第31話 恐れ

 アヴァグドゥの『神堕ち』を目の当たりにした祭壇の下の者達は、しばし言葉を失った。


 娘の表情はフードに隠れて見えないが、決してアヴァグドゥの神堕ちを喜んでいるわけではない。ただ、こうするより仕方がなかった。真に罪を負う者が罰せられ、無実の者が救われた。これで一つ、捻じ曲げられたものが是正されたのだ。成すべきことを成し遂げた。それだけだ。


 哀れな愚者ぐしゃに救いがあるとするならば、ダグダ神がアヴァグドゥに唱えた言葉。


 ――罪を贖い、北の地で新しい愛を見つけなさい。其方に加護を――。


 祭壇の神は知っていたのだろう。アヴァグドゥが神堕ちに至るまでの生い立ちを。愛されない生き様を。


 咎人はあの陣で消滅したのではない。烙印を押され、それが消えるまで罪を償った後、北の地で生まれ変わり、願わくは、今度こそ愛に満ちた両親の腕の中に――。




 沈思黙考する娘を、恐れを抱いて見つめる者がいた。


  ――わたしはケリドウェンの娘

    名前はいただいておりません――

 

 娘の口からこの言葉を聞いた瞬間、ケリドウェンは氷河の海に突き落とされたように凍りつき、翡翠の瞳が揺れた。分かってしまったのだ。一瞬で。この娘が何者なのか。


 最初はその声でクレイルィだと信じた。

 ダグダ神もこの娘を『ケリドウェンの娘』と呼んだ。

 けれど、この娘はクレイルィではない。


 その死を見てきたように語る娘を、

 束の間、愛娘の生まれ変わりなのではと期待した。


  でも、違った。


     全く、違ったのだ――。



 刺すような視線に気づき、娘が女神にフードを被った顔を向ける。


 ケリドウェンは険しい表情で睨み返す。恐れと怒りが女神の中で拮抗する。


 魔薬を台無しにしたばかりでなく、命惜しさにあんなことまでしておきながら、よくも――!


 何故、のこのことこんなところへ顔を出したのか。

 自分が殺される程憎まれていることは重々承知しているはずなのに。


 かつての友人を救うため?


 いいえ、それだけではないはず。


 あの小癪こしゃくな人間が――叡智の魔法を受けた人間が、それだけで終わるはずがない。

 

 アヴァグドゥを神落ちにして、

 まだ、何かを……企んでいるの――?


 


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