第一章 1 廃村

 山の麓の茶屋を出て山道を抜けていると、空がいつしか茜色に変わっていて、黄金色の光が枝の隙間をすり抜けて差してくる。


 王雲秀は木の棒をつきながら、崩れかけた山の石段を一歩一歩上がっていた。汗ばんできた額を手で拭い、足を止めて一息吐く。


 見えてきたのは段になった田畑だ。けれど、すっかり荒れ果てていて、雑草が生い茂るばかりだ。初夏を迎え、本来なら水田には水が張られているはずだが、その様子もない。誰も耕すものがいないのだろう。


 その様子を眺めて、雲秀は眉根を寄せた。もちろん、彼は目指している六嘉村に誰もいないことをすでに知っていた。先に通った街で、その噂はすでに耳にしていたからだ。この先にある六嘉村に辿り着いても、おそらく村には誰もいない。とうに廃村になっているからだ。


 当然、宿もないだろう。雨風をしのげる場所を捜して借りるしかない。そう思うと、気が滅入りそうだった。

「どうした? 雲秀。行かないのか? それとも、山中で野宿したいのか?」


 先をピョンピョンと浮かれたように歩いていた彼の師匠が振り返り、立ち止まったままの雲秀を見て首を傾げる。その姿が無駄に愛らしいのが腹立たしくもあった。知らないものなら、うっかり騙されてしまうだろうが、この童女は何もかもが見た目通りではない。


 玉蘭というのが、彼女が人だった頃の名前だ。彼女は人であって人ではない。その魂の半分は仙に属する。しかも、この見た目で百歳をとうに超えているのだ。


 人ならとっくに墓石の下で永眠しているどころか、輪廻転生し、一、二度人生をやり直している頃だろう。実際の年齢など、彼女自身もう覚えてはいないだろう。覚えていたとしても、あまり意味のないことだ。仙と言えば聞こえもいいが、言ってみれば超ご長寿老婆である。


 しかも、元気一杯で好奇心旺盛。甘味と面白いことがあると聞けば、どこであろうとすっ飛んで行き、首を突っ込もうとするものだから、弟子である雲秀は気苦労が絶えない。


「なんなら、一緒に虎狩りでもするか? 虎の皮はめっぽう高く売れるらしい。その骨は薬材になるしな!」

「……どうやって、虎を狩るんです?」

「もちろん、お前を木に吊し……」

「やっぱり、先を急ぎましょう。虎に遭遇するより、幽霊のほうがまだましだ」

 雲秀は話を遮り、急ぎ足で師匠を追い越す。


「聞いたのはそっちじゃないか」

「どうせそんなことだろうと思いましたよ」

「なんだ、ふてくされたのか? お子様め」

「師匠に比べたら世の中の人間全員、そうでしょうよ」 

 この師匠なら、九十を超えた老人ですら小僧と言ってのけるだろう。妖怪めと、心の中でひっそり思っていると、ゲシッと脚を蹴っ飛ばされた。


「痛たっ!」

「誰が妖怪だ。師匠に対する敬意が足らんぞ」

「人の心を読むのはやめてくださいよ」

「顔に全部出ているからだ。未熟者め」

 玉蘭は「ふふんっ」と、上機嫌に笑っている。


 どうやら、ワクワクしているらしい。その脳天気な性格が羨ましくもあった。正直、雲秀はこの先の六嘉村に向かうのはひどく気が進まなかった。なぜなら、楽しそうなことなど一つもありそうにないからだ。それどころか、耳にしたのはなかなかゾッとするような話だ。


 六嘉村は山の谷間の小さな村で、五十件ばかりの民家があったと言う。村人の数は百人にも満たないだろう。閉鎖された村で、近隣の村との交流もほとんどなかったと聞く。たまに行商人が訪れていたらしい。その行商人の男が半年前に村に立ち寄ると、村の者が全員死に絶えていた。そこから、県の役人が派遣されたりと大騒ぎになったものの、原因も分からず流行病のせいだということになったようだ。


 それ以来、不気味で誰も村に近付かず、廃村になっていると聞く。

 一月ほど前に弔のために一人の僧が村に向かったが、数日後に先ほどの茶店の近くの川に浮かんでいたそうだ。そのため、余計に不気味な噂が広まった。なんにせよ、ひどく縁起の悪い村ではある。正気な者ならちょっと物見遊山に行ってみようなんて考えないだろう。


 雲秀もできるならば、避けて通りたいところではあるが、師匠はこの話を聞いて「それは、なんとも面白そうだ!」と興味をそそられてしまったらしい。すっかり行く気になってしまったのだ。こうなっては、雲秀の言葉なんてまったく聞く耳を持たない。師匠は謎めいた話を聞くと、どうにも原因を解明したくなるのだ。


 おかげで、首を突っ込んだ事件は数知れず。弟子の雲秀はなかなかひどい目に遭わされているのだが、師匠はそのたびに事件を何かしらの解決に導いてきた。本人は『世直し旅』だと得意満面だが、それに付き合わされるほうはなかなか大変なのだ。


 なんて言えば、この師匠のことだ。「誰も付き合ってくれなんて言ってないだろう」と、かわいげのないことを言うに決まっている。まったくその通りではあるが、弟子としてはなかなか危なっかしいこの師匠を放っておくわけにはいかない。


 なにせ、この師匠は実年齢とはともかく姿は童女だ。童女が一人で旅をしていれば問題も起ころうというものだ。そうでなくても人騒がせなのだから、弟子として、師匠が世の中にひどい迷惑をかけないように見張っておく責任と義務がある。

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