コーヒーを淹れよう
とびうさねねこ
第1話 一
コポ、コポ。休日、朝のワンルームにコーヒーの香りが漂いはじめた。キッチンのカウンターに置かれた、十年選手のコーヒーメーカーが頑張っている。専門学校卒業後にデザイン事務所に就職して、その初任給で買ったものだ。今ならコーヒーマシンとか、スタイリッシュなものもあるが、私はこの飾り気のない姿に愛着を持っている。
言うのを忘れたが、休日といっても今日は月曜日。私の今の仕事は、美術館展示室の監視員。もうすぐ三十歳になるけど、独身。彼氏はいるけど、決め手はない。つき合ってもうすぐ三年になるけど、最近はデートの回数も減った気がする。そもそも、トオルは土日が休みの普通の会社員で、私の休みは美術館が休館の月曜日だから、そこから無理がある。おまけに土日祝は美術館は忙しくて、独身の私なんかは率先してシフトに入れられる。運良く月曜日が祝日に当たったら、とたんに美術館は開館日となる。つき合い始めた頃は、希望休や有給を使って休みを合わせたりしたが、今ではそんなこともしない。
なあなあの関係……。ぽつりとつぶやいてみて、小さく肩をすくめた。
午前九時半。いつもは開館となる時間に、至福の一杯を横に置いて、昨日の仕事終わりに図書館で借りてきた本を読む。私だけの寛ぎの一日の始まりである。
カウンターの前に置いた小さなテーブルのスツールに腰かけ、クリーム色のマグカップを手に取った。そのまま片手で、本を開こうとしたときだ。何かがページの間から落ちた。
ん?ヒラヒラと白い小さな紙きれ。拾い上げてみると、レシートだった。全国チェーンのセルフうどん店の印字がある。
〈おでん・大根一二○円 ビッグフランク一五○円 缶ビール二九○円〉合計五六○円の会計で、支払いはモバイル決済になっていた。
おじさんが仕事帰りに、ちょっと寄ったのかな?それにしても、この本は二十世紀前半のフランスで活躍した芸術家たちの本。美術書の棚に並んでいた。悪いけど、それとおでんが結びつかない。
ま、どうでもいいか。後でゴミ箱に捨てるつもりで、カウンターの雑誌の上に置いた。
ユトリロやシャガールの逸話に、時間を忘れて
夢中になった。藤田嗣治のページにさしかかったとき、マグカップが空になっているのに気づいた。二杯目を淹れるため、本を置いた。
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