第87話 いつまでもずっと
目を覚ますと、強烈な違和感を覚えた。誰かがいるような感覚がする。それも、部屋の中にではなく、自分の一番近くに。
それから寝息。お腹のところに誰かの体温も感じる。けど、最も強烈な違和感は、脇の下から背中にかけてだ。
端的に言えば、誰かに抱きつかれている。その誰かは──目線を下げなくても誰かはわかるけれど──、私を抱き枕にしてぐーすか寝ているわけだ。
問題は、なぜこんな事になっているのか。
私は目線を下げる。そこには、表情を緩ませて眠り続けている、エリナがいた。
……エリナに抱きつかれている。なぜ、という問いかけを今しても、答えは返ってこないだろう。
「エリナちゃん?」
頬に手を伸ばしてみる。つまんでみると、むにっと擬音がしそうなほどに柔らかかった。マシュマロみたいだ。
楽園はここにあった。エリナが私に抱きついた状態で眠っているなんて、理想郷すぎる。
しかし……本当に彼女は可愛らしい。整った顔立ちで、あどけない表情をして眠っているところとか、その私より少し小柄だけど出るとこ出た身体とか。
寝汗でおでこに張り付いたエリナの髪を掻き上げてみる。健康的な色合いの肌は、私のそれよりずっといい。それに、滑らかだ。まるで宝石みたい、なんて思う。
それもとびっきり質の良い宝石。普通の宝石店では先ずお目にかかれない、そんな上質な宝石だ。
「……夢みたいね」
そんな宝石のような少女を、私一人が独占しているという今のシチュエーションが、私の心を満たしてくれた。
「……ふふ」
こうして幸せな時間を過ごしていると、多くのことを思い出す。
思い出はほとんどが嫌な記憶。だけど、エリナと出会ってからの私は間違いなく幸福だと言える。
あぁ、願わくばこんな幸福な時間がずっと続けばいい。だけど──、
「お母さんが私を見つけなければ……大丈夫よね」
不安材料はあった。私の生まれ育った環境は、私の幸福を許さないだろう。
だからこそ今だけは、この幸福に浸っていたい。いずれは終わる、泡沫の夢のようなものだとしても──。
「……うみゅ」
エリナが少し体を揺する。少しして、ゆっくりと目を開けた。目を開けるまでの間にどんな思考があったのかは、私には知り得ない。
「……」
で、エリナは思考が止まったかのように動きを止めた。目線がかっちりとこちらを見据え、そして徐々に逸らしていく。
「おはよう、エリナちゃん」
金魚みたいにパクパクと口を動かして、何かを発しようとするエリナ。だけどそれがなんなのかはわからない。
「み、澪おねーさん」
エリナの口を突いて出てきたのはそんな言葉だった。
「ご、ごめん。そんなつもりはなくて、その、だから──」
起き上がったエリナがあたふたと言い訳を探す。まぁ、つまりは何故私のベッドにいるのかに対する弁明をしたいのだろうと推測する。
焦っているエリナも可愛いな、なんてぼんやりと思う。けどこれでは進展がないので、
「落ち着いて、エリナちゃん。怒ってないから、ね?」
「……あー、と。その……つまりは、つい忍び込んじゃったわけで……ごめんなさい」
しょぼくれた表情のエリナは見たくなかった。だから、
「気にしなくてもいいわよ。ちょっとしたいたずら心なんでしょう?」
と見透かしたような表情を作って見せる。
「あー、うん。そんなとこ」
本当の理由は実のところどうでもいいのだ。結果として私は、起きてすぐにエリナの寝顔を堪能できたのだから。
「年相応なところもあるのね。まぁ、潜り込むだけなら何も言わないわ。自由にして」
「ぁ──うん、ありがと」
エリナが俯く。表情は読み取れないが、恥ずかしがっているような雰囲気だ。
「じゃあ、ご飯にしましょうか。お腹が空いたわ」
この話題はこれでおしまい。その合図に手を叩いて、話題を転換した。
「うん、すぐ用意するね」
エリナは破顔して、逃げるように私の部屋を出て行ったのだった。
「エリナちゃん」
食後の片付けを終えたエリナに話しかける。時刻は十時ごろ。
「昨日ね、服を買いに行ったんだけど、似合っているか見て欲しくって」
「服?」
私はすでに着替えを終えている。昨日買ってきたワンピースだ。やはり慣れず、だいぶ恥ずかしい。
振り返ったエリナに微笑みかけてみる。エリナは値踏みするような目つきで私を見つめ、
「すごい……綺麗……」
そう呟いた、本当に一瞬。彼女の玲瓏な声が耳にずっと残る。
言葉の意味がじわじわと脳細胞を走る電気信号に浸透していく。
綺麗、きれい、キレイ。その言葉がリフレイン。
音は世界に残らず、私の記憶の中に閉じ込められる。
「……ぁ、そ、そう?」
そう絞り出すので精一杯だった。
「うん、すごく綺麗……あっ、その、服が、ね」
エリナがそう言い足して、ワンピースに触れる。
……そっか、服が綺麗かぁ。とがっくりする。そうだよね、私なんかがエリナに綺麗なんて言ってもらえるわけないよね。
「あっ、あと、澪おねーさんも」
ゴニョゴニョとエリナが恥ずかしがりながら言う。その、左右に身を揺する仕草がまた愛いのだ。
「いいよ、似合ってる」
数秒モゾモゾとした後、エリナがそう言ってくれた。
あぁ、この時間がずっと続けばいいのに。私は心底そう思った。
ずっとエリナのそばにいて、エリナとこんなたわいもない話をして過ごしていたいな、と思ったのだ。
そう、いつまでもずっと──。
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