第8話 守りたいもの
「……お疲れ様っす。流石に強いっすね、本気の姫様は」
労いの言葉に体を揺らしながら振り返れば、どこかぎこちない笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくるクロスがいた。
大方、これまでのフラリッタとのギャップによって、距離を測りかねているのだろう。
だから、必要な分は自分の足で稼ぐ。
剣の間合いでも近過ぎる場所。後一歩踏み出せば手が届くというところまで歩いて、フラリッタは緩く握っていた剣を鞘に戻した。
「姫様!?」
剣を手放した途端、ぐらりと体が揺れた。
こうなることがわかっていたから、できるだけ隙間を埋めたとも言える。
額をぶつけ、肩を寄せ、その全体重をクロスに預ける。
「……疲れた」
「…………ほんと、お疲れ様です。姫様」
どこか躊躇いながらもそっと頭に触れた手に、フラリッタは緩い笑みを作るのだった。
**☆**
「おぉ……これはいいな」
フラリッタは空を飛んでいた。
正確には、浮いた結界の上に座っている。
ただクロスの不可侵結界は透明なため、傍から見れば飛んでいるようにしか見えないのだ。
「それで、今は何をやってるんだ?」
「姫様が倒した奴らの回収っすね。これ、このままじゃいつ起きて襲ってくるかもわからないんで」
「一人目は普通の人間の感覚でやったから復活も早いかもしれんが、二人目以降はしばらく動けないと思うぞ?」
「……一応訊きますけど何したんすか?」
「……背骨に損傷を与えた。特に二人目のやつは、医者にでも行かなければ治らんだろうな」
「神経へのダメージってことっすか?」
「そういうのは知らん。ただとりあえず、こう、がっと衝撃を入れるんだ。そうすると大抵、落ちる」
「……武術の達人は違うっすねぇ」
ソファのような形の、しかし感触としては木の椅子みたいに硬い結界の上で、フラリッタはうつ伏せに身を投げ出す。
うだーと腕も伸ばして、顔を嫌そうに顰める。
「……私だって、よくわからないんだよ」
「……」
「ただ、逃げ惑うだけじゃダメだって、もう”普通”の中にいることはできないって、そう思ったら手が勝手に剣を持っていた。そのあとは、やめてくれって言ったのにお前見てただろ。あの通り、全部蹴散らして終わらせた。どうにか殺さないようにだけ気を配ったが、もうあんなのはごめんだな。私が私でなくなる。……いいや、私の中の何かが、終わらせてしまえって叫ぶんだ。あれだけは……もう嫌だ」
剣を握った時、とてつもない高揚感と充足感が全身を支配した。
今ならなんでもできる。どんな気に食わない奴らも蹴散らせる。そういう黒い衝動のようなものが、心の中を渦巻いていたのを覚えている。
飲まれればきっと、我を忘れてローブを真っ赤に染めていたことだろう。
今回はどうにか耐えたが、次にまたあれに襲われて、平静を保てる気はしない。今だって別に、耐えただけで制御できたわけではないのだから。
「その剣、確か作ったのお姉さんでしたっけ」
「ん?」
クロスがよくわからない質問をしてきた。
とりあえず記憶を漁ってみるが、やはりめぼしい情報は出てこない。
それでもなんとなく、そんな気がした。
「多分、そうだと思う」
「まあならそういうことっすよねぇ」
「どういうことだよ」
「流石に自分の姉がどんな人だったかくらい、覚えてるんじゃないですか?」
言われて、フラリッタは黙り込む。
薄々気付いていたから……ではない。
何か断片的な記憶のような物が、脳裏を過ったからだ。
『ねえフラル。今日はどんなことがあったの?』
『あら、暗い顔してどうしたの? お腹でも痛い?』
『……へぇ、ふぅん。友達が、ねぇ。まあ今日は早く寝なさい? 疲れてるでしょう』
『何をした、って? あは、別に、私は何もしてないわよ? でもあなたのお友達は、私にとっても同級生。ちょっとお話するくらい、不思議じゃないでしょ?』
『あ? 今、なんて言ったの? 何もするなって、私には聞こえたんだけど、気のせいよね? 私が何かした確信でもあるの? それともあなたは……お姉ちゃんを疑うの?』
『……知らないわね。今時命の一つや二つ、簡単に旅立っていく世界じゃない。確かにあなたの学校でだけ不登校とか自殺者が増えてるのは陰謀めいたものを感じるけど、それは数が異常なだけであって、事件自体はそう珍しいものでもないでしょ』
『これ、あげる。え? なんで、って……今日、あなたの誕生日でしょ? 私のでもあるけど。あぁ、いいのいいの。私のことは気にしないで? それより、明日からは社会人でしょ? もうどんなことをするか決めた? ……私? 私は、まあ……良くも悪くも、今まで通り、かな』
『……あら、見られちゃった……えへへ、これが今の私の仕事。馬鹿な奴らに歯向かう馬鹿どもを始末するの。ん? 怖いことはないわぁ。だって私より強い奴なんて、滅多にいないか、いてもこんなことはしないもの。まあ、今日のことは忘れてちょうだい。あなたをこんな世界に巻き込みたくはないから』
──姉様は……ちょっとおかしいけど……でも、ひどい人じゃ、なかった。
「……悪い、思い出せないな。頭痛がするんだ」
フラリッタは嘘をついた。
他でもない、姉を守るための嘘を。
「……そう、でしたね。すみません。無理言って」
「いや、いいんだ。いずれ向き合わなければいけないしな」
バレバレでもいい。全部知られててもいい。
だけどここだけは、フラリッタの心の中でだけは、ずっとずっと、妹想いのお姉ちゃんにしてあげたい。
「じゃあせめて、その剣に名前をつけてあげてくださいよ」
「名前?」
「ええ。姫様が考えた、姫様の剣だけの名前。それできっと、嫌な衝動からは逃げられると思いますから」
「……あるんだな、本当の名前」
「……」
責めるような言葉は無視された。
確かに一段声のトーンは落としたが、それでも聞こえないことはないと思うのだが。
「まあ、いい。でも名前か……そうだなぁ……ディエルフェルナなんてのは、どうだ?」
「俺に訊かないでくださいよ。自分の胸か、その剣に訊いてください」
「じゃあ、こいつは今から、ディエルフェルナだ」
意味はない。理由もない。ただただ思いついたかっこいい名前というだけである。
それでも鞘から抜いてみれば、さっきよりもちょっと輝いている気がした。
「それで……全員集め終わったんじゃないか?」
ふと視線を落としてみれば、クロスの足元には七人の気絶した『ヴィクティム』たちが横たわっていた。
五人ほどは爆発に巻き込まれて煤けているが、それでも目立った傷はない。
「そうっすねぇ。撃墜された奴らを数え間違えてなければ、これで全部っすかね」
「……やけに硬かったんだよな、こいつら」
「ああ、耐久型の不老不死者だからっすね」
「耐久型?」
「言ってませんでしたね。姫様は例外も例外の蘇生型不老不死者っすけど、暴れてんのは全員耐久型不老不死者って言って、肉体の強度や再生力を無理やり引き上げることで、細胞の破壊を強引に防ぐんです。だからダンプカーに踏み潰されても生きてますし、毒なんかも効かないっす」
「ふうん。で、お前が今手に持ってるのは?」
「ガソリンとライターっすかね」
「何をしようとしてるのかな?」
「見てればわかりますって」
「まさか、私が必死に頑張って衝動から守った奴らを、目の前で燃やそうとはしてないよな?」
「……そんなことないっすよー」
「おいやめろバカっ! それをこっちに寄越せ!」
「生かしてたってしょうがないんすよ! どうせまた襲ってくるだけですって! それに動いてるから生きてるように見えるだけで、自我のない連中は全員死んでるんすからね!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、手のひらサイズのオイル缶とライターを奪い合う。
物が物であれば子供の喧嘩にも見えただろうに、おもちゃの取り合いにしてはあまりにも物騒すぎた。
そして人間というのは人の話し声に敏感で、特に肉声などが聞こえていると寝付きにくくなるらしい。
つまりどういうことかと言えば、肉体自体の硬度も高く、その上再生力も強化された者なら、起きてしまってもおかしくないということだ。
「……ね、姫様。ここは諦めてください。こいつらは元々死人です。だったらちゃんと弔って、天国に送ってあげるのが優しさってもんじゃないっすか?」
まあ、天国に行けるかは怪しいっすけど、なんて呟くクロスから少しだけ目を逸らし、フラリッタは【不可侵】の結界に阻まれた少女を見た。
その顔は相変わらず無機質で、瞳にも光を宿さず、なのに武器を失っても結界に爪を立てる姿は、確かに哀れでもあった。
この者がすでに死んでいるというのも、頷ける。
「……希望はないのか?」
「死後何週間だと思ってんすか。魂はもうとっくに失われてますよ」
「……はぁ、そうか。ならせめて、私がやるよ」
ただし、ガソリンとライターなんて優しさの欠片もない物は使わない。
ゆるりと透明な椅子から降りたフラリッタは、結界に抗う生気のない少女を見つめた。
技術が進歩しているのなら、助ける方法だってあったかもしれない。願いを叶える魔法なら、奇跡だって起こせたかもしれない。
だけどそんなのは知らないし、教えてもくれない。だから、フラリッタも結界に手を当てて、ごめんねと目を伏せる。
そしてゆっくりと、再び背中の剣を抜いた。
「ディエルフェルナ。初仕事がこんなことで申し訳ないが、やってくれるな?」
答えはない。フラリッタの意思を受けた剣は、ただ忠実にその想いを相手に届ける。
「光を宿せ。とびっきり清らかで、とびっきり熱いのを。そして奴らに告げるのだ。もう怯える必要はないってな」
銀色の刀身から、真っ白な光が放たれる。
昼の日差しにも負けない強さでありながら、見る者全てに安らぎを与える不思議な光。
フラリッタはそれを高々と掲げ、呟く。
「希望への
暖かな光が世界を包み込む。
魂なき骸たちに終わりを告げる。
光は結界さえも通り抜け、等しく希望と浄化を届ける。
目の前の景色が戻った時、そこには何も残っていなかった。
「……こんなこともできるんすね」
「エンチャントと言うらしい。元々刻まれた魔法であれば、私であっても扱える。……まあつまり、最初っからこんな魔法だってあるんだよ。こんな、死者を弔うだけの魔法だってな」
多くは語らない。
ただこの剣を作った人は、誰かを送り出すための魔法だって与えてくれたのだ。
魂なき抜け殻だけを優しく葬る、殺しのなんの役にも立たない魔法だって。
「……やっぱ覚えてるんすよね」
「なんだ?」
「いーえ。殺しに来た奴らに情けをかけるなんて優しいっすね」
「……情けなんかじゃない。これはほんの最低限、長い時間を生きた人への敬意だ」
そんなことを背中で語られて、クロスは少し立ち止まる。
心の底から優しげな笑みを浮かべて、思う。
(やっぱこの騒動を終わらせられるのは、あなただけっすよ。姫様)
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