聖なる乙女の××

笠原久

序章 騎士と英雄のあいだ

第1話 女王に呼び出される

 魔王討伐を命じられた。ある晴れた朝のことだ。


 その日、私はいつものように起床し、いつものように朝食を食べた。従者のデイジーを連れて屋敷を出て少し歩き、普段どおりリリーとシスルの二人と合流した。


 異変に気づいたのは、王立学園の門をくぐったときだ。


 校舎の前に、紋章つきの馬車が停まっていた。王室のものだ。見間違えるはずもない。王族の誰かが来ているのか? 私は胸騒ぎを覚えた。だが不安を感じただけで、歩みを止めることはなかった。


 馬車を避け、校舎に入ろうとしたところで、宰相と目が合った。


 彼は、まるで陣取るように入り口の前にいて、登校する生徒を睥睨していた。逃げなければ、と反射的に思った。しかし遅すぎた。私が回れ右をするよりも早く、彼はすたすたと近づいてきた。


 堂々たる足取りだ。


「プリムローズ・フリティラリア公爵令嬢、陛下がお呼びです」


 と私に言った。


 そして、返事を聞く前にデイジーたちにも同じことを言った。私たちが答える前に、彼は手ずから馬車の扉を開けた。


 どうぞ、と有無を言わさぬ調子で私たちを手招きする。


 周りにいた生徒たちが、遠巻きに私たちを見ていた。ざわめきが広がり、校舎の窓から教師や生徒たちが顔をのぞかせた。


 断れなかった――誰が断れようか。


 私は公爵令嬢だ。陛下に来いと言われれば、行かねばならない。私たちは無言で馬車に乗った。宰相は扉を閉めると、御者台に上った。


 え、待って、という言葉が喉から出かかった。


 が、声を出す前に馬車は出発した。こうして、私たちは王城まで連行された――宰相自ら御者を務める馬車に揺られて。逃げ出す隙はなかった。


 なにせ御者台にいるのは宰相閣下で、乗っているのも王室の馬車だ。どうしようもなく目立つ。窓からそっと外をうかがえば、驚きに目を見張る老若男女の姿が視界に飛び込んできた。


 逃さないためにここまでやるのかと、私は呆れ半分、感心半分だった。


 馬車は悠々と進み、ほんの十分ほどで王城に着く。停車と同時に素早く扉が開け放たれた。


 お待ちしておりました、と声をかけてきたのは歩哨だ。異様に数が多い。三十人もいる。全員、真剣な表情を浮かべていた。無駄口一つ叩かない。


 こちらへ、と御者台から降りた宰相が歩き出した。私たちはついて行った。大きな門をくぐり、大理石の柱のあいだを通って、長い長い廊下と階段を歩いた。


 城内は物々しかった。


 うららかな日だというのに、廊下のあちこちに騎士団員がいる。彼らはそろって、無言のまま私たちの一挙手一投足をじっと見つめていた


 開け放した窓からはそよ風が吹いていたが、よく目を凝らすと屋上に騎士が何人もいた。手に手に双眼鏡を持って、私たちの動向を探っている。


 階段で姿が見えなくなる直前、彼女たちの手信号が見えた。仲間に合図を送っているのだろう。もちろん、私は逃げ出せなかった。


 覚悟を決めて謁見の間に着くと、宰相は女王に挨拶をして、いつもの定位置――女王の隣に控えた。その反対側には、うるわしの近衛騎士隊長が立っている。


 謁見の間には、すでに多くの人が集まっていた。文官はもちろん、武官も大勢いた。見慣れぬ商人風の者たちまでいる。


「プリムローズ・フリティラリア、馳せ参じました」


 と私は膝をついて頭を垂れた。デイジーたちも私にならう。


「面を挙げよ」


 私たちは顔を上げた。アルファ王国の若き女王マーガレット・ハイアシンスの姿が目に入る。彼女は満足げな表情を浮かべていた。


 美しい女王だ。豊かな髪を結い上げ、体のラインがきっちり出るドレスに身を包んでいる。肌はほとんど見えない。だが布地は薄く、そのせいで体の凹凸が強調されていた。


 女王のドレスは水で濡らしたように肌に張りつき、豊満な胸や細い腰、豊かな臀部を見る者の記憶に焼きつける。


 彼女はなごやかな調子で世間話を始めた。魔王についての話だ。


 最初に現れたのが五〇〇年前、それから一〇〇年に一度のペースで魔王は出現している。軍を率いて地上侵略をもくろむが、いつも聖剣の使い手に討たれて失敗している。


 最近、新しい魔王が地上に現れた。


 アルファ王国はプロートス大陸にあった。この大陸に魔王軍はいないが、メソン大陸やヒュスタトン大陸では激戦だという。


 特にヒュスタトン大陸には、魔界へつながる祠があった。このため、あの大陸はほとんど魔族の手に落ちたという。

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