Memory four【The Fourth】 元売春JK、元社畜OLを追う

第96話 追跡

 澪おねーさんが連れ去られてから、どうやって家に帰ったのか。気がついたら自室のベッドに背中を預け、床に座り込んでいた。

 この家は澪おねーさんが契約していたから、これからどこに住めばいいんだろう、とかそんな事が頭をよぎる。

 これは、きっと。そうやって考えることで自分の心を守っているのだ。胸の奥にある、どうしようもない喪失感をどうにかしようとしているのだ。


「澪おねーさん……」


 なんか、疲れた。たった三十分足らずの時間で、全部を失ってしまった。わたしが持っていたい全てを。

 ……なんで生きてるのかな、わたし。生きている意味がわからなくなっている。

 天城家には何もかも奪われた。彼らのせいでわたしは売春をしなくちゃいけなくなった。その先で出会った、雨宮澪という救いも奪われた。

 ……澪おねーさんはこれからどうなるのかな。そんな事をぼんやりと考える。ろくに働いていない頭脳は、最悪な想像をしてしまう。

 彼らは澪おねーさんを傀儡にすると言っていた。となると、おそらくは殺されはしないだろう。しかし、酷い目に遭わされることは間違いないと思われた。

 裏切り者。澪おねーさんに向けて、天城家の男が言った言葉。裏切り者という言い方をするからには、きっとそれなりの扱いを受けるだろうという想像。


「……澪おねーさん」


 どんなふうに扱われるのか。また、彼女は地獄に戻るのか。

 そんなのは嫌だ。せっかくブラック企業から抜け出せて、ようやく幸せへの一歩を踏み出した澪おねーさんが、辛い思いをするなんて嫌だった。


「そんなの、澪おねーさんが泣いちゃうじゃん……」


 ぽろり、涙がこぼれ落ちた。澪おねーさんが泣いているところを想像してしまって、わたしまで泣いてしまったのだ。

 ……今は泣こう。思いっきり泣いて、それで終わりにしよう。

 わたしの心は、どうするべきなのかをすでに導き出していた。だから、それを成すまでは泣かない。

 だからこの涙は最後の涙。そう決意したのだった──。




『お久しぶりです。訊きたい事があるのですが、会えませんか』


 わたしはチャットアプリに残っていた売春相手の連絡先に、片っ端から連絡を入れた。主に相手は極道をやっている人たちだ。

 大半はスルーされる。それも織り込み済みだ。数人がそれに反応して、


『抱かせてくれるのなら質問を受け付ける』


 と、全員がそういった内容の返信をくれた。当然だ。わたしと相手とはそういう関係性を前提に成り立っているのだから。

 澪おねーさんが連れ去られた次の日。わたしは刺青を入れたおじさんとラブホテルに来ていた。

 ひとしきり性行為を済ませた後、おじさんはタバコに火をつける。紫煙の臭いにわたしは密かに顔を歪めた。


「それで、訊きたい事ってなんだい?」


 極めて紳士的な態度だけど、この男はわたしを──未成年の子供と肉体関係を持つ人間だ。心を許してはいけない。


「あの、実は……天城家について知りたいんですけど」

「天城……あぁ、東堂組の。なんでそんな事を──いや、すまん。こちらから質問するのは取引になかったな。で、なにが知りたいんだ」

「はい。天城家の情報をできるだけ詳細に欲しいんです」

「詳細にと言ってもな」


 おじさんは少し考えるようなそぶりを見せ、


「天城家は東堂組ってデカい組の傘下ってぐらいしか言えないが……」


 東堂組。その名前を頭の中にメモる。後で調べよう。


「主となる活動地域は木城市だ。ほら、隣の県の──」

「木城市なら知っています」

「そうか。じゃあ僕から教えられるのはこんなもんか。後はまぁ、天城家は東堂組の暗部だって噂があるぐらいだな」

「暗部?」


 聞きなれない言葉だ。フィクションとかでごくたまに聞くぐらいか。意味はよくわからない。

 そしてそれがいい意味で使われる言葉ではない事を、おじさんの表情から察する。


「まぁ、そうだな……言い換えれば東堂系列の武闘派らしい。東堂の不利益になるような存在を消すとか。まぁ、どこまで本当かはわからないけどな」


 なるほど、とわたしは返事をする。どうやら相手はずいぶんと物騒な連中らしい。もしかしたら殺されるかもしれない。

 それがどうした。澪おねーさんを助けられないのなら、死んだほうがマシだ。

 そう考えて、自分がどれほど狂った思考をしているのかと自嘲気味に笑う。そうか、命を賭けるまでするか、と。


「ありがとうございます」


 わたしは荷物をまとめ始める。


「なんだ、もう行くのか」

「はい。時間がありませんから」

「……そうか。僕がいうのもなんだが、無茶だけはするな」


 内心でそれは無理だ、と思いながら、


「もちろんです。死にたくはないですから」


 と、上辺だけの言葉を返したのだった。




 

 乃亜ちゃん経由でしばらくわたしと澪おねーさんが仕事を休む事を伝え、わたしは売春時代に使っていたテントと寝袋、着替えを持って電車に乗った。終電は人が少なく、大荷物でも迷惑はかからなかった。

 まさかこんな形で木城市に戻ろうとは思わなかった。

 木城市、わたしの生まれ育った街。両親との思い出が沢山残った……わたしにとってはある種地獄のような街。

 不安だけがずっと胸中に渦巻いている。でも……澪おねーさんを絶対に助ける。そう決意したから、恐れているばかりではダメなのだ。

 電車は走る。わたしを因縁の地に連れていくために。

 わたしの人生という物語はこうして、舞台を古巣に戻して紡がれるのだった。

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