追放編

 ――二年後。


「ウティカさん、ちょっと」


 クエストから帰還した冒険者たちで賑わうギルド『七転び八起き』の片隅にあるギルドマスター席から立ちあがったカナヤマ店長は意を決して、優秀な事務長に声を掛けた。


「あと32枚4行動で終わるのでもう少し待っててもらえますか?」


「アッ、ハイ」


 にべもない返事と共に書類が宙を舞い、ザシュ、ザシュウという斬撃音と共に事務文書ができあがっていく。


「ウティカさーん、ドラゴンスレイヤー班が帰還したそうです」


 これは少し前に雇ったヨウコ・レインボーさんの声。ウティカさんのような特殊スキルはないが、割とてきぱき仕事をこなす方。


「書面は揃ってる?」


 ザシュ、ザシュウ! 返事をしながらも羽ペンによる斬撃は止まらない。


「今確認中です。あーもう。項目か時系列かどっちかは揃えておけっての」


「とりあえず交付金申請の関係書類とうちの経費申請の書類だけ選り分けといて」


 ザシュ、ザシュウ! その冴えに一点の曇りなし。


「へいへーい。あ、守備的戦士の人から育児休暇の申請出てますね。大丈夫かな。ドラスレ班は稼ぎ頭なのに」


「そこをなんとかするのが事務の仕事っていつも言ってるでしょ」


「へいへいへーい。仕分け終わったら、承認通知の用意しとくっス」


 ザシュ、ザシュウ! 予告通りに四度の精緻なる乱撃で、抱えていた事務の処理を終えたウティカさんは、カナヤマの方にくるりと向き直った。


「それで、話って何ですか? てん――」


 ちょ。と言い終わる前にバタンと激しい音が鳴り響いた。続いてドタドタドタ! 冒険者がギルドのドアを乱暴に開けて、事務フロアに駆け込んできたのだ。


「おい事務員! なんで俺の宿代だけ経費で落ちないんだよ!」


 ヨウコさんにがなりたてたのは、ダンジョン探索班班長のイヌーノ・トーボエィ氏だった。


「いや、それはっスね……」


 ヨウコさん、仕事はてきぱきしてるけど、こういう荒事には不慣れである。


「当ギルドの規定で、宿舎の等級はビジネスクラスまでとなっていることは説明したはずですよ? トーボエィさん」


 二人の間に割って入ったのはウティカさん。


「原則だろ原則。他に空きがなかったんだよ」


「プラチナクラスの部屋で女魔術師さんとよろしくやる経費まで面倒を見る気はないですよって言わなきゃわかりませんですかね? トーボエィさん犬の遠吠え野郎


 容赦のないウティカさんの言葉に、ダンジョン探索班班長は顔を真っ赤に染めた。


「誰に向かってものを言ってんだ……! こっちは『七転び八起き』の二枚看板のひとつ――ダンジョン探索班班長イヌーノ・トーボエィだぞ! 事務員風情は黙って出すモン出しゃー良いんだよ!!」


「聞く耳持たず、ですか。良いでしょう」


 ウティカさんはそう言ってすっと目を細めるや否や、トーボエィ氏の横を通り過ぎた。通り過ぎると同時にトーボエィ氏の片耳を引きちぎって。


「ぎゃああああああ! いてえええええええ!」


「使わない耳なら二つもいらないでしょう。ヨウコ、彼を医務室へ」


「はっ、はい」


 ウティカさんにファーストネームで呼ばれたヨウコ・レインボーさん、瞳をハート形にしながら床でのたうち回っているトーボエィ氏を事務フロアの外へと引きずっていく。

 

「それで、てんちょ。お話というのは?」


「実は今月いっぱいでギルドマスターを引退しようと思うんだ」


「てんちょ……春の陽気で脳みそが茹だり切っちゃったんですか?」


「もう決めたことなんだ」


「どうして」


「君のおかげでうちのギルドが破地雷騎士団やシノ=ブコイ同盟に匹敵する大手ギルドになったことについては、いくら感謝してもしたりないと思っているよ。でも、ここまで大きくなったギルドでぼくがやれることはもうないかなって思うんだ」


「てんちょが辞めたら誰がギルドマスターをやるんです?」


「君だよ。君以外の誰であっても『七転び八起き』を運営を任せられる人はいない」


 カナヤマ店長が強い意志を秘めた声で言うと、ウティカさんは大きくため息をついてから「わかりました。てんちょがそこまで言うなら仕方ないでしょう」と答えた。


「ウティカさん」


「だが、他のみんなはどう思うかな?」


「ウティカさん!?」


「みなさん――てんちょが引退の意向を示したことについて、何か意見はありませんか? 遠慮はいりません。思ったことを言ってください」


「うーん、そう言われても、実際ここのギルドの経営を立て直したのは事務長だし」


「え」


 古参冒険者の何気ないセリフが、自信に満ち溢れていたウティカさんの表情が凍りつかせた。


「実際ギルマス何にもやってなくないですか?」


「うそ」


 若手冒険者の心無い放言が、ウティカさんの顔面の凍結を首筋まで広がた。


「資格取得休暇作ってくれたのも事務長だしなー」「育休復帰後のキャリアプランもちゃんと考えてくれてるし」


「そんな」


 中堅冒険者たちの実感の籠った言葉が、ウティカさんの全身を氷漬けにする。


「「「事務長がいればギルマス、いらなくないですか?」」」


 何人かの冒険者が同時に言う。一瞬の沈黙。そして――そして。


「追放! 追放! ギルマス追放!」

「追放! 追放! ギルマス追放!」

「追放! 追放! ギルマス追放!」


 その声はまたたくまにギルド中に拡大した。気づけば、店長とウティカさんを除く全員がカナヤマ店長の追放を高らかに叫んでいた。


「静まりなさい!」


 カナヤマ店長に向かって物を投げるものまで出始めたところで、ウティカさんは一喝した。


「これが『七転び八起き』の総意です。残念ですが……てんちょをこのギルドから追放します。正確にはギルド都合退職となりますので人事規定に基づき退職金が支払われますが」


「……君のおかげでうちのギルドは本当に福利厚生が充実したんだねぇ」


「てんちょがそれを把握してないというのは失望の極みなんですが」


「ごめんごめん。やっぱり君には頼りっぱなしだったようだね」


 カナヤマ店長、それだけ言ってウティカさんに背を向けると、迷うことなくギルドを後にする。だからカナヤマ店長は気づかない。去り行く彼にウティカさんが「本当にこのままで良いんですか?」と小声で尋ねたことに。

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