第105話 大事にして
「で……なんで彼女がここにいるのか説明してよね、慎二」
夕食の席で、輝子さんが慎二にそう言った。語気が強いのは、気のせいでは無いはずだ。
慎二さんの隣には美咲さんが座っていた。対面にはわたしと輝子さんだ。
「……あー、と」
慎二さんが目線を泳がせる。つい目線を追いかけると、食卓に目が止まる。慎二さんが目を伏せたからだ。
食卓には、カレーライスが四人分。できたばかりで湯気が立っている。それがカゲロウのように慎二さんの表情をわずかに隠していた。
「彼女は、たまたま訪ねてきてさ。今どこに泊まってるんだーって訊いたら、野宿しているって答えたから」
「ふーん、またなのね」
また、とわたしは首を傾げる。輝子さんはそれを無視して、
「慎二は人を疑うことを覚えてよね。そりゃあ、こんな子が悪いことをするって思いたくは無いけど、初対面なんだし」
「それは、そうかもしれないけど」
輝子さんの言葉に、確かにと思う。わたしが悪人である可能性だってゼロでは無いのだ。輝子さんが懸念している事──つまりは、わたしが慎二さんや美咲さんをどうこうするとか、あるいは何かを盗むとか、そう言ったことをする可能性があるという事。
「……まあ、慎二のお人好しは今に始まったことじゃないし、それは美点だとは思うけどさ。何も考えずに動くと痛い目見るよ。その顔の傷の事とかもそうだけどさ」
ビシッと輝子さんが人差し指で示す。その先を目で追う。
「それは今は関係ないだろ」
あ、明確に不機嫌になった。
「関係あるわよ。あの時だって、リスクを考えなかったからそうなったんじゃない」
「あん時はそれが最善だったじゃないか」
「でも危険だった──」
「輝子さん」
言い争いに発展しかけた二人の会話に割って入ったのは、美咲さんだった。このまま静観を決め込むのかと思っていたので、少し驚いた。その声に少し震えが混じっているのは何故だろうか。
「脱線してます」
「あっ、っと──そう、だね。それで、恵美ちゃんはなんでここに来たのよ」
矛先がわたしに向かう。それを予期していなかったわたしは一瞬言葉につまり、
「その、聞き込みで」
「天城家?」
首肯する。
「……ほんと、そこまでの執念がどこにあるのやら。普通の神経なら、あたしのところもそうだけど、ここに来ないと思うんだけどなぁ」
呆れたようにため息を吐かれる。
執念、かぁとわたしは思った。確かに執念と言えるだろう。わたしは澪おねーさんに会いたくて、そのためだけにこんなところまで来て、見知らぬ人の元に転がり込んでいる。
その原動力はなんだろう、と不思議に思った。自分でも自分がよくわからない。
「ん? て事はそっちにも行ってたのか」
「えぇ。アマシロファイナンスとか、天城家とか訊きにね」
慎二さんの質問に、輝子さんが答えた。確認するような目線を感じるので、首肯しておいた。
「そうなんだ。仮にも極道の事務所に乗り込むなんて、正気か?」
「本当にね。いい、恵美ちゃん」
……そういえば、輝子さんには恵美って名乗ったような気がする。けど、
「何か言いたげね」
「エリナ、です。恵美よりエリナで呼んでほしいです」
「エリナ? まぁどっちでもいいけど。それで、エリナちゃん。そんなに無謀なことをして、どれほど危険なことかわかっているの? ヤクザの事務所に行くわ、初対面の男の人の家に泊まるわ。襲われても文句は言えないわよ」
こちらの身を案じてくれているのはわかる。が、そんな事はとっくの昔に天秤に掛けているのだ。
第一、
「別に襲われても構いません。それで澪さんに近づけるのなら」
「そう……自分のことなんてどうでもいいっていうの?」
「必要なら誰かに抱かれる、それだけです」
いつのまにか輝子さんに目線を合わせていた。視界の端で、慎二さんが美咲さんの耳を押さえているのに気がつく。
「ふーん」
と、輝子さんはわたしの両肩に手を置く。そのまま力が込められるのを感じ、わたしの体がぐらついた。背中にわずかな衝撃があり、天井が目に入る。その直後、わたしにのしかかる様に輝子さんが動く。それで、押し倒されたのだと理解した。
「なら、このまま犯すわよ」
「構いませんよ」
言って、胸の奥がズキリと傷んだ。誰かに抱かれるのは慣れ切っているのに、なぜ胸が痛むのか。
答えはわかる。嫌だなぁ、と思っている自分がどこかにいる事を認めた。
「でも、一つ約束してください。澪さんに近づく手助けをしてください。そうしたら、この体好きにしていいです」
嫌、という感情を飲み込んでそう言った。わたしが使える道具はこの体ぐらいしかないのだから、それを差し出すことに躊躇していてはいけないのだ。
「──っ」
輝子さんが表情を歪めた。
「そんなに会いたいの、天城澪に」
多量の怒り、憎悪を込めた声。わたしは輝子さんの目を見据えて、
「会いたいです。そのためならなんだってします」
「……そう。狂っているわ」
その狂っている、がどういう狂っているなのかはわからない。けど、まぁその評価は当たり前だった。
普通に考えて、一人の人間を探すために自分の体を差し出すなんておかしいのだ。
「……いいわ、会わせてあげる」
輝子さんはそう言った。その言葉にわたしは食いつく。
「本当ですか!」
「えぇ、覚悟はわかったから。なんでそこまでするのかは知らないけどね」
輝子さんがわたしの上から退く。
「……でも、もっと自分は大事にして」
なんだそれ。わたしがこうなったのは、天城家のせいじゃないか。自分をすり減らしながら生きていくしかなかったんだから、仕方がないじゃないか。
そして天城家の胴元は、東堂組じゃないか、とも。
その言葉が口を飛び出しかけ、ギリギリのところで押し留めた。
今ここで彼女の機嫌を損ねるのは良くないからだ。
「……今は、そんな事を気にしてはいられません」
せめてもの抵抗に、わたしはそう答えたのだった。
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