幽玄医仙 ~人界を旅する童仙とその弟子~

春森千依

プロローグ  かわったお客


 穏やかな風が吹き抜ける峠の茶店で、青年は頬杖をつきながらいささか呆れたように、向かいに座る童女がパクパクと焼き餅を頬張るのを眺めていた。

 童女の年齢は十一、二歳、青年のほうは十八、九歳というところだろう。二人ともどこからやってきたのか、旅装だ。


 くたびれた服を着ているところを見ると、あまり懐も豊かではないだろう。一見すれば、歳の離れた兄妹に見えるが、容姿はさほど似ていない。

 青年は歳のわりには痩身で卵形の顔は、よく見ればそこそこ整っているものの、精悍さやこの歳頃の青年が本来持つはずの溌剌さに欠けていて、どこか眠たげな雰囲気をまとっていた。


 童女のほうは実に愛らしい顔立ちで、猫を思わせる瞳は嬉しげに輝いている。それも、どうやらお皿に山と盛られている甘い焼き餅のせいだろう。青年が呆れ顔になるのも、わかるというものだ。なにせ、これでおかわり五皿目である。


 長年、この山の麓で茶店を営む老婆は、「まあ、小さいのによく食べること」と心の中でこっそり思いながら、客の様子を眺めていた。さっきから聞こえてくる会話に耳をそばだてていたが、どうやら二人とも山を越えた先にある『六嘉村』に向かうようだ。そして、青年の名前は『雲秀』というらしい。向かいに座る童女の名はわからない。なにせ、青年がずっと彼女のことを、『師匠』と呼んでいるからだ。


「店主、お茶をくれ」

 童女はたらふく焼き餅をお腹に入れて満足したのか、ひょいっと顔を厨房に向けて言う。 

「はいはい、ただいま」

 老婆はそう返事をして、すでに用意していた茶器に沸かしたての湯を注ぎ入れる。

「師匠、いつまでも油を売ってないで、そろそろ行かないと、村に着く前に日が暮れてしまいますよ。何が出るのかわからない山中で、野宿なんて嫌ですよ、僕は」

「飛雲術を使えばあっという間じゃないか」

「そりゃ、師匠はそうでしょうとも。国の端から端だって、一っ飛びだ。けど、私は生憎自分の足でせっせと歩くしかないんです」

「不便なやつだな」

「ええ、そうです。人間ってやつはいつだって不便極まりないんですよ。師匠はもうとっくに忘れてしまっているかもしれませんけどね」 


 青年は皮肉っぽく言って、肩を竦めてみせる。老婆がお盆に載せた茶器を客席に運ぶと、童女は急須をとり、湯飲みに注ぎ入れる。それをクイッと飲み干して、甘くなった口を潤していた。

「では、背負ってやろう」

 童女は湯飲みを卓に戻すと、にんまりと笑う。青年はいささか青くなると、「いいえ、けっこうです!」とブンブンと首を横に振った。


「なぜだ。遠慮することはない」

「師匠の背中に乗って運ばれると、船酔いした時よりひどいことになるからですよ!」

 童女は「そうか?」といささか不本意そうに唇を尖らせる。青年は「そうですよ」とため息を吐いていた。

「では、私は先に行っているから、雲秀は後で追いかけてくればいい」

「いいんですか? 財布を持っているのは僕ですよ?」

 言い返された童女は「ぐぬぬっ」と、言葉に詰まって、恨めしげに青年を見る。それから澄ました表情になり、咳払いを一つした後でスッと手を出した。

「では、大事な財布は私が預かっておこう。雲秀が山中で虎に囓られてもいいように」


「駄目です。師匠に財布を渡すと、全部甘味に変わってしまって、宿代もなくなる。それに、僕が虎に囓られることを前提に話すのはやめてください。縁起でもない……」

「けちんぼめ……っ!」

「なんとでも」

 青年はにんまりして答えると、懐から取り出した財布からお茶と焼き餅の代を取り出し、卓に置く。「ごちそうさま」と、老婆に言って立ち上がると、椅子の横においていた編み笠と荷を取る。


 青年がさっさと行こうとするのを見て、「あっ、こら。待て。雲秀! 師匠の私を置いていくなっ! まだ、焼き餅を全部食べてないんだぞ」と童女もあわてて席を立つ。彼女は残っている皿の焼き餅を急いで紙に包み、懐に押し込むと、荷物を抱えて青年を追いかけていった。


 老女は「かわった客だね」と、皿を片づけながら遠ざかる二人の姿を見送る。それから、「あっ!」と大事なことを言いそびれたことを忘れて声を漏らした。

 二人が向かおうとしている六嘉村には、今、誰も住んでいないということを――。

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