第1章 花屋敷の呪い児2

 今日も今日とて日銭を稼ぐため――有象無象の人波を掻き分けながら、俺はとある場所を目指していた。錆び色で斑色になった不安定な道を慣れた様子で歩きつつ、ガチャガチャと蟲の声のような喧騒の街を歩く。

「あっ、狗(ゴウ)じゃない。おはよ」

 突然、頭上から投げ落とされる声があった。

 歩いていた足を止め、声がしたほうを見上げるとそこには一人の少女がいた。

 丈の短い衣服に、癖のある茶色い髪を結い上げ一つに束ねているその少女は、俺の幼馴染みだ。

「なんだ。猫(マオ)じゃねぇか……。お前こそ客引きは終わったのか」

「うん。今は休憩中……、ねぇ、ゴウ。一緒に朝ご飯食べに行かない?」

 ゴウとマオ。

 そう互いに呼び合うのは、俺達の〝名前〟だ。

 低階層に住む俺達は、名前らしい名前がない。付けられた記憶も、親の姿すらもうろ覚えで存在していない。だから、周囲の人間が馴染みのある物事から取って付けた名前を、自分の名前として呼び合っていた。

「飯、か。いいぜ、まだ時間はあるし」

「やったぁ!」

 俺の答えに、嬉しそうに声をあげたマオは、そのまま外階段をスルスルと降りてくると俺に抱きついてきた。

「ちょ……、おい、離れろよ。歩きにくいだろ」

「やぁだ。ゴウの腕、掴まりやすいんだもの」

「……ったく、転ぶなよ」

「はーい」

 マオは甘えたがりだ。

 妹のようにも思える幼馴染みのマオは今、娼館で客引きをする形で生計をたてている。

 いつか娼館のお姉様方のようになりたいと言っているけれど、マオはマオのままでいてほしいと俺は密かに願っている。

 だってそれは――客を取るということは、マオが誰かのモノになってしまうようで少しだけ嫌だった。

(もしかしたら、寂しいのかもしれないけど……)

 口にしたら、きっとマオに笑われてしまうだろう。

 そんなことを考えながら慣れた道を歩いていると、あっという間に大衆食堂に辿り着いた。

「おやっさん、おはよう」

「おう、ゴウにマオじゃねぇか。いつも一緒で仲いいこったな!」

「へへぇ、でしょ? だって小さい時から一緒だもん。ワタシ達」

「そうだな。……席はご覧の通り埋まってきとるから、早く座れよー」

「うへぇ」

 確かに食堂内はガヤガヤと人でごった返している。そんな中、食堂の隅っこにちょこんと置かれた一席を見つけると、マオは足早に飛んでいき我が物顔で陣取った。

「相変わらず、目敏いというか目が利くというか……」

 その早さに呆れと感心の半分半分を抱きつつ、

「ねぇ、ゴウ。朝ご飯何にする?」

「あー……それじゃあ、いつもの肉粥」

「じゃあワタシもいつものにしよ。店長さーん、肉粥と甜豆漿くださーい!」

「肉粥と甜豆漿だな、待ってろ!」

 朝から威勢よく声を張り上げるおやっさん。

「はー、朝からゴウに会えてよかったぁ。最近会えてなかったから心配してたんだ」

「そりゃ俺だって。会えるもんならマオと会いたかったさ」

「そ、そう……?」

「当たり前だろ。俺にとっちゃ、妹みたいなモンなんだから」

「そ、そういう意味ね……。そっかぁ……」

「……? なんだよ」

「……別にぃ」

 どこか落ち込んだ様子のマオの様子に、小首を傾げる。

 そんなこんなで――頼んだ食事が出てくるまでの間、マオと世間話をするのがいつものこと。

 たわいのないやり取りをしていると、できたての温かな食事がドンと机に置かれ、女将さんが忙しそうに去っていった。

「女将さん、忙しそうだなぁ」

「まあでも、繁盛してるのはいいことじゃない?」

 肉粥を口に運び咀嚼する。一方、マオは猫舌なこともあって甜豆漿を一口掬っては吹き冷まし恐る恐る口をつけると『美味しい』と幸せそうな笑みを浮かべた。

「んー、やっぱり此処のは絶品♪」

「だな。昔っから食べ慣れてるってのもあるけど」

「だね。よくお腹空かしてた時、こっそり裏で食べさせてくれたもんね」

 それは二人だけの秘密だ。小声で昔話に花を咲かせていたが、言葉が次第に途切れ、やがてマオは黙り込んだ。気づけば甜豆漿を掬う匙の手すら止まっていた。

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