第88話 隠し事

 ニュースサイトとは便利な物だ。いろんな情報が手に取るようにわかる。

 以前の私ならいざ知らず、今の私にはそれを確認する余裕もあった。


「澪おねーさん、明日の朝ごはん何食べる?」


 と言うエリナの問いかけに、パンと答える。


「パンね、わかった。じゃあご飯は炊かなくていいよね」


 言いながらエリナが私の隣に座る。


「何見てるの?」

「ニュースサイト。テレビないから」

「なるほど。何な目ぼしいニュースはある?」

「特にないわね」


 どこの町で殺人事件が起きただの、どこどこの動物園で動物の赤子が産まれただの、私の人生に関係するニュースは一つもない。


「テレビ買ったほうがいいわよね、やっぱり。エリナちゃんもテレビ観たいんじゃない?」

「うーん、テレビにはそこまで馴染みがなかったからなぁ。貧乏だったから」

「あっ……その、ごめんなさい」


 うっかり地雷を踏んでしまったらしい。エリナの声が少し沈んだのを認識して、そう気がつく。

 父親が亡くなって、母親も自殺。それはあまりにも重すぎる過去で、それを思い出させてしまったことを悔いる。

 人の地雷は思わぬところに埋まっているものだ、と言うことを実感した。


「ううん、大丈夫。もう昔の話だから」


 嘘だ。声が震えている。エリナの過去は彼女のすぐそばにあって、今も彼女を苦しめているはずだ。たとえそれを、当人が自覚していないとしても。

 ……その過去は、私にも結びつく。あの日、テントの中でエリナが告げた単語の中に、私と繋がるものがあった。



 ──アマシロファイナンス。



 エリナの母親に金を貸していたその組織名には覚えがある。アマシロ、天城アマシロ天城あまぎ。忌まわしきその名は、私の過去と密接に繋がっている。

 その事はエリナに伝えていない。伝えてしまえば、今の関係性が壊れてしまうとわかっているから、伝えられずにいた。


「昔の話でも、辛いものは辛いでしょう? 誰かを誤魔化しても、自分の心は誤魔化しきれないわよ」

「そうだね……ごめん、ちょっとまだ辛い」


 エリナがそう吐露して、私の肩に頭を預ける。

 罪悪感が私を包んだ。彼女の過去を思い出させてしまったという罪悪感。

 それが私の中に確かにあった。


「……今日は一緒に寝ていい?」


 エリナがそう呟く。小さな声で、こちらに投げかける。私は、


「それ、は」


 罪悪感はある。だけどそれとこれとは話が別というか、端的にいえばこちらが耐えられる自信がない。


「あーあ、辛い過去を思い出しちゃったなー」


 あ、小悪魔モードに入った。


「このままじゃあ今日しっかり寝れないなー」


 ちろりと舌を出して見せるエリナ。そう言われると断れないし……今日眠れないのは覚悟するか、と思う。


「仕方がないわね。いいわよ」


 そういうと、エリナはへにょっとした笑顔を浮かべて、それからもう一度私の肩に頭を預け、


「ありがとう、澪おねーさん」


 そう呟いたのだった。




 電気を消し、私たちはベッドに入り込む。エリナが私に抱きついて、シャンプーの香りがふわりとする。

 やはり耐えられる気がしない。理性が真っ先に尽きそうだ。


「……え、エリナちゃん」


 なんとか理性を保ちたい、そう思って話を振る。これが正解かどうかはわからない。


「なに?」

「その……今日はごめんなさい」

「なんで澪おねーさんが謝るのさ。テレビからそんな話になるなんて思いもよらないでしょ?」

「そうだけど……」


 隠し事をしているという事実が、罪悪感を増幅させていた。


「エリナちゃん」


 本当は今すぐ言ってしまいたい。私の──雨宮という性が本当は偽名だという事、本当の名前は、⬛︎⬛︎⬛︎だという事。全部暴露してしまえば楽になるんじゃないか、と思ってしまった。

 でも、それは今の生活を手放すという事。それは出来ない。彼女のためにも、何より私のためにも。


「なに?」


 言い淀む私に、エリナが問いかける。私はどう返事をすればいいのか迷って、


「なんでもないわ。さ、寝ましょう」

「あっ、誤魔化した」

「ふふ。まぁ、今はまだその時じゃない……そういうことにしておいて」


 眠りにつく。エリナの体温や心音を感じ取れるせいで、眠れる気はしなかった。



 胸の奥に、棘が刺さる。



 いつかは告げなければならないのだろう。私の本当の名前と──その正体を。

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