降り自殺を目撃したの。だから今、ウルルが通報してる」

 二人は頭が回っていなかったのでしょう。あっけにとられて、返す言葉も出てきませんでした。

 さて、見たくもない現場へ戻ります。しかし、驚くべきことにそこには花も何もありませんでした。



 消えた? まぼろし? 私とウルルは車を飛び出します。

「さっきまであったよね?」

「うん。絶対にあった」

 二人で確かめ合います。まずは『止マレ』の標識のあと、菊の花があったはずです。次にそろえられたくつと制服でしょう。その、すべてがありませんでした。反対側も見ましたが、何もないという不思議でした。


 気味が悪い。気持ち悪い。のどの奥で何かつまっているような、でもホッとする気持ちと半々でした。

 しかたありません。私はウルルに頼みます。

「きっと、見間違いだったのかも。眠かったしさ。とにかく通報を取り消さないとね」

 車内では後ろの二人が残ったままです。まるで金縛りにあったように固まって。


 ただ、次に歩道へ目を向けたとき、私は気づいてしまいました。それは目線の高さで、金網に何かひっかかっていたのです。


 それは 切断された 女性の手首 でした。


「ギィヤアアアアアア―――――!」


 私は狂ったように悲鳴を上げます。

 その切断面は生々しいくも、したたる鮮血。骨のぎ目はガリガリと。人が一生懸命、切り落としたそれに間違いありませんでした。   


 ウルルも驚いて電話を切ります。しかし、別の驚きもありました。

「待って! その手さ。行方不明になっているミドリの手じゃない? だって見てよ、手のひら。私たちで開けた穴があるじゃん」

 そう。まさにそれは私たちのいじめていた、同級生のミドリの手首でした。


 金網に残っていた手。それは竹中美鳥(ミドリ)が18年間、使っていた手首で間違いありませんでした。

 ただし、彼女は半年前ぐらいから一家で行方不明。捜索そうさく願も出ています。それでも、私たちがよくいじめていたので間違えるはずもありません。むしろ自分の手よりも覚えています。



 それはよくあるゲームでした。指を広げて、その間を高速で刃物を刺していく度胸試し。私たちの刃物はカッターでした。でも彼女、あまりに動くものだから固定してあげたんです。

 まずは三人で強引に体を押さえつけます。でも、指は動く。それならと、ウルルが手のひらにくぎで打ちつけたのです。

 そうしたら彼女、飛び上がっちゃって。私たちもあまりのジャンプに大笑い。だから、ついでにスカートを燃やしてあげたんです。

 手はグサリと刺さったまま。それでも激しく動くので穴は広がり、血がグジュグジュとき上がっていました。

 その上、尻からは大炎上。スカートを脱げば早いんだけど、片手だからままならない。そうしたら、バッタみたいにピョンピョンしちゃって。しまいには尻もちです。そのため、手がETみたいにかれてしまいました。

 しばらくして次の登校のときには、手には包帯。ジャージで登校。どうやら手は動くみたいだけど、クギでできた穴の部分だけは残ったみたい。そのときもね、もう一度、笑ってやったんだけど。

 まさしく、その傷とおんなじでした。



 静かな山脈のシルエット。紫雲はすでにずっしりとした黒雲へと変わっていました。

「ミドリの手って、本当なの?」

 彼女の名前を聞いて、後ろの二人も車から出てきます。アホ面下げて、怒りしかこみ上げてこない。私は不安を八つ当たりに変えていたのかもしれません。

 ただ、ウルルの目はすわっていました。

「おそらくね。落ちたのもミドリでしょ。

 でも、私たちは何も見ていない。そして、こんな手も見ていない。だから、この後はただの同情よ。こいつを主人の下へ返してあげる」

 金網にしがみつく、未練がましい手。でも、ウルルは無感情に指を一つずつはがしていきました。


 このまばたきを忘れるほどの十数秒間。私たちはなぜか命のカウントダウンのような別れの儀式に見入ってしまったのです。

 それぞれの指がほどけていく。そのたびに、下腹部が熱くなったことを告白します。

 親指、かんざ指、薬指、小指。

 中指はほどくまでもない、重力に従い、落ちていきました。


「はい、終了!」

 この、ウルルの号令で私たちは元に戻ります。ただ、妙なんです。なぜかドボンッという大きな着水音がこだまする。

 夜の自然って、虫の音や川の音でホントさわがしいものです。ただ、今日に限っては無音がやけに長すぎる。私は気になって、よせばいいのに下をのぞき込んでいました。


 手すりから乗り出す。

 ふと、ふき上がる風に私の長い髪がなびきます。同時に、山の臭いが真っ先に。それから金網の下の部分。わずかに血の臭いがしました。次に目をこらした瞬間、あまりの光景に目を疑いました。

「う、うそ! 手首がいっぱい引っかかってる‼」

 うじゃうじゃと無数の手首があったのです。それも血色もなく、もがき苦しみ、うごめいているのです。

 この千手大橋は願いがかなうのではなかったのでしょうか?

 こんなむごたらしい、クモの巣に引っかかったような犠牲者。いいえ、ドボンッと落ちたはず?

 でも、違うの。それは上ってきている! 金網をガシガシらして上ってきている! ツメを血に染め上げ、ものすごい速さ!


 私は振り返り、さけびます。

「逃げよ!」

 血相を変えた私の顔。危険なよじ登る音はすべての耳に届いていました。その一声で全員が車へ飛び込みます。急げ急げ急げ! 急発進だ!

 

 相変わらず、元気のないエンジン。あせる私はハンドルをたたきます。早く動けって!

 そこへ真後ろから絶叫です。

「ひぃいいいいい! 座席の下にミドリがいるぅうううう!」

 ちょっと、待ってよ! どういうこと? 

 座席の下って、後ろ? 前? 前なら私よ。まさか尻の下か!

 

 パニックしかない。思わず、私は目線を下げてしまいます。どうやら車のマットだけ。いや、足の部分に違和感だ。なにか、ゴロゴロしている? そっと。

 私が踏んでいるのはミドリの指だ!

 もう、目をつぶっておがみます。

「頼むから、消えてよ‼」

 ただ、となりのウルルだけは冷静でした。

「二人とも違うって! アケミの足もとにポテト。後ろは毛のついた耳当てでしょ! よく見てよ!」

 そう…、なのかもしれない。っていうか、足元なんて二度と見たくない!

 とにかくア、アクセルよ! ようやく車も動き出します。


 ただ、不自然にくもっていたフロントガラスが妨害するの。なぜか薄黄色の花粉のようにびっしりと。そこから徐々に浮かび上がってくるのは、

 びっしりと手形ぁあああ!

 私は泣きさけびます。

「いやぁぁあぁ‼ これじゃあ、前も見えないよ!」

 窓までピシピシときしむ音。でも、ウルルだけは少し笑っていました。

「いいよ、ウォッシャーで消せって!」

 言われたとおり、何度も消します。ワイパーも異常な速さで往復です。そして、私はアクセルを踏み続けました。


 ようやくスピードが上がったのでしょうか。当然、運転中はミラーというミラー。後ろも下ものぞくことさえできませんでした。

 タイヤからは何かに乗り上げる衝撃。車の天井からは引っかく音。つけてもないのにエアコンからは黄ばんだ風。ただ、脇目もふらず必死にハンドルをにぎる。そんな、とてもない長い時間かと思われました。


 夢中でたどり着いた旅館です。

 もう、真っ暗。もう、へとへと。他の三人も息を切らせています。しかし三月の山間やまあいにある旅館だったので、ひときわ静かで寒く感じました。

 ウルルがつぶやきます。

「はぁ………はぁ………、なんか旅館も暗いんだけど、やってるのかな?」

 答える気もない。そのときには私の体もげっそりと。いつの間にか声まで枯れている。他の三人へ気遣う余裕すらありませんでした。


 玄関は空いていましたが、青白い灯りのみ。

 年老いたおばあさんが受付におり館内を説明。なんでも観光シーズンがわざわいし、古い和室だけとのでした。当然、こちらもセピア色で一色です。電気をつけたまま四人でかたまって寝ていました。



 分厚い灰雲におおわれた次の日の朝。

 旅館のおばあさんに昨日の出来事についてたずねることもできましたが、とにかくこの場を離れたいことが優先されました。それに車をみても、花粉も手形もついていないピカピカの状態。わざわざ戻って確認する気持ちもわきてきません。


 帰り道、車内ではしばらく無言が続きます。そのうちにウルルがこんなことを言っていました。

「あのときね。警察に取り消しの電話、入れてたじゃん。そうしたら、よくあることだってさ。あの橋で、そういうのを『見た!』っていう通報をね。

 だから、気にしなくていいってさ。むしろ、夜なんだから君たちは早く帰りなさいと。

 一応、自分たちで確認に行くから、何かあったら連絡するって」

 私は思い返します。確か、あのときパトカーとすれ違うこともなかったけれど。


 ただ、あれから数えると十時間は経っています。

 それなのに、連絡の一つもないってことは事件も事故もなかったということでしょう。やっぱり、昨日はつかれていただけなのでしょうか?

 私はため息をつきます。

「ふぅ~~~、でもよかった。ホントによかった」

 その後、車内ではわざとロックな楽曲をヘビーローテーション。私たちはあの橋から逃げるように、予定を早めに切り上げて都内へ戻りました。



 さわやかな風がふく。地元は青空の下、快晴でした。さくらも満開です。レンタカーも無事に返すことができました。

 無事故、無違反。初めての遠出にしては上出来でしょう。ただ、うつむいた心境には変わりません。それどころか、店員からこんな問い合わせに心臓が止まります。

「後ろのトランクに誰か入りましたか? 長い髪の毛がたくさんあって、れていましたよ」

 私たちは強く否定します。もちろん誰もトランクに入っていません!

 じゃあ、誰が入っていた?

 でも、それ以上は考えることを止めました。おそらく相当、精神がすり減っていたと思います。まだ昼過ぎでしたが、私たちはすぐに解散しました。


 お土産も思い出も、もうどうでもいい。自宅へ直行です。

 運転づかれもあったのでしょう。私はシャワーも浴びずにベッドへ直行。バタンと倒れ込む。いつの間にか一時間ぐらい寝ていました。しかし突然、ウルルからの電話で起こされます。

「寝てた? 今、大丈夫?」

「う、う~~~ん。メールじゃ、ダメなの?」

「あのさ、やっぱり映ってたよ。ミドリがね」

 その瞬間、あおむけで見る部屋のシーリングライト。びっしりと手形が映っていたのです。

 思わず絶句。私の手からもスマホがすべり落ちました。

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