15.真相は物語で

 シャムス様にお願いして毒物の商人を呼び出してもらうと、商人は酷く怯えた様子で後宮の入口のホールの横の小部屋にやってきた。

 基本的に側室や妾は後宮から出られないのだが、化粧品や装飾品、服飾品などを揃えるときに、商人を呼ぶことは許されている。商人との交渉は後宮の入口のホール横の小部屋で行われて、商人は出入りするときに厳重に持ち物を調べられる。


 中年の女性の商人は、シャムス様の顔を見た瞬間、床に崩れ落ちて額を床に擦り付けた。


「お許しください。あのような事態になるとは思わなかったのです」

「何故自分が呼ばれたか分かっているのだな?」

「あの事件が起きてから、ずっといつ呼ばれるのかと思っておりました。どうか、命だけはお許しください」


 後宮には刃物や毒物は持ち込んではいけないことになっている。

 後宮の正室の千里様を頂点とする男性たちは、全員がライバルなのだ。一人でも減ればライバルがいなくなる。

 殺し合いが後宮で起こることだけは、皇帝陛下は避けたかったのだ。


「この毒物をイフラース殿に売ったのはそなただな? どうやって持ち込んだ?」

「たくさんある化粧品に紛れ込ませました。イフサーン様が毒物を手に入れられて数日後、イフラース様からも注文があって、どうしても断れなかったのです」

「イフサーン殿に渡したものと、イフラース殿に渡したものは同じものなのだな?」

「同じもので御座います」


 そこまでの聞き取りをシャムス様がして、私はやっと商人に話しかける決意をした。

 絶対に確認しておきたいことだった。


「この毒の致死量はどれくらいですか?」

「ひと瓶飲めば死にますが、一口程度ならば、運がよければ命が助かるかもしれません」


 一口ならば命が助かるというのであれば、デメトリオは全部毒物を飲まなかったという証明になる。イフラース様もデメトリオに毒の耐性を付けるために少しずつ飲むようにと指示していたのと一致する。


 問題は、そのイフラース様が本当にイフラース様であったかどうかなのだ。


 商人はシャムス様の手配で捕らえさせて、私は一度部屋に戻ることにした。

 シャムス様と話して考えを纏めておきたかったのだ。

 シャムス様にお茶を入れて、私とシャムス様はお茶を飲む。お腹が空いていたので食事を頼むと、グリルした鶏肉を薄くそいで、野菜と一緒に薄焼きパンで巻いたものとひよこ豆のスープが持って来られた。

 出されたものは残さず食べる主義だが、日の国と違って月の帝国は鶏の肉や羊の肉、牛肉まで出てくることがあるので戸惑ってしまう。


「伝達殿のお口に合わなかったか?」

「いえ、肉をそんなに食べ慣れていないので驚いているだけです。美味しいです」


 薄焼きパンで巻いた鶏肉と野菜を齧っていると、崩れてバラバラになりそうになって、慌てて頬張る。口いっぱいになってしまった私を、シャムス様は笑って見ていた。


 食事を終えると、本題に入る。


「私は、デメトリオがイフサーン様とイフラース様を間違えたのではないかと思っています」

「二人は双子でそっくりだと聞く。違うのは目の色だけだが、それもよく見なければ分からない」

「それで、イフラース様と思われていることに気付いたイフサーン様が、イフラース様の名を騙ってデメトリオに毒物を飲ませたのではないかと思っています」


 そうでなければ説明がつかなかった。

 イフラース様は全く使っていない毒物の瓶を自分から差し出した。毒物を後宮に持ち込んだことに関してはイフラース様も罪を問われるが、それにしても、あっさりとしすぎている印象だった。


 イフラース様が毒物を手に入れたのも、イフサーン様の真似をしてということである。


「イフラース殿のふりをして、イフサーン殿がデメトリオに命じたということか」

「私はそう思っています」


 私の考えにシャムス様も深く頷いて賛同してくれる。


「あり得ない話ではない。特にイフサーン殿は黒い衣装に目だけしか出さぬ布で、顔を隠している。あの格好ではイフラース殿と間違われてもおかしくはない」


 布のせいで影が落ちて目の色が見にくくなっている状態では、イフサーン様とイフラース様を見分けることは私でも難しいだろう。


「問題は、このことをどうやって皇帝陛下にお伝えするか、だな」

「イフサーン様も正直に白状することはないでしょうし」


 皇帝陛下の目をイフサーン様に向けなければいけない。

 そのために私ができることがあるだろうか。

 考える私に、シャムス様が提案してくださった。


「入れ替わりの物語を書くのはどうであろう?」

「私が、イフサーン様とイフラース様の入れ替わりの物語を書くのですか?」

「デメトリオに『イフラース様』と声をかけられて、とっさにイフラース殿のふりをするイフサーン殿を書くのだ」


 そして、デメトリオが偽物のイフラース様に恋心を抱き、言われるがままに毒物を口にしてしまう。

 イフサーン様はイフラース様に近付く邪魔者のデメトリオを排除して、イフラース様を抱く。


「それならば書けそうです」


 シャムス様の仰る物語に私のやる気がわいてくる。これならば後宮の闇を暴きつつ、皇帝陛下には真実を伝える小説が書ける。


「伝達殿、そなたにしかできない」

「やってみます!」


 シャムス様に手を握られて、私は小説の構想を練り始めた。

 シャムス様が部屋から帰られてから、私はバシレオスを呼んで小説の内容を語った。


「イフサーン様がイフラース様のふりをして、イフラース様に近付こうとするデメトリオに毒物を飲ませて遠ざける物語なのだ」

「伝達様……もしや、伝達様は、あの事件の真相を調べておいでだったのですか?」


 既に私の味方になってくれているバシレオスには隠すことはない。

 私は素直にその問いかけに答えることにした。


「千里様が私を日の国から呼んだのはそのためだったのだ。私は物語の取材と称して、ずっとデメトリオの自殺未遂事件の真相を追っていた」

「真相は物語の通りなのですか?」

「いや、もっとどろどろとした悪意があるとは思うのだが、それを暴くのは皇帝陛下でなければいけない。私は皇帝陛下に気付いていただくことができればいいんだ」


 そういう可能性があると皇帝陛下が気付けば、聡明な方なので、すぐに後宮内の取り調べが行われるだろう。そのときにはシャムス様がこれまで調べたことを皇帝陛下にお伝えするはずだ。

 そうなれば、イフサーン様も逃れることはできない。


「伝達様が事件を解決することはできないのですか?」

「私が解決することが大事なのではない。事件の真相を皇帝陛下が知ることが大事なのだ」

「伝達様は欲がないのですね。事件を解決したら、褒美をもらえるかもしれないのに」


 褒美?

 豪華な服だろうか、高価な宝石だろうか、それとももっといい部屋だろうか。

 そのどれも私には必要なかった。

 私は特に欲しいものなどない。


「褒美などいらないよ」

「そうでしたね。既に伝達様は皇帝陛下の直属の吟遊詩人でした」


 これ以上の名誉はないとバシレオスは言ってくれるが、事件を解決してしまったら、私は小説を書く意味もなくなるのではないだろうか。

 皇帝陛下の直属の吟遊詩人という地位も必要なくなる。


「全てが終わったら、吟遊詩人の座もバシレオスに譲ってもらうか……」

「む、無理です! 私は皇帝陛下の趣味を伝達様ほど細かく分析できておりません! 例の逆カプのときのように皇帝陛下の逆鱗に触れるのは絶対に嫌です」

「バシレオスはこの地位で満足しているのか?」

「もちろんです。毎日好きなことをして生きていけています。伝達様の物語を書き写すのもとても楽しいです」


 バシレオスに皇帝陛下直属の吟遊詩人の座を譲って隠居する考えは無理のようだ。


「それでは、書くか、バシレオス」

「はい、任せてください」


 ペンを取ったバシレオスに、私は物語を語り始めた。

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