君を愛することはナイト

quiet

01話 あなたを選ぶ



 剣を振り始めた頃は焦りの気持ちも多分にあったが、礼装に爪を引っ掛けられたあたりから一周回り、シグリオ・フランタールは奇妙な落ち着きの境地に入っていた。


 残りの数は。右手から現れる〈影獣〉を斬り捨てながら数え上げる。ニカが一体落とす。外縁の六体は護衛隊の弓で押し切れる。となると問題は、向こうの馬車に張り付いた三体だけ。


 剣を三度、振るまでもない。


「――〈水牢〉」

 唱えれば、水の檻が〈影獣〉を一網打尽にした。


 宙に固定して引き寄せたそれに、横薙ぎの一振り。今日のためにと着込んだ衣装はやけに動きにくくはあったが、使い古しの剣はそれでもよく手に馴染む。流水に一指を差し込んだように線が引かれ、引かれた端から消えていく。


 剣を納めて、魔法を解けば。

 両断された獣も、元通りに整った水の檻も、いつものようにまとめて地へと崩れ落ち――、


「若! それ濡れます!」

「っと」


 かけたところで。

 ぎゅっ、と右の拳を握り直して、シグリオはその魔法を押し止めた。だだだっ、と慌てた様子で駆け寄ってくるのは、制止の声をかけてきたその人物で、


「そーっと下ろしてください! もうほんと、本当に時間がない、本当に遅刻寸前ですから……!」

「了解。なあ、ニカ」

「そーっとですよ……! そーっと……!」

「さっき服が破けた音がした」

「嘘ぉ!?」


 どこですかどこどこ、とニカがシグリオの周りを犬のようにぐるぐると回る。このへんだ、とシグリオは左手で腰の辺りをつまむ。ゆっくりと水が地面に染み込んでいく。力を失った〈影獣〉は太陽の光に当てられて、さらさらと風に吹かれる砂のように消えていく。


 よく晴れた、春の日のことだった。


「どうだ?」

「……ヤバい。がっつりいってます。なんで今日に限って……」

「慣れない服は着るものじゃないな。やっぱり現地に入ってから着替えるべきだったか」

「いや都入りしたら着替えるタイミングが――これ僕の腕じゃ直せないなぁ~! 縫い方わかんないですよ、これ!」

「若、周辺の索敵も終了しました。残党、伏兵はなし、事態は終了。こちらの馬車に被害はありませんので、問題なく再出発可能です」

「ああ、みんなよくやってくれた。あちらの馬車の被害状況も確認してくれ。場合によっては適切な援助も。……破れているのは裾の方だし、あばらのあたりから思い切ってスパッといってみるのはどうだ?」

「はっ!」

「センスが先進的すぎますよぉ! ――うわ君、違う違う! スパッといく方は了解しなくていいから!」


 剣しまえ剣しまえ、とニカが護衛の腕に飛びつくのをははは、と笑いながら、青い空を見上げてシグリオは思う。怪我人のひとりも出さずに〈影獣〉を退けることができた。こんなに良い日はなかなかあるまい。


 この後に遅れてはならない約束がなければ、もっと良い日だったのだろうけど。


「あ、あのう」

 控えめに聞こえてきた声は、視線を戻せば誰のものだったかわかる。知らない顔。ということは向こうの馬車に乗っていた人物だ、と。


「このたびはどうも、ありがとうございます。気付けば囲まれておりまして。都の周りでの出没はここ数十年ないと聞いていたのですが……あ、申し遅れました」


 私は商人の、と四十がらみだろうか、男が名乗る。それから恐る恐るという調子で、


「そちらはもしやフランタール辺境伯の……?」

「ええ。縁者です」


 シグリオが頷けば、「やはりそうでしたか!」と商人は顔を明るくした。


「ご武勇まさに最南の守り人に相応しく……しかし、申し訳ありません。私、今度の〈光継式〉に合わせて都入りを目指してきたもので、持ち合わせと言えるものがそれほど多くはないのです。それで少しばかりご相談が――」

「お気になさらず。こちらに全く被害はありませんし、こちらとしてもあなたにとっての『ふたつ目の心配事』になるのは本意ではありませんから」


 驚いた様子の商人に「こういう日は誰だってあるものです」とシグリオは告げて、それから破れた礼服の前で泣きそうになっているニカのつむじを見つめて、「それより」と、


「商人と言うなら、取引をさせてもらえませんか」

「と……と、仰いますと?」

「これから畏まった場に行くつもりなんですが、このとおりジャケットが破れてしまいまして」

「うぅ……若が無駄に動き回るばっかりに……」

「もし運んでいる荷物の中に代用になりそうな衣服があれば、貸してはもらえませんか?」


 商人は、じっとシグリオの礼服を見つめた。

 顔が青くなり、己の懐に手を差し入れて時計を取り出す。見る。顔が白くなる。


「も、もしやあなた様は、シグリオ・フランタール様でしょうか」

「はい。光栄ですね。都の方まで名が知られているとは」

「と、となると……畏まった場とは、〈聖騎士選定会議〉のことでは?」


 問い掛けられたから、シグリオは素直に答える。

 頷いて、


「ええ。話が早くて助かります」

「遅刻寸前ではありませんか!!!」

 商人の顔が赤くなった。


「おお、ゆ、許されませんそんな……! めでたい〈光継式〉の前に、私ごときの些事に聖騎士候補様を煩わせて!」

「人の命のかかったものを些事とは言いませんが……それより、どうですか。服は」

「聖騎士候補様のご衣裳に匹敵するようなものなどとても! し、しかし恐れ多くも今、馬車の中には私の子が乗り合わせておりまして、それが仕立て人をしておりますから――」

「それ、本当ですか!」


 跳び上がるようにして、ニカが顔を上げた。


「助かります助かります! じゃあこっちで馬車を用意するのでその仕立て人の方とうちの若とで乗り合わせる形でどうにか道中で――」

「ええ、ええ! それはもちろん、尽力させていただきますとも! 針と糸についてですが――」


 どたばたと、今にも肩でも組み合うのではないかというくらいに意気投合したふたりの背中が馬車の中に消えていく。すると「若、」と別の方から声がして、見れば護衛の男が苦笑いで立っている。


「大変ですね。聖騎士様は候補に挙げられただけでも、何とも」

「まあな。……しかし、このあたりでも〈影獣〉が出るのか。フランタールでも相当酷くなってきたと思ったが、この分では物流に相当影響が出るだろうな」

「〈光継式〉の直前ですからね。と言って、私も流石に前回の〈光継式〉の頃に生きていたわけではありませんから、いかにも知ったかぶりの感想ですが」

「おや、そうなのか? 意外だな」

「私が百二十歳にでも見えると? 参ったな、そろそろ真面目に若作りに取り組まないと」


 はは、とシグリオは護衛と声を合わせて笑う。

 すると「笑ってる場合じゃありませんよ!」とニカが馬車の中からトビウオのような勢いで飛び出してきて、


「話はつきました! 若はそのジャケットを脱いで元の馬車に乗ってください! 後の差配は僕がしておきますから!」

「お、そうか。ありがとう。助かった」

「当然です、筆頭付き人なんですから! というかもう、なんだって――」


 背中を思い切り押される前にと、シグリオはニカよりも先を行くように走りつつ、


「そんなに悠長なんですか! 会議に出るのは若なんですからね! ありえないほど怒られますよ、本当!」


 かけられた彼からの問いに、少しだけ振り向いて。

 ふ、と笑って、こんな風に答えた。



「なに。〈影獣〉を封じて世界を救ってくれる聖女様なんだ。この程度のことじゃ、きっと怒りもしないさ」






 結論から言うと、怒っていた。

 会議開始の一分前に大聖堂、謁見の間の戸をくぐって最初にシグリオが気付いたのはそれだった。



 うおっほん、と大きな咳払いが議長席から飛んでくる。それくらいなら可愛いもので、すでに準備を終えていた者たち――聖騎士候補に選ばれた者たちの鋭い視線が、全身に突き刺さる。

 いずれも大貴族閥の中からこれぞと選び出されてきた、文武に優れた若き俊英たちだ。放っておけば全員が全員国の要職に就く――あるいはすでに就いているような者たちで、政治的には『フランタールの跡継ぎ』にすぎないシグリオからしてみれば、彼らがその視線の中にどんな思いを込めているのか、その一割も想像が付かない。


 そして何より、最奥の椅子に腰を下ろした彼女。

 今代聖女、アルセア・クィルテリア。


 怒りに燃えています、とでも言いたげな。

 今にもこのテーブルをひっくり返して誰かれ構わず噛みついてやりたいです、とでも言いたげな顔をしている。


「…………」

 なるほど、とシグリオは思う。これまで中央貴族や中央教会と接触する機会はほとんどなかったから、なんていうのは言い訳だけれど、自分の認識が甘すぎたかもしれない。しかし今更所在なさげな素振りを見せてもフランタールが下に見られかねない。


 ここは堂々と。


 時間通りに来たのだから問題ないだろうと面の皮を厚くして、ここまで結局全速力で走ってきたなんてことはおくびにも出さない涼しい顔をして、案内人が引いた椅子に座る。練習した限りの、けれどきっとこの場に居合わせた聖騎士候補たちから見れば精々が平均点だろう、その程度の優雅さで。


 ぴたり、と座る位置が定まった、ちょうどその瞬間に。

 ぼぉん、と都の時計塔が、大きく音を鳴る。


「――では、これより〈聖騎士選定会議〉を始めます」

 それが鳴り終われば、議長が厳かな声色でそれを告げた。


 まずは開会の言葉。それから出席者の紹介。このあたりは事前に渡されていた資料のとおりだから、シグリオにとって驚くに値する出来事は起こりえない。ただ適切なタイミングで目礼をすればいいだけ。もっとも、その目礼の相手が伯爵家だの公爵家だのとやたらに仰々しい背景を持っている以上、多少の緊張はやむを得ないものではあるけれど。


「最後に、先日の〈聖女選定の儀〉において今代の聖女としての資格を得られた、アルセア・クィルテリア殿。以上が本会議の出席者です。では、次に――」


 問題は、次の項。

 シグリオは机上に置かれた紙を見つめる。目次。会議の進行について書かれたそれは事前共有されていた資料と同じだから新鮮さはないけれど。


 やはり、視界にその文字が入れば意識せざるを得ない。


「聖女様による聖騎士の選定を行います。聖騎士は〈光継式〉の成就のため、儀式中の聖女様の身の安全を保障し、また必要とされる支援を行う者と定められております。つきましては――」


 聖騎士の選定。

 このために、わざわざ南の端からこんな大陸の真ん中の都にまで足を伸ばしたのだから。


 しかし、とシグリオはわかってもいた。自分が選ばれることはないだろう。遅刻をしたからというわけではもちろんない。単に、客観的な判断として。これだけ錚々たる面々が候補として並ぶ中で、いかにフランタールの跡継ぎと言えども自分を――あるいは。


 いかに自分と言えども。

 フランタールの跡継ぎが、選ばれるわけはないと。


「必要であれば、しばらくの問答を通して聖女様には聖騎士をお定めいただきたく存じます」

「必要ありません。もう、決まっています」


 思っていたから。

 次の聖女の言葉に、心底シグリオは驚かされることになる。




「シグリオ・フランタール。あなたを聖騎士として選定します」




 名を呼ばれて、それが自分自身の存在に結び付かないというのは久しぶりの体験だった。


 呆気に取られた、というわけではない。もっと手前。何が起こったのか、何を意味する言葉が放たれたのかわからなかった。だから平静そのものの顔でシグリオはそれを受け止める。果たして他の参加者たちはどうだったのだろうか。周囲を確かめるだけの思考の余裕はどこにもなく、ただ議長の声色がまるで変わらなかったことだけがうっすらと記憶に残っている。


「よろしいですか。前回の〈聖騎士選定会議〉には二日を要しております。必要であれば、聖女様が儀式の成就に必要と考えている要素、及び各候補者がどの程度その要素を提供することができるかを全て洗い出す程度の時間の余裕はございますが」

「構いません。私は自分の中に明確な基準を持ち、それを以てシグリオ・フランタールが聖騎士に相応しいと判断しました。これ以上の問答は不要です」

「承知しました。ではこれを以て〈聖騎士選定会議〉を終え、〈聖騎士契約の儀〉に移ります。これよりシグリオ・フランタール殿は聖騎士契約の予定者として、聖騎士候補者であった方々は契約の立会人として――」


 かろうじて身体が動いたのは、資料を読み込んでいたからだった。

 名を呼ばれて席を立つ。聖堂の最奥。聖女の座る椅子の前に跪く。他は誰も席を立たない。議長から儀式司祭へと文言は受け渡される。


「ここに。〈光継式〉とは、賢者ロディエスが遺した〈光玉・エルニマ〉に聖女が『光の魔力』を注ぎ、その機能を再び高めるためのものである」


 礼のために見るのは、聖女の顔ではない。床。自分の少し手前。手を伸ばして届くかどうかギリギリのあたり。だから、誰からも顔を見られない。


「〈光玉・エルニマ〉は主が一基、従が三基。従たる三基は大陸の東部・西部・南部の聖堂において、主たる一基は中央の大聖堂において、順番に『光の魔力』を注がれるものである。聖女、アルセア・クィルテリアは、一連の儀式を完遂するためにこの者、シグリオ・フランタールを聖騎士と選定する」


 ようやくそれで、思考の余裕が現れた。

 疑問符。なぜ。自分が。どういう目的で? けれどそれらに答えを出すだけの時間もなければ、きっと答えに至るための手がかりすらも手元にはない。


「なお、この〈光継式〉の政治利用を避けるため、聖女と聖騎士は、賢者ロディエスの遺した三つの特約を守ることとする」


 だから、結局。

 自分の目的のために必要なことを、必要なだけ。


 顔を上げれば、目が合った。


「ひとつ、聖女は聖騎士の誠意を、もっぱら〈光継式〉の成就のために受け止め、決して私欲のために利用せぬこと」

「誓います」


 力強い瞳と声。

 真っ直ぐに、弓で射貫くようにアルセアは口にした。


「ふたつ、聖騎士は聖女の献身を、もっぱら〈光継式〉の成就のために支援し、決して私欲のために利用せぬこと」

「誓います」


 だから、同じく。

 本当の誓いの言葉として、シグリオはそれを口にして。


「みっつ」


 最後は、互いに見つめ合って。

 同じ呼吸で、言葉にした。



「お互いはお互いを、己のために愛さぬこと」



 誓います、と声を揃えれば。


 そのようにして、聖女と聖騎士の物語は始まった。


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