エフロレスンス

勿忘草

1話

「うわぁぁぁああ!!?」


 珍しく騒がしくない昼休み。右隣に座る学友の情けない悲鳴で、クラスメイトは一斉にこちらを見た。ひそひそと、話し声が聞こえ始める。


「なんだよ春章はるあき


「く、食葉くは!おまっ!か、かお!かお!!」


 大車おおぐるま春章はるあき、コイツのせいで鼓膜が破れるところだ。見れば、椅子から見事に転げ落ちていた。ウニのようなトゲトゲした黒髪は、聞いた話ではくせ毛らしい。髪の下からちらりと覗くのは涙で潤んだピンク色の目。普段は顔が見えず脇役モブっぽい彼だが意外と顔が良い、磨けば輝く原石だ。

 震えながらずっと指され、気になったのでゆっくりと触れてみることにした。先程完食した弁当のミニオムライスのケチャップがついたにしては大袈裟だ。口元に触れても首を横に振られ、そおっと左目の上、眉のあたりに触れた。



 カサリ。

 人間の肌ではない何かがある。スマホを取りだしカメラアプリを起動、恐る恐る内カメにする。そこに、俺の顔にいたのは植物だ。ぴょこりと、眉から蔓が生えている。イボイボとしたこれは蕾だろうか?虫に見えなくもない。そう言えば春章コイツは虫嫌いだったか。取り乱す彼の頭にチョップを入れ、少々の痛みで落ち着かせる。今にも泣きそうな顔だ。


「虫じゃねえよアホ」


「え、あ…ホントだ。な、なんだっけ?エフ、エプロン?」


「エフロレスンスな?」


 頭を押え、真面目な顔で間違っている彼に「エプロン病ってなんだ」と軽いツッコミを入れておく。よほど嫌いなんだな。


 ──エフロレスンス病。通称、開花病かいかびょう

 数年前に現れた謎の病。植物が生えるだけで、特に害はないとされる。海外では腕の植物を無理に引き剥がそうとして、切断することになったケースがあるらしい。治療薬は未だなく、どこかの勇者バカは開花病を治すために!と、大量の除草剤を飲んで名誉ある賞を取った。

 手術はその植物の種類によるが完全に取り除くのは難しい。やれる医者は限られ、金はかなりかかる。そのうえ痕が一生残ることが多い。開花病を一つのファッションとして、一つの個性として捉える開花病のインフルエンサーやモデルが現れ、最初こそ燃えたりしていたが開花病を敢えてそのままにする人間が増えた。

 数日前のニュースでは、日本の人口の7%以上開花病患者がいると言っていたか。たった7%、なんて思っていたがまさか自分に来るとは。


「え、食葉っぺも開花病なカンジ?花は違うっぽいけどオソロじゃーん!」


「お、おう…」


 ギャルがぐいぐいやってくる。きょう夏恋かれん、アダ名はキョーカ。皆最初は、自然と彼女の手を見てしまうだろう。アクセサリーのように蔓が腕と指へ巻き付き、宝石の代わりに大きな花が咲いている。うろ覚えだがディプ、から始まる名前の花と言っていたか。

 こいつは去年も同じクラスで、その時からこの花はあった。クラスをまとめたり、授業は割と真面目に受けたり、宿題忘れたら見せてくれたり、良い奴ではある。


「ねぇねぇ食葉っぺ。放課後、あの子のとこ行ったら?」


「一年の時から思ってたけどその呼び方なんだよ。…あの子って?」


「呼び方はまぁなんとなく?みこっちのことだよ。みこっち、知ってるでしょ?」


 花土実子かどみこのことだろうか。他クラスだが、植物に詳しく、開花病になった生徒は彼女に相談する者が多いとよく聞いている。


「あたし、これ咲いた時に相談行ったんよー!勢いにちょっと引かれたカモだけど親切!部活入ってないはずだし、図書室の出没率クソ高丸たかまるチャンコだから部活の時間に」


「席座れ夏恋」


「ギャン!まだチャイム鳴ってない!頭叩かないでせんせー!!」


「ハイハイ、ワルイワルイ」


 担任の香月こうづき先生、下の名前はたしか依織いおりだったか。くたびれた黒スーツに、青のネクタイをゆるく締めた男教師。ヘビースモーカーらしく、いつも消臭剤に紛れほんのり煙草の匂いがする。女子曰く、疲れてそうなあの顔がいいらしい。

 分厚い歴史の教科書で軽く叩かれた馨はきゃんきゃん仔犬のように吠えるが、香月先生は適当に受け流している。いかにも少女漫画にありそうなやり取りで、他の女子からは羨望の眼差しが向けられていた。

 先生はふわぁ、大きく口を開けてあくびをする。どこかでカシャカシャなにかが聞こえたような気がして、そちらを見れば女子の一人がスマホを構えていた。


「んあー……食葉、開花病か」


「え?あ、はい」


「なんの花だそれ?」


「知らねえっす」


 始業のチャイムが鳴ると、また香月先生は席に着くよう促す。皆急いで席に座り教科書筆記用具を取り出そうと、机や椅子がガタガタ動かされる。その間に香月先生は教卓へ。懐からケースを取りだし、眼鏡をかけていた。

 授業さいみんじゅつが始まる。先生は眠気に誘う低く、心地のいい声を持っている。こいつの授業が食後にあるとクラスの半分が確実に居眠りをかます。俺もその半分の一人だ。


「18世紀…いや、ここは終わらせたわ。あー、その次…128ページ開け。押し気味でやるぞ、19××年──」


 カツ、カツ、カツ…カツカツ


「もう三分の一が寝てんじゃねえか、はえーよ。起きてるやつ全員ここ線引いとけー、今度のテスト何とは言わんが俺が作るからなー」


 カツ…カツ……


「──、ですか?」


「ハズレだ大車、まぁ気持ちは分かる。遠目から見りゃ皆同じ顔だ。こいつの名前は」


 カッ…

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