ドッグイートドッグ

すーざん

第1章 少年・少女編 1

 檻を引く馬車が三台連なって、乾いた土の道を進んでいた。檻には厚い覆いがかけられていて、中は見えない。

 周囲には獣臭さが漂っているものの、入れられているのは動物ではない。年若い子供達だ。肩を狭めなければ座れないほど、押し込められている。年齢は五、六歳から十代半ばくらい、女の子と男の子の割合は半々だ。一様に表情は暗く、中にはすすり泣いている子もいた。

 ミカもその一人だ。最近、十歳になったばかり。小柄で痩せっぽちで、手足は棒のようだ。髪の毛は伸び放題で肩まであり、女の子と間違われるときもあった。彼は他の子供達と異なり、瞳に光が失われていなかった。

 父親は知らない。生まれた時からいなかったからだ。母親からは疎まれて育った。理由は、いつの間にかできただけで、本当は欲しくなかったから、だそうだ。

 母は夜になると、肌を露わにした服で仕事に出かけ、明け方に戻ると後は寝ていた。戻らない時も珍しくなかった。ほとんど世話をしてくれないので、ミカは空腹になると、通りに出かけて物乞いをした。 

 初めはうまくいかなかったが、そのうち同情を引く術を身に付けた。できるだけ哀しげに、それでいて健気さも装う。ミカの愛らしい外見と相まって、女性には特に受けが良かった。小銭をもらえるだけでなく、場合によっては、食事にもありつけた。

 生きる手立てが出来上がり、それなりに腹は満たされたものの、心は飢えていた。誰かに愛されたかった。必要とされたかった。

 だから、人に優しくあろうとし、似たような境遇の子がいれば、食べるものやお金を分け与えた。それを心から感謝する子もいれば、体よく利用するだけの子もいた。反応がどうあれ、人の役に立てたのなら、それで良かった。

 一月前、ミカは地元の孤児院の前に捨てられ、母とはそれきり生き別れた。男のところに行くから、あんたが邪魔なの。それが最後の言葉だった。

 仕方がない、と妙に悟った気持ちなのが、ミカ自身不思議だった。いつかこうなるという予感があったからかも知れない。あるいは、唯一の家族ながら、繋がりをほとんど感じなかったからかも知れない。

 孤児院はミカを快く迎えてくれたが、それには裏があった。周りの子の名前を覚え、少しずつ生活に慣れてきたと思ったら、突然、夜更けに見知らぬ男達が現れ、子供達を叩き起こすや否や、がなりながら追い立て、二頭立ての馬車の檻に放り込んだのだ。

 突然、馬車が停まった。覆いが外され、檻の鍵が開けられると、一人の少女が背中を突かれて転がり込んできた。歳はミカと同じくらい、短い栗色の髪の毛と、きれいなすみれ色の瞳をしている。くっきりとした上がり気味の眉が、勝気そうな印象を与えた。

 少女は子供達の足と足の間で、なんとか立ち上がった。しかし、居場所を確保できず途方に暮れてしまう。その間に、再び檻に鍵が掛けられ、元のように外の景色が見えなくなった。

 馬車が動き出すと、少女は色褪せたショールを胸元で抑えながら、足を踏ん張った。近くにいる子供は皆、新参者に場所を譲ろうとせず、うつむいて知らない振りをした。

「ここ、座りなよ」

 ミカは少女に声を掛け、隣の子に体を押し付けて強引に場所を空けた。

 少女は不安げな表情を和らげると、子供達の足を踏まないよう慎重に移動して、ミカの隣へ腰掛けた。

「ありがとう」

 少女はミカへ体を寄せながら微笑んだ。

「わたし、カーラ」

「ぼくはミカ」

 自己紹介が、重い空気の檻の中で軽やかに響く。

「ミカはどこから来たの?」

「トスーっていう町から」

「知らない。私はケアドってとこ」

「ぼくも初めて聞く」

「結構、大きいとこだよ。港があるんだ」

「ふうん。見れたらいいのに」

 ミカは、ほとんど光を通さない覆いへ目をやった。

「そのペンダント、きれいだね」

「母さんから貰ったんだ」

 ミカは銀のメダルが付いたペンダントを握りしめた。孤児院に入れられる前に、首に掛けてもらった。罪滅ぼしのつもりだったのか、あるいはただの気まぐれだったのか、答えが分かることは、一生ないだろう。

「いいなあ、わたし、そんなの貰ったことないよ」

「ぼくも初めてだよ。そして最後」

「ごめんね、なんていうか……」

「気にしないで」

「どうしてここに? まさか、お母さんが?」

「ううん。孤児院に引き取られて、そこで売られたんだ」

「孤児院が?」

「ぼくも驚いた」

 ミカは淡々と答えた。

「わたしは、姉さんに売られたんだ」

 カーラは膝の上で組み合わせた手を見つめながら、身の上話を語った。

「父さんと母さんが死んで、一番上の姉さんの家族に引き取られたんだけど、わたしに食べさせる物なんてない、ってずっと邪魔者扱いされて、それで」

「お互い、戻るところがないんだね」

 ミカは周りを見渡した。恐らく、皆似たような境遇に違いない。いなくなっても、気に留められない存在。人買いにとっては、うってつけだ。

「ところでこの馬車、どこへ行くの?」

 カーラは眉をひそめて言った。

「分からない」

 ミカは首を横に振った。

「訊いちゃだめだよ」

「どうして?」

 ミカは檻の奥でうずくまる、顔が腫れ上がった子供に顔を向けた。檻に入れられる前にカーラと同じ質問をして、散々殴られたのだ。わざわざ覆いを外して、先に檻にいた子供達に見せ付けるようにして。

「どっちみち、ろくなものじゃなさそうだね」

 カーラがため息を吐いた。

「きっとね」

 ミカも同意する。わざわざ、身寄りのない子を狩り集めるくらいだから、誰もやりたがらない仕事をさせるに違いない。

「静かにしろ」

 ミカとカーラの斜向かいに座る十三、四の赤毛の少年が、上目遣いで睨み付けてきた。二人は顔を見合わせると、沈黙をした。

 寂しさを紛らすために、ミカはカーラと手を繋いだ。手の平から伝わる温もりが、心地良かった。

 馬車はカーラを乗せた後も何度か停まり、その都度子供が追加された。ミカがいる檻は満杯だったので、他へ入れられた。

 いい加減腹が空いた頃、覆いが外され、人買いが鉄格子の間からパンを投げ込んだ。子供達は争って取り合った。当然ながら年上の子が有利で、年下の子はせっかく手に入れても、口に入れる前に力ずくで奪われた。

 運良く空中で掴み取ったカーラは、すぐに懐に入れ、周りから伸びる手を防いだ。

「一緒に食べよう」

 パン屑一つ手に入れられなかったミカへ、カーラは半分与えた。

「いいの?」

「早く」

 カーラはパンを口に突っ込みながら、モゴモゴと言った。

 ミカは分け前を受け取ると、覆いかぶさるようにして食べた。腹に収めてしまえば、もう取られる心配はない。

 硬くて、味もしなくて、その上全然足りなかったが、それでもミカは食べられただけ幸せだった。見回せば、パンに有り付けず、気落ちしている子が少なからずいた。

「次は、ぼくが取るから」

 ミカはカーラにそう約束した。残念ながら、その後食べ物が与えられる機会は、二度となかった。

 道が悪いところへ入ったのだろう、檻が左右に揺れるようになった。時が経てば経つほど揺れは激しくなる。

 やがて馬車が停まると、覆いが外され、檻の鍵が開けられた。人買いが皮の鞭を振るって、子供達に出るよう急かす。

 久しぶりに地面へ降り立ったミカが見たのは、鬱蒼とした木々が生い茂る森と、数百人規模を収容できる城砦の跡地、そして、異形の魔物達だった。

 人間に動物や昆虫を掛け合わせたような姿の者、全身が石でできた巨体、老人の顔に獅子の胴、大コウモリの羽根にサソリの尾を持つ者、ほとんどの子は魔物の存在を耳にしても、遭遇するのは初めてに違いない。衝撃の強さは想像に難くなかった。

 中でも一番奥に控える魔物は、別格の気配を漂わせていた。背が高く、ミカの倍近くあった。全身が黒色で、額から二本の鋭い角が伸びている。表皮は鎧のように硬そうで、その上光沢を放っていた。赤く底光りする目で子供達を眺め回し、近くにいる蜂の顔をした魔物に何かを囁いている。

 どうして、人間が魔物と繋がっているんだろう。ミカはすくみあがりながら、当然の疑問を抱いた。幼い子供には、人買いが魔物の組織と結託して、子供を斡旋している事情など、知る由もなかった。

 二本足で歩く蜥蜴型の魔物が進み出て、人買いの中で一番歳のいった男に代金が入った革袋を渡した。男は額が間違っていないか三度確認をしてから、またよろしく、と所々抜けた黄色い歯を見せて笑い、元来た道を引き返していった。

 残された子供達は城砦の内部へ引っ立てられた。子供達は泣き喚いたりせず、大人しく従った。無論、落ち着いていたわけではない。恐ろしさのあまり、感情が凍り付いてしまったのだ。

 子供達は噴水のある中庭へ連れてこられた。敷き詰められた石畳の間からは雑草が伸び、縁が欠けた水盤は苔でびっしりと覆われていた。

 ミカは石畳が赤黒く汚れているのに気が付いた。その意味は、すぐに身をもって知る。

 猪顔の魔物が汚れた水差しを持って来ると、子供達の口へ、黒色のネバつく液体を次々に注いでいった。抗おうとする子供は、顔が後ろへ向くくらい頬を叩かれて、無理やり飲まされた。

 ミカは抵抗する間もなく、液体を飲まされた。途端、胃が焼けるように痛みだした。それはやがて全身に広がり、立っているのもままならず、その場に倒れた。

 百人前後の子供達が中庭でうめき、泣き、全身を痙攣させ、絶対に届かない救いを求めた。半数以上は体が受け付けず、多量の血を吐いたり、全身を掻きむしったりして、すぐに息絶えた。ミカとカーラのおしゃべりを遮り、年下の子からパンを分捕った赤毛の少年も、その中にいた。

 息を引き取った子供達は、魔物達が用意していた荷車に放り込まれ、速やかにどこかへ運ばれていった。

「ミカ」

 石畳に転がりながら、カーラはミカの服を握り締めた。

 ミカもまた、カーラの方へ体を傾け、彼女のショールを掴む。涙で霞む目で周りを見ると、黒色の魔物が遠くから様子を伺っていた。

 中庭に放置されて二日が経つと、ようやくミカの全身から痛みが薄らいだ。苦しみと空腹に耐え抜いたせいで、体力は底を突いていた。

「カーラ」

 上体を起こしたミカは、目を閉じて横たわるカーラへ、恐る恐る声を掛けた。まさか、死んでしまったのだろうか。よく見ると、彼女の肩が上下している。どうやら、眠っているだけらしい。

 周囲にはまだ苦しんでいる子がいた。中には、膝を抱えて何かを呟きながら、体を揺らす子もいる。沢山いた子供達で生き残っているのは、わずか十人程度だった。

 ミカに助かったという喜びはなかった。これで終わるはずがなかったからだ。それどころか、始まりに過ぎないだろう。

 ミカがぼんやりしていると、猪顔の魔物が近づいてきて、ベルトに下げた皮袋から、緑色の薬を取り出してミカへ寄越した。

「飲め」

 猪顔の魔物は、舌っ足らずな調子で言った。

「これは?」

 受け取りながら、ミカが尋ねた。魔物に勧められた薬など、進んで口にしたくない。

「安定剤。血が暴れる、抑える」

「血って?」

「お前、飲んだ」

「あれは血なの? 何の?」

 ミカは喉を抑えた。吐き出そうとしても、既に遅い。

「黙れ。三日に一回。飲む嫌がる、死ぬ」

「そんな……」

「早く」

 死ぬ、と言われては応じるしかない。ミカは安定剤を口に入れた。とても苦く、青臭さが鼻についた。

「食え」

 猪顔の魔物は、手に持っていた麻袋をミカへ押し付ける。開けてみると、パンとチーズとりんご、それに皮の水筒が入っていた。

 匂いに誘われたのか、カーラが目を覚ました。

「カーラ、だいじょうぶ?」

「うん。ミカは?」

 半身を起こしながら、カーラが言った。寝起きのせいだろう、呂律が回らない。

「ぼくもだいじょうぶ。これ、食べていいんだって」

「本当に?」

「先に飲む。断るダメ」

 猪顔の魔物は、カーラにも薬を手渡した。

「なんの薬?」

 カーラは手の平で薬を転がしながら、胡散臭そうな顔をする。

「安定剤って言ってる」

「安定剤って?」

「ぼく達が飲まされたのは、何かの血なんだって。それが体によくないみたいで、薬がないと死んじゃうんだ」

 自分の代わりに説明をしてもらえて満足なのか、猪顔の魔物が繰り返しうなずく。

「そんな……」

 カーラは両手で口を抑えた。

「一体、何がしたいの」

 批難の眼差しで、カーラは猪顔の魔物へ訴えた。

「強い奴、作る」

「作ってどうするの」

「うるさい。飲む」

 猪顔の魔物はカーラを蹴飛ばした。

「痛い! なにするのよ」

「飲む」

 猪顔の魔物は、抗議するカーラをなおも蹴り続けた。

「分かったから、やめて」

 カーラは猪顔の魔物のブーツを、手で叩いた。

「苦い」

 渋々薬を飲み干したカーラは、正直な感想を口にした。

「食べようか」

 ミカはカーラと、もらった食べ物を分け合った。口にした途端、手が止まらずがつがつと貪る。

「来い」

 猪顔の魔物は空の麻袋をもらい受けると、のしのしと歩き出した。二人は、彼の後に従った。

「他の子は?」

「知らん」

 猪顔の魔物は、カーラの問いに無愛想に答えた。

 ミカとカーラは城塞の離れにある建物へ入った。そこは薄暗く、汗や糞尿の匂いが漂う不潔な独房棟だった。仕切りは狭く、両腕を伸ばしたら、壁に手が付いてしまいそうだ。

 鉄格子の向こうにいる子供達は、ある者は床でうめき、またある者は暗い表情で新参者を見つめていた。ミカとカーラは通路を挟んで向かい合う房へ入れられ、鍵を掛けられた。中は排泄用のタライと、汚れた毛布、作り付けの硬いベッドがあるだけだった。

「どうしてこんなところへ入れるの?」

 鉄格子越しに、ミカは猪顔の魔物へ訊いた。

「逃げる。暴れる」

「ここで何をするの?」

「後二回」

「え?」

「後二回」

 猪顔の魔物は、一方的にそう言い捨てて立ち去った。

「後二回、だって」

 鉄格子を握り締めながら、カーラは顔いっぱいに嫌悪感を表した。

「強い奴を作る、ってなんだろう」

「生き残ったら、教えてくれるのかな」

 カーラはベッドの端に腰掛けて膝を抱えた。

「後二回、か」

「耐えるしかないね」

 ミカはベッドに横たわった。鼻をつく汗の臭いに、思わず起き上がる。

 半日ほど経った頃、灰色のローブを着たカマキリ顔の魔物が、件の猪顔の魔物と共にやって来た。彼は手にした羊皮紙の書類に目を通しながら、鉄格子を指し示していく。

 猪顔の魔物は該当する牢屋の鍵を開けると、片手で子供を押さえ付けた。そして、反対側の手に携えていた水差しを子供の口にあてがい、中に入った黒い液体を注ぎ込む。

 ミカとカーラも、カマキリ顔の魔物に目を付けられた。彼は端から受け入れる気でいた。抵抗して痛めつけられるくらいなら、その方がましだ。

 初めて飲んだときと同じく体が焼けるように痛み、立っていられなくなり、悪臭がする石畳の上でもがき苦しんだ。

「ミカ」

 カーラが口の端から一筋黒い血を垂らしながら、石畳を這って鉄格子へ近づいた。

「生きてる?」

「なんとか」

 話すのも億劫だが、ミカは鉄格子まで腹這いで辿り着くと、通路へ手を伸ばした。

 カーラもまた真似をするが、二人の手は、指先すら付かなかった。

「頑張ってね」

 ミカは手を引っ込めると、弱々しく笑みを浮かべてカーラを励ました。

 魔物は子供達をほとんど放置していた。彼らが牢屋にやって来るのは、日に二度食事を運んで来る時、子供達の排泄物を入れた容器を集める時、冷たくなった子供を運び出す時だけだった。

「ミカ、食べないの」

 カーラは石畳に横たわったまま、パンを細かくちぎって口に入れながら尋ねた。

「食べたくない」

 ミカは膝を丸め、胎児のような姿勢で、目の前にある野菜クズの入ったスープと、硬そうなパンが乗った木のトレイから顔を背けた。口にしたら、戻してしまいそうだ。

「だめだよ、食べなきゃ」

「だけど……」

「体力なくなっちゃうよ」

「うん……」

 本当は嫌だが、カーラの言う通りだ。ミカは何も考えず、腹に入れた。

 ミカはカーラとお互いの名前を呼んでは、日々無事を確かめ合った。そうする度に、一時だけ辛さが薄らいだ。

 数日経つと、ミカの体から痛みが引いた。カーラも鉄格子の向こうで、やつれた笑みを浮かべていた。

「ミカ、髪の毛の色が薄くなったね」

「本当?」

 ミカは自分の髪の毛を撫でた。鏡がないので、自分では分からない。

「わたしはどう?」

「カーラもだね」

 栗色だった髪の毛は色素が抜けて白っぽくなり、すみれ色の瞳は赤味を帯びていた。

「血のせいかな」

 カーラはしかめっ面をして髪の毛を摘んだ。

「後一回、か。考えると暗くなるから止そう。ね、ミカはここを出たら何がしたい?」

「さあ……」

 ミカは言い淀んだ。魔物達がウヨウヨいるこの施設から、どうやって脱出できるというのだろう。

「わたし、お風呂に入りたいな」

 ああ、そういう意味か。ミカは自分の誤解に気付く。

「ぼく達、臭いものね」

 ミカはカーラと共に吹き出した。ひどい状況を笑い飛ばせる余裕が、自分にあるのが嬉しかった。

 体調が戻った翌日、ミカとカーラはまた黒い液体を飲まされた。前回、前々回同様、石畳でのたうち回る。

「ミカ、返事して」

 かすれた声でカーラが問いかけた。

「ミカ?」

「……」

 ミカは答える代わりに、鉄格子を手のひらで力なく叩いた。全身の痛みと吐き気で、口を開くのも億劫だったからだ。

「……分かった」

 カーラも同じなのだろう、それ以上話しかけてこなかった。

 二人が苦しんでいる間に、息絶えた子が独房から運び出され、また新しい子が代わりに入れられた。

 数日が経ち、ミカとカーラは試練を乗り越えた。二人で鉄格子越しに喜び合い、そして変わり果てた姿に目を見張る。

「ミカ、髪の毛真っ白だよ」

「カーラもだ」

「目も真っ赤。兎みたい。わたしもかな」

「そうだね」

 垢まみれでよく分からないが、肌が以前より青白くなった気がする。

「わたし達、これからどうなるんだろう」

「分からない。けど……」

 ミカは一度下を向いてから、カーラを見つめて言った。

「ぼく達が、望まない方へ行くと思う」

 ミカとカーラは程なくして、カマキリ顔の魔物に外へ連れ出された。薄暗いところに慣れていたので、曇り空の下でも眩しく感じる。途中で二人は名前を訊かれ、彼が手にする羊皮紙に番号と共に記載された。

 着いた先は、最初に血を飲まされた中庭だった。二人と同じく白髪赤眼になった子供達が、二列に並ばされていた。彼らの前には、黒いローブ姿をした、昆虫顔の魔物達が立っている。

 ミカとカーラが後列の端に並ぶと、カマキリ顔の魔物が、子供達全員の番号と名前を紹介した。それが終わると、黒いローブの魔物達が、順繰りに前へ出て来て子供達を選び始めた。隅々まで眺め、手足を触り、気に入った者を何人か引き抜いて、速やかにどこかへ消えていく。

 ミカとカーラは魔物達のお気に召さなかったらしく、誰からも選ばれなかった。

「済みません、こいつらをまとめて引き取ってもらえますか」

 カマキリ顔の魔物が、最後まで残っていた、蜂の顔をした魔物へ呼び掛けた。

「……分かっていますよ」

 蜂の顔をした魔物が、ため息まじりに二人へ近づいていく。

「まったく、くじ運の悪さを呪いたくなりますよ。なんですか、この子達は。すぐに死にそうじゃないですか」

 二人を目の前にして、蜂の顔をした魔物が不平不満を並べ立てた。

「あの、質問、いいですか」

「いいですよ。その前に、臭い体を洗いましょうか」

 そう言って蜂の顔をした魔物は、ミカの顔の前で手を煽いだ。

「ああそうだ、自己紹介がまだでしたね。私はアピス。あなた達の調教師です。今後は、私の指示に絶対に従うこと。でも、だって、嫌だ、できない、は許しません。分かりましたね」

 アピスはミカの顔の前で立てた指を振った。

「返事は?」

「分かりました」

「よろしい。来なさい」

 アピスは、二人を井戸のある場所まで案内した。石畳が濡れているのは、二人より先に選ばれた子達が使ったからだろう。

「体はあれで洗いなさい」

 彼は井戸の隅にある、灰が盛られた桶とボロ雑巾を指差した。

「私が戻るまでに、きれいにするのですよ」

 そう言い残すと、アピスはその場を立ち去った。

 二人は服を脱ぐと、井戸から冷たい水を汲み上げて頭から被り、灰で全身をこすった。脂でべったりとした髪の毛が柔らかさを取り戻し、積み重なった垢で黒ずんだ体がきれいになる。

 ミカは自分の肌の変わりように目を見張った。まるで、死人のように白く透き通っていて、網目のような血管がはっきりと分かる。

「これを着なさい」

 戻って来たアピスは、体が冷え切って身震いする二人に、替えの下着と服と革靴を渡した。どれも、使用感があるものばかりだ。あるいは、亡くなった子供達のものを剥ぎ取ったのかもしれない。

 ミカは余計な詮索をせず、それらを受け取った。元の服は汚くなり過ぎて、改めて袖を通す気にならなかったからだ。カーラも同じ気持ちらしく、素直に着替えた。

「お腹が空いているでしょう? 話は食堂でしましょうか」

 アピスはそう言って歩き出した。二人は彼の後をちょこちょこと付いていく。

「やあ、スース君、この子達に食事を用意してください」

 アピスは、五、六人は座れるテーブルが等間隔に並んだ食堂へ二人を連れて行くと、厨房の豚顔の魔物へ挨拶をし、食事を頼んだ。

 パンに豆と青菜の入ったスープ、おまけに野兎の焼肉まである。二人は出された途端、夢中で頬張った。

 食事が美味しいと感じたのは、いつ以来だろう。ミカは手を休めずに思った。

「小さな体でよく食べますね」

 アピスは呆れながら、スースが後から持ってきたりんごを、二人の前にそれぞれ置いた。それも、瞬く間に二人の胃袋に消える。

「落ち着きましたか」

 食べ終えた二人に、アピスが話し掛けた。

「……」

 ミカはカーラと顔を見合わせた。まだ食べられる。

「いいでしょう、スース君、二人にお代わりをください」

 アピスは呆れ口調でスースへ手を挙げた。

「さて、もういいですね」

 お代わりもきれいに平らげ、ようやく満足した二人に、アピスが再び切り出す。

「質問があるならどうぞ」

「ここはどこなの」

 先にカーラが口を開いた。

「イマーゴの飼育場です。それも、メラン一族直下のね」

「イマーゴ? メラン?」

 カーラは聞き慣れない単語に首を傾げる。

「世界には、人間を含む様々な種族を束ね、共存共栄を図っている組織があります。一つは我々イマーゴ、もう一つは敵対関係にある、ナハル・ニヴです」

「どうして敵対しているの?」

「カーラさんの疑問はもっともです。彼らには彼ら独自の正義があり、それは我々と相入れないのです。正義が幾つもあるなんて妙な話ですが、世の中とは、複雑なのですよ」

 分かるような、分からないような。ミカは煙に巻かれたような気がした。

「メランっていうのは?」

「メラン一族というのは、イマーゴを創設した方々です。力も桁外れで、恐らくあらゆる種族の中で、頂点に位置するでしょう。ちなみに、ナハル・ニヴの創設者は、レウコン一族と言います」

「わたし、会ったことある?」

「ここへ連れて来られた時、お見かけしませんでしたか。真っ黒い鎧のような姿の方を」

「うん、覚えてる」

 ミカも忘れていなかった。やはり、ただ物ではなかったのだ。

「それで、魔物のお仕事とわたし達と、どんな関係があるの?」

「二つの組織は長年に渡り支配地域を巡って、数限りない殺し合いを演じてきました。次第に消耗戦に疲れ果て、お互いが傷付かずに棲み分けられるいい方法はないだろうか、と考えるようになりました。そして、何十回と議論を重ねた末に、世界を五つの区に分け、さらに区の中を複数の地域に分割し、各地を双方が代理を立てて戦い、勝利したほうが四年間統べる、という規則で合意しました」

「負けた方は、出ていかないといけないんだ」

 カーラの問いに、アピスは首を横に振った。

「いいえ、それでは色々面倒なので、敗者は勝者に支配地の利益の十分の三を提供する、という取り決めで落ち着きました」

「それは厳しいね」

「厳しいですとも。その間に、支部が干上がってしまう場合もあります」 

「わたし達のいるここは何区?」

「第三区です。今度、地図を見せてあげましょう」

「代理っていうのが、ぼく達なんだね」

「ご名答。組織の者から代理を選び出すとなると、どうしても、怪我をする者や死者が出てしまう。そこで、人間を使おうと考え付いたのです。人間も、犬や鶏を戦わせて賭けをするでしょう? あれと同じです」

「どうして人間じゃなきゃいけないの。魔物だっているじゃない」

 カーラは眉を寄せて言った。

「他の種族は数が少ない上に、仲間意識が強い。肉体的には他の種族に比べて劣るものの、知恵の発達した人間が、世界で一番繁栄していて数が多い。その上、他の種族に比べて仲間意識が薄く、捨て子が沢山いる。彼らを利用すれば、どこからも文句が来ないというのが、主な理由です」

「普通に、強い人を選んだらいいのに」

「最初はそうしていたのですよ。ですが、双方とも、より強くを追求するようになり、ただ鍛え抜いただけの人間では、満足できなくなったのです。そこで、イマーゴは我々の血を人間に飲ませて、体を強化する方法を考え付きました。それならば、体が出来上がった大人である必要はありません。子供なら、無駄に知恵を付けていないので、扱いやすいですしね」

 アピスはそれがさも素晴らしい話であるかの如く、両腕を広げて天を仰いだ。

「そういうことだったんだ」

 カーラは渋い顔をしながら呟いた。

「あなた方が飲んだ血は、人間に適するよう様々な種族のものを配合しています。しかしながら、あなた方は脆弱なので、それでも受け付けない者がいます。せっかく生き延びても、精神に異常をきたして使えなくなる者もいますしね。それは、あなた方が見てきた通りです。人間がどれほど鍛えようと、到達し得ない力を備えられる反面、副作用として我々の血が人間の体を蝕むという問題も生じました。そのため、あなた方には定期的に抑制剤を飲んでもらいます。これには、あなた方が我々の組織から逃れられないという、枷としての効果もあり、まことに一挙両得です」

 ミカはアピスの説明を聞いて、気分が悪くなった。自分達はただの道具であり、今後、なんの恨みもない相手と、戦わなくてはいけないのだ。

「もしも、ナハル・ニヴの代理と戦って負けたらどうなるの」

「死、あるのみです。引き分けなどという、生温い幕引きはありません」

 アピスはカーラへ肩をすくめてみせた。

「そんなの酷すぎるよ」

「ならば、強くなりなさい。大変なのはあなた達だけではありません。区の統括者は統括者なりに、地域の責任者は地域の責任者なりに、そして我々下っ端は下っ端なりに、それぞれ分相応の荷を負っているのですよ」

 アピスはわざとらしく首を振って、嘆いて見せた。

「メラン一族直下の飼育場は、特に結果を求められます。出世は早いですし、お給金も悪くありませんから、文句は言えませんが……」

 後半は説明というよりぼやきに近かった。

「あなた達には期待していますよ。私のために、頑張ってくださいね」

 ミカはカーラと顔を見合わせた。まったく、理不尽な言い草だった。

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