異世界転生したぼく、今世の家族は貴族のようです。

森野緑

異世界転生したぼく、今世の家族は貴族のようです。


 ――目を開くと、見知らぬ景色が広がっていた。

 複雑な模様が描かれた壁や柱、きらきらした石が無数に散りばめられた照明、もはや名前もわからない調度品の数々。目が眩むような光景に、思わずもう一度目を瞑った。


 おかしい。ここはどこだろう。

 "ぼく"が暮らしていた生活では到底お目にかかったことのないような場所だ。

 そもそもぼくは、どうしてこんなところにいるんだっけ。


「まあ、あなた。見てちょうだい。目を開けたわ」

「本当だ。かわいいね」


 声がした方を振り向くと、一組の男女が慈愛の眼差しでこちらを眺めていた。

 男の方は、青いジャラジャラした飾りをたくさん身につけている。女の方も滑らかで上質そうな生地の服を身に纏っていて、見るからに上流階級の人間であることがわかった。


「名前を決めなくちゃね」

「そうだね。何て名前にしようか。候補はあるのかい?」


 男女の会話を遠くに聞きながらぼんやりしていると、ふとあることばを思い出した。


 異世界転生。


 近所の中学生たちが、そんなことを言っていたっけ。確か、死んでしまった後で、今いる世界とは全く別の世界に転生するというお話。自分には全く興味のない話だったので聞き流していたが、まさか今の状況はそれにあたるのではないだろうか。


 何せ"前世"での生活ときたら、家の中にゴミは散乱しているわ、腐りかけの食事で腹を壊すわ、日夜怒鳴り声が響くわで、ろくなものではなかった。


「どうしようかしら。かわいらしい名前ばかりを考えていたわ。でもこの子は男の子ですものね」

「では、勇ましい名前をつけてあげるべきかな?」


 それが目の前の光景ときたら、まるで別世界である。部屋中いい匂いがするし、目の前の男女は柔らかく優しげな視線でこちらを見つめている。怒鳴ったりしたことなんてないんじゃないだろうか。

 つまり、今この目の前で、おそらく自分の名前をどうしようかと考えている男女が、今世のパパさんとママさんなんだろう。


「アレクサンドルはどうかな?」

「いやよ、そんな名前。勇ましすぎるわ。ミシェルにしましょう。天使のように愛らしいものね」

「偉大なる騎士の名だから良いと思ったんだけど、きみがそういうならミシェルにしようか」


 パパさんがママさんの腰に手を回してこみかみにキスをする。2人がいちゃついている間に、どうやら今世のぼくの名前が決まったらしい。


 ――ミシェルとして過ごしはじめてしばらく経ったことで、いくつか分かったことがある。


 まず、パパさんは大きな領地を治める貴族で、どうやら使用人からも親しまれる人格者のようだ。名前はやたら長かった。エルなんとか・なんとかかんとか・なんとか。貴族って名前が長いんだろうか。覚えられる気がしない。

 ママさんは隣の領地のお嬢様で、パパさんとは政略結婚ってやつらしいが、夫婦仲睦まじく過ごしているところから、幸せな結婚をすることができたようだ。


 この世界は以前過ごしていた世界のように、便利なエアコンや冷蔵庫なんかはないけれど、貴族の家で生まれたおかげか、特に困ったことはなかった。

 なんせお腹が空いたら前世では考えられないような美味しいものを出してもらえるし、いい匂いのするママさんは毎日優しく抱きしめてくれる。パパさんだってぼくを殴ったりなんて一度もしたことなく、大きな手のひらで頭を撫でてくれるのだ。


 そんなハッピー貴族ライフを満喫していたぼくの生活に変化が起こったのは3年後のことだった。

 ママさんに子供ができたのである。

 日に日に大きくなっていくお腹を、ぼくは複雑な気持ちで見つめていた。

この子が生まれてきたら、パパさんもママさんもぼくのことはどうでも良くなるんだろうか。前世ではそうだった。といっても、"弟"に対してもそのうち興味をなくして、家を空けていることが多かったけれど。


 そんなぼくの不安をよそに今世の弟は生まれた。名前はアンリ。ママさんにそっくり。もちろん、アンリが生まれてもパパさんとママさんのぼくへの態度は変わらなかった。


 アンリはすくすく成長して、ぼくの身長を追い抜いていた。まだまだ頭はぼくの方が賢いけれど、前世の分もあるのだから当然のことである。


 アンリはぼくのことが大好きで、いつもぼくの後ろをついてまわった。使用人たちはいつも微笑ましげに見て「またアンリ様がミシェル様の後ろを追いかけてらっしゃるわ。本当に仲がよろしいわね」なんて話している。

 そんな態度をされればこちらだってかわいく思えてしまうもの。転んで泣いたら慰めてやるし、まだよちよち歩きだった頃なんかは、アンリが後ろをついて歩きやすいように、ゆっくり歩いてやった。


 思えば前世の弟もそうだった。食いっぱぐれてお腹が空いていたとき、よく連れ立って近所の飲食店をまわった。ぼくは顔が広かったので、だいたい知り合いの店員に余った賄いなんかを恵んでもらえたのだ。弟は要領が悪く、いつもぼそぼそとしか話せなかったので、周りに助けを求められなかった。最も、学校にだってろくに行っていないんだから、どう話していいのかもわからなかったのかもしれないけど。


 そんな前世に比べて、平和そのものの今世。

 ――だが、今ぼくは今世最大の危機に直面していた。


 もうもうとたちこめる煙、目を開けていられないほど眩しく揺れる炎、ごうごうと轟音をたてながら梁が焼け落ちた。

 ぼくは今、廃屋の一室でアンリとともにうずくまっていた。


 そもそもは、庶民の暮らしが見たいと言い出したアンリのわがままから始まった。なんでも、庶民の主人公が成り上がっていく物語を読んで、庶民の暮らしぶりに興味を抱いたようだ。

 だがもちろん、まだまだものの道理が分からない貴族の坊っちゃまであるアンリに外出の許可など出るはずもなく。アンリがぼくに愚痴ってこなければ、ただのアンリのわがままで終わっていたはずだった。


 実は、ぼくは、パパさんやママさん、使用人たちが知らない秘密の隠し通路を知っていた。

 そして何度か屋敷を抜け出して町へ降りたことがある。その慢心から、ついアンリのわがままを聞いてやってしまったのだ。


 ぼくや、まだ幼く小柄なアンリでないと通れない隠し通路を抜けて町へ出たあとは、市場をウロウロしてみたり、広場の噴水を見てみたり、時計台に登ったあたりまでは良かった。だが、アンリが何を思ったか、廃屋の中の植木に興味を抱いて中に入ってしまったのが間違いだった。

 ちょうどその日は天気も良く乾燥していて、ぼくたちが入った廃屋は、たまたま町のごろつきが時折溜まり場として使っていたらしく、煙草の燃えかすが残っていた。そしてちょうど廃屋に入った頃が、ぼくやアンリがいつも昼寝をしている時間帯で、植木を眺めながらうとうとと眠ってしまった。うとうとしている間に太陽の位置が変わり、ちょうど煙草の燃えかすに光が集まってしまった。

 すべて偶然ではあったけれど、不幸にもそんな偶然に出くわしてしまったぼくたちは、炎に包まれる廃屋に閉じ込められてしまったのだ。


「ミシェル、どうしよう。僕たち、ここで死んじゃうの? 僕が、僕が町に行きたいなんて言わなければ……。父上、母上、死にたくないよ! 誰か助けて!」


 煙を吸って立ち上がれないアンリが、泣きながら助けを求める。だが、幼いアンリの小さな声は、炎の轟音にかき消され、外には届かないだろう。


 そのとき、炎で焼け落ちた柱の間に隙間が見えた。おそらく焼けた窓枠が外れてできた隙間だろう。アンリは通れないだろうが、小柄なぼくなら通れるのではないだろうか。

 アンリは、自分のせいで死んでしまうのではと嘆いていたが、アンリがこんな状況に陥ったのはぼくのせいだ。だから、アンリはぼくが助けなければいけないんだ。


 ぼくは、アンリがいつも服につけているブローチをはぎとり、炎が残る床や柱を蹴って、わずかな隙間を抜けて外へ出た。足の裏が焼けるように痛いが、かまわず走り出した。


 屋敷へ走りながら、ぼくは前世のことを思い出していた。

 前世のパパさんとママさんは、どうしようもない人間だったけど、あの日だけは違った。いつもは絶対に出してくれないようなご馳走がたくさん食卓に並び、笑顔でぼくと弟に話しかけてくれた。弟もぼくも、それが嬉しくてご馳走をパクパク食べたけれど、全部食べ終わる前になんだか眠くなってしまって、そこからの記憶があまりない。気がついたら今世のパパさんとママさんがぼくを覗き込んでいたんだけど、その合間の記憶を、うっすらと思い出していた。


 霞む景色の向こうに、突っ伏して目を瞑る弟の姿が見えた。よく聞こえないが、パパさんとママさんの声がぼんやり聞こえてきた。


「これでアンタとの関係は終わりだから。この家の処理はアンタがやってよ。アタシはもう知らないし」

「だが、やり過ぎなんじゃないか? 本当に大丈夫なのか?」

「今更やめるって言うの? もう敦も眠らせたのに?」

「警察に気付かれたらどうするんだ」

「そのために念入りに準備したんでしょ」

「敦だって可哀想じゃないか」

「じゃあアンタが敦を引き取る? アタシは別にそれでもいいけど?」

「……」

「ほら。やっぱりこうするしかないんだよ。それに、敦だって1人で逝くわけじゃないんだから。ねぇ?」


 ママさんがこちらを振り向く。真っ赤な口紅をひいた唇がにいっと歪んだところで、耐えきれなくなって瞼を閉じた。


 次に気付いたときには、見慣れた家は炎に包まれていた。ぼくはふらつく身体をなんとか動かして弟の元へ行く。弟は寂しがり屋だから、ぼくがついていてあげないと。大丈夫。寂しくないよ。ぼくがいつも一緒にいてあげるから――――


 ぼくは思い出した。前世ではそこで死んでしまったんだ。

 そして、自分を恨んだ。こんな大切なことを今まで忘れていたなんて。覚えていたなら、こんな馬鹿なことにはならなかったかもしれない。抜け出して町へ探検に行かなければ、廃屋になんか入らなければ、うっかり眠ってしまわなければ……

 でも、アンリはまだ生きている。そしてぼくの身体もまだ動く。だから、諦めるわけにはいかない。今度こそ。


 屋敷に着いた。門番が煤けたぼくを見て驚く。ふらつく身体をなんとか動かして門番にアンリのブローチを差し出した。


「これは、アンリ坊ちゃまのブローチ!? ミシェル様、これを一体どこで!?」


 門番の服の裾を引っ張り、着いてこいと促す。門番はもう1人に声をかけ、ぼくに着いてきた。

 さすがは話が早い。優秀な門番だ。パパさん、ぜひこの人に特別手当てでもあげてほしい。


 全力疾走して廃屋に着いた。燃え盛る廃屋を見て、門番は一瞬たじろいだようだが、意を決したように頷き、近所の家から水をもらって頭からかぶると廃屋に飛び込んだ。ぼくは痛みを忘れてその光景を見つめていた。どうか、どうかお願いします。弟を、アンリを助けてください。


「おお! 子どもを連れてるぞ!」


 野次馬の誰かがそう叫んだ声で我に帰った。門番がアンリを抱いて歩いている。アンリは? アンリは無事なのか?


「ミシェル様――アンリ坊ちゃまはご無事です。本当にありがとうございました」


 門番が膝をついてアンリを見せてくれた。煤を被っていて軽く火傷はしていそうだが、息はしていた。

 ほっとした瞬間、全身に張り巡らせていた緊張の糸がきれ、その場に突っ伏した。門番の驚く声が遠くなっていく。

 アンリが無事でよかった。もう、思い残すことはない。














「ミシェル!!」

「あなた、ミシェルが目を開けたわ!」

「ミシェル、まだ動いちゃだめだよ。ひどい火傷をしているんだ」


 ――目を開くと、いつもの景色が広がっていた。

 複雑な模様が描かれた壁や柱、きらきらした石が無数に散りばめられた照明、名前もわからない調度品の数々。そして、心配そうに覗き込む今世の家族たち。目が眩むような光景に、思わずもう一度目を瞑った。


「ミシェルが無事で良かったわ。アンリが助かったのは、ミシェルのおかげですものね」

「本当に。肝が冷えたよ。しかも私が知ったのは全てが解決したあとだったからね」

「うっ……ごめんなさい。父上、母上」

「そうよアンリ。本当に心配したんだから。もう二度と、こんなことはしないでね」

「はぁい……ごめんなさい」


 ママさんがアンリを抱きしめる。アンリは火傷の跡が薄くなっていて元気そうだ。パパさんが、優しくぼくを撫でてくれた。


「本当によくやってくれたよ、ミシェル。きみがいなければ、私たちは最愛の息子を失うところだった。勲章をあげたいぐらいだ。もちろん、アンリのブローチ――跡継ぎの証を見てすぐに察してくれた門番の彼も一緒にね」

「そうね。門番の彼には、ボーナスをたんとあげなくちゃ。それに、ミシェルには、元気になったら、うんとご馳走を食べさせてあげましょうね。勲章の代わりに。ミシェルはアンリの、命の恩人なんだもの」

「母上、違うよ! ミシェルは僕の、命の恩猫なんだよ!」

「あら、そういえばそうね」

「ははは、一本取られたな」

「ミシェル、早く元気になってね。僕のこと嫌いにならないでね。また一緒に遊んでね」


 嫌いになんてなるわけがない。ぼくのかわいい新しい弟。守れなかったもう一人の弟――敦の分まで、ぼくが見守ってあげないといけないのだから。


 前世では20年近く生きられた。猫としてはかなりの長生きだ。だからこそ、敦と一緒に死ぬことができた。だけど、アンリとは一緒に死ぬことはないだろう。アンリの、人間の人生はまだまだ長いのだから。


 それでも、ぼくに可能な限り、このやんちゃで愛おしい弟と、パパさんママさん、屋敷の使用人の人たち――愛すべき今世の家族たちを見守って生きよう。それが、今世のぼく、ミシェルができる唯一のことなのだから。

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