百合百景。

佐野

一 イケレズがホテルに女を連れ込んだ瞬間、巨大怪獣が現れて東京がボコボコになる話

 可愛らしい子だった。

 竹中香。

 山梨県出身。東京の短大を卒業し、そのまま就職。私の会社に新入社員として入ってきた。

 髪は黒。黒無地のスーツに真っ白のシャツと、長すぎず、短すぎないスカート。お手本のような格好で入社式を迎え、私と同じ第一営業部に配属。

「はじめまして!竹中香と申します!よろしくお願い致します!!」

 緊張していたのか、やや早口の自己紹介。オフィスにパラパラと拍手の音がする。私も周りに合わせて手を叩きながら思った。

 この子はベッドでどんな声をあげるのだろう。

 顔立ちは少し幼く、背も私より低い。なんとなくだが、経験は少なそうに見える。今まで抱いてきた「良い女」達とは少し違う印象だが、それがかえって私の好奇心をくすぐった。私があの体に触れたら、あの子はどんな反応をするのだろうか。

 入社歴三年の25歳、会社の中では年が比較的近いという理由から私は彼女の教育係に任命された。こうなったらあとは簡単だ。毎日話をし、徐々に信頼を得て、十分仲良くなったら適当なタイミングで……。何度もやってきたことだから、迷ったり困ったりすることはない。

 意外なことに香は要領が良く、すぐに仕事を覚えてできるようになった。社内でも取引先でも愛想がよく、そして初々しい「頑張っている新人」というキャラを確立した香は周囲からよく褒められたが、その度に決まって「先輩に教えていただいたおかげです!」と言っていた。謙遜か本心かはわからないが、このセリフを聞くたび、私は少し良い気分になった。


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「じゃ、お疲れ様」

「お疲れ様です!」

グラスが軽く触れる音が響く。そこそこ度のきついワインのはずだが、香は半分ほど一気に飲んでグラスを置いた。酒に強いのか、それともただ飲み慣れていないから加減がわからないのか。

 香が入社して一ヶ月がたったある日、部署の飲み会終わりに声をかけると、香は目をキラキラさせながら「いいんですか!」と言ってついてきた。行きつけのホテルが近くにあるバーへ香を誘い込み、ワインは詳しいと言って度の強いものを頼み、一緒に飲ませる。

 こんなにもスラスラと思い通りにうまくいったのは初めてだ。順調、というべきだろうか。


「先輩は、あの、恋人とかいるんですか?」

飲み始めてから一時間ほど経ち、少し顔を赤くした香が聞いてきた。

「なあに急に」

「いや、ちょっと気になって……」

突然の質問に驚きはしたが、後々のことを考えるとこういう雰囲気になるのは悪くない。

「今はいないわね。それどころじゃないわ」

「昔はいたんですか?」

「……ええ」

抱いた人間はたくさんいるが、はっきり恋人と呼べる関係の人は一人だけ。

 二十歳のとき、初めて告白された。紗枝という、可愛らしい女の子だった。

 はじめは二人で色々な場所へ行った。水族館や遊園地など、定番のデートスポットへ。紗枝が私のことを好きなのはひしひしと伝わってきた。私がして欲しいといったことは全部してくれたから。私も紗枝と一緒にいるのは楽しかった。

 けれども一度体を合わせてしまえば……それを知ってしまってからは、他のことは全て馬鹿らしくなってしまった。会えばすぐに体を求める私にはじめは紗枝も付き合ってくれた。けれどあまりに長くそれが続いたため、さすがに紗枝もだんだんと不満を口にするようになった。もっと話がしたいとか、他の過ごし方をしたいとか。

 けれど、何より大きな問題は行為のやり方だった。

 私は紗枝にほとんど触れさせなかった。いつも私が紗枝に触れて、私が紗枝を愛でる。紗枝が「したかった」のもわかっていたし、それとなく、時にははっきり口に出して私に伝えてくることはあった。けれど、私はそのたびに話をすり替え、無視し続けた。自分より弱い女に抱かれるなんてゴメンだった。

 結局どれだけ感情が大きくても一方だけが無理する関係は続かない。紗枝との別れ際に言われた言葉は今でも覚えている。

「私じゃなくて、私の体が好きなんでしょ」

私は否定も肯定もできなかった。


「あまり思い出したくないこともあるわね」

これ以上深く聞かれないよう、釘を指す。香はそれを察したのか、その後に恋人の話を聞いてくることはなかった。意外に賢い子だ。


 店を出たとき、香の足取りはフラフラだった。もちろん、そうなるように私が仕向けたのだが。女同士で警戒心が薄かったのもあるだろうが、思った以上に香が潰れるのは早かった。

「ちょっとそこのホテルで休んでいきましょうか」

「はい……すいません迷惑かけて」

香がハンカチで口を抑えながら言う。私が指さした場所がラブホテルであることには気づいていただろうか。


部屋に入ってしまえばそこからは簡単だ。ベッドに寝かせ、苦しくないようなんていいながら服のボタンを一つ一つ外していく。はだけたシャツの下に下着が顕になる。

「……先輩も苦しくないですか」

半分寝ているような香がうわ言のように呟きながら、私の服のボタンに手をかけた。

「私は酔ってないから、大丈夫よ」

そう言って手首を掴み、ゆっくり下ろす。

その状態で見つめ合い、2秒。

顔を近づけて、キス。


轟音。


部屋全体が激しく揺れ、ベッド際にあったランプが落ちた。

「地震!?」

私がそう言った瞬間にテレビがついた。香がそばにあったリモコンで電源を入れたようだ。

 ヘリで東京を空撮している映像には、ビルよりも巨大な黒い生き物が映っていた。テロップには「巨大生物、東京に出現」の文字がある。左上には「※生中継 この映像はフィクションではありません」とも書いていた。

 ゴツゴツとした巨体が、二本の太い足で立っている。上半身には短い手、そして背中には体のラインに沿って突起のようなもの。小さい頃、兄とともに見ていた映画の怪獣が、テレビの中に、現実に存在していた。

その巨大生物が、足を上げ、一歩前に出す。


また、轟音。


「先輩、早く来てください」

いつの間にか服のボタンを留め直した香が、ベッドを降り、私の手を取って引っ張る。そのままドアを開けて部屋を出ると、同じように避難しようとしている他の部屋の人々が、半裸で廊下に出ていた。


轟音。


揺れで二人共少しバランスを崩したが、立っていられないほどではない。香がまた私の手を取りながら早足で非常階段を降りる。


 外は酷い光景だった。

 遠くにまるで山のような巨大怪獣、そしてそれが歩いてきたであろう道ではあちこちで黒い煙が立っていた。見える範囲だけでも車がいくつも追突し、人々は悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。

 しかしそんな状況でもなぜか香は冷静だった。じっと巨大怪獣を見つめ、「まだ遠いな……」などと呟いている。

「竹中さん、あの」

「すいません、少しだけ考えさせてください」

私がかけた声は途中で遮られた。怖がる様子もなく怪獣を見上げながらぶつぶつと独り言をつぶやいている。本当にこの子は先程までワインで潰れていた香だろうか。

「やっぱりしょうがないかな……」

香がそう呟いた次の瞬間、突如街全体が白い光に包まれた。思わず目を覆う。

直後に光が消えたのを感じ、ゆっくりと目を開けた。


巨大怪獣に向かって、巨大な人間がファイティングポーズで向き合っていた。


「なんだいたのか……」

香が少し安堵したように言った。『いた』……?

「あなた、なにか知ってるの?」

香は私に、取引先にいつも向けている笑顔を張り付けて答える。

「いえ、何も」

巨人は後ろ姿しか見えないがおそらく女性だ。白いシャツにジーパンを履いていて、黒い髪は肩くらいまで伸びている。

 巨人は怪獣の首の部分を抱え、そのまま後ろに向かって体ごと投げ飛ばした。怪獣が地面に倒れると同時にまた地面が揺れる。巨人が膝の汚れを払いながら、立ち上がった。

「あれ……紗枝?」

見間違うはずもない。そこに立っていた巨人は間違いなく私の恋人「だった」人だった。

「え? 知り合いなの?」

香がキョトンとした顔で聞いてくる。

「知り合い……」

こんな時までなんと紹介すべきか、などと考えてしまう。

その時突然怪獣が起き上がり、そのまま紗枝に後ろからタックルを食らわせた。思わず地面に倒れ込む紗枝に、怪獣がのしかかる。

「紗枝!!!!」

「あーやばいな」

怪獣の背中の突起が徐々に白く光り始めた。

「紗枝!!! 紗枝!!! 逃げて!!!」

紗枝は気絶しているのか、ぴくりとも動かない。

光は徐々に強くなっていく。わからないけど、きっと良くないことが起こる。

「紗枝!!!!! 動いて!!!! 逃げて!!!!!」

紗枝は動かない。怪獣が紗枝を組み伏したまま、口を開いた。

 刹那、再び白い光が東京を包む。

 私はまた手で顔を覆った。なにか大きな音がするのが聞こえる。光が収まったのを感じ、ゆっくりと目を開ける。


巨大な香が怪獣にドロップキックをかましていた。


怪獣は半回転して倒れ、そのまま空に向かって光線を吐き出した。

香が立ち上がり、指の骨を鳴らしながら舌打ちを一回。

「全く、こっちは一ヶ月ぶりだったのに」

東京中に響き渡る声で香が言った。

香は倒れている怪獣に歩いていく。怪獣も体勢を立て直し、立ち上がった。

 その瞬間香は再びドロップキックを食らわせた。また怪獣が吹っ飛ぶ。一人と一匹分の巨体が東京を大きく揺らす。

 香は倒れ込んだ怪獣にまたがり、後ろから首を絞める。怪獣が苦しそうに呻いている。

「紗枝さーん。チャンスですよー」

香が声をかけると、意識を取り戻した紗枝がゆっくりと立ち上がり、一歩ずつ怪獣に近づく。

「私の大事な人がいる街で……」

紗枝が肘を構える。

「あばれんじゃねえ!!」

そのまま怪獣の顔に思い切り肘を入れた。エルボードロップ。いつ、どこで身につけたのだろう。


 もはや怪獣はピクリとも動かなくかった。

「結構危なかったですね」

「やだやだ、借りができちゃった」

「今日は忙しいんで、また今度返してください」

二人は怪獣を前にそんな話をしている。

 三度目の閃光が走り、二人の巨大な女性は突然姿を消した。


 何が起こったのかまったくわからない。

 が、とりあえず命は助かったようだ。でも紗枝は? 香は? 二人は無事だろうか?

 聞きたいことがたくさんある。スマホを取り出してみるが基地局がだめになったのか、『圏外』のマークが表示されていた。どうしよう、公衆電話なら繋がるだろうか、いや、二人の番号は覚えていない。

 ともかく人の多い場所、駅かどこかへ向かってみようか。そう思って歩きだそうとした時だった。

「紗枝?」

道の向こう側に紗枝がいた。声が聞こえたのか、紗枝もこちらを見て、駆け寄ってきた。

「紗枝!」

紗枝は両手を前に伸ばして走ってくる。私も手を伸ばして受け止められるようにした。

「紗枝!!」

紗枝はそのまま駆け寄ってきて……私の横を駆け抜けた。

振り返ると紗枝は、私の後ろで背の高ーいきれーな女と抱き合っていた。

「あれ、紗枝さんの彼女ですって」

後ろから、香の声。

「彼女?」

「ええ、半年前から。もう~ラブラブぅ~、なんですって」

香はすこし鬱陶しそうに「のろけのろけ」と呟いた。

ラブラブ……。いや、それよりも、

「あの、怪獣は……いや、あなたは……一体何なの?」

聞きたいことがとにかくたくさんあるが、今、一番知りたいのはそこだった。

「あーじゃあ、来週またご飯行きませんか? 今週はたぶん救助やら後処理やらで忙しいんで」

香はこともなげに言う。

「じゃあ、あの怪獣とか、紗枝とか……」

なんなの、と言おうとしたところで人差し指を口に当てられた。

「また・らい・しゅう」

「……わかったわ」

観念して私は答える。香はにっこり笑って指をおろした。

「ご飯の「後」は、私が「上」でいいですよね?」

「後……?」

……ああ、そういうことか。

私はため息を一つついて、答えた。

「いいわよ」

「やった!」

香は嬉しそうにガッツポーズを決めて、煙の上がっている方へ走っていった。

 まあ、怪獣を倒す女になら、抱かれてもいいだろう。

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